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感想・レビュー・書評
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4巻目は考えさせられる!面白い!信長、秀吉。家康。そして光秀…。
すごい人材だったのだろうが,,,もっとすごいのがやはり道三。二人を目にかけたのは歴史上揺るぎない真実。ちょっとだけ戦国を理解した!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
歴史を単なる教科書的、知識的なものに終わらせない、血肉の通った人の生きざまとして浮かびあがらせる。司馬遼太郎の著作は、読むたびにそのことを思い知らせてくれるわけだが、とりわけこの四巻にわたる『国盗り物語』は、そうした胸躍る、かつもだえさせてくれる傑作だ。
戦国を駆け抜けた男たちをテーマに、その熱き人生を追う。前半は斎藤道三。“美濃の蝮(まむし)”とあだ名されたように、かなりの曲者だったわけだが、名前を何度も変え(時には同時期に二つの名前も)、僧から還俗したのち油屋の商人となり、そこから政治分野への進出を果たし、実力者を騙し、抱えこみ、利用し、最終的にはタイトルの通り国を奪っていく。というとあくどいイメージが浮かび、それがまた一般的な彼に対する見方ともいえるのだが、しかし司馬遼太郎の手にかかると、不思議なことにその人生には爽快感さえ伴う。神仏さえ自らの手下とする、不遜でありながら、時代を先取りした合理的思想かつ優れた現実的な手腕(これらは織田信長の模範ともなった)によって見事なまでに国を切り取っていくさまは、例えばその相手が堕落しきった名ばかりの大名だったりすると、拍手喝采を送りたくなるほど。一方そうした活躍期の彼の鮮やかさが、その晩年に抱いた諦念ともいえる境地との強烈なコントラストをなす。
その道三に薫陶を受けたのが隣国の尾張に拠点を構えた織田信長で、これが後半のタイトルロールとなっている。道三と直接相まみえる機会は少なかったものの、その娘(濃姫)を妻に迎えたつながりもあり、思想的な後継者として実力を発揮していく。すなわち、両者にはもともと頭の中での物事の組み立て方に共通性があったのだろう。信長の躍進には、実は“運”というものが多分に味方したところが強いわけだが、信長にはそうした運を呼び寄せるだけの何かがあった、これもまた彼の実力がなしたことであったのだと強く感じる。
そして、実は“織田信長編”とありながら、後半の真の主役は明智光秀であろう(おそらく、叙述の多くはこの光秀についてのものがあてられている)。先述の齋藤道三の娘濃姫とは従兄妹という関係にあるように、道三と浅からぬつながりがあった光秀は、信長をライバル視しながら、世の秩序を回復すべく東西南北に縦横無尽に駆け抜け、最終的に信長のもとに落ち着く。あとは歴史が述べる通りなわけだが、司馬遼太郎はその光秀の深い内面にまで迫って描き切っている。すなわち彼の人生は葛藤、懊悩の連続であり、室町幕府再興への強い願いからその思いを捨てるに至るまでの葛藤、信長に仕え新しい世を切り開く一端を担いながらも彼に対してどうしようなもなく膨れ上がっていく不信、というか信長という人物に対する底の見えない危険性に対する焦燥を、どのように処理すべきか懊悩するさまは、胸が痛くなるほど伝わってくる(結局はそれは本能寺の変にいきつくわけだが)。
歴史の評価は後世の人間が下す。しかし道三、信長、光秀、いずれも「そんなことは知ったことではない」と、なんと人間的な生き方をしたものか。歴史好きの人も、そうでない人にも、せっかく日本の歴史をちょこっとでもかじったことがあるのならば、必読の書だ。
歴史の裏にある、誤解を恐れずいえば乱世を生きた人間たちの、その血肉にじかに触れることができる小説なのである。 -
明智光秀が織田家の家臣軍団の中で重要な地位を占めるようになるが、それでもいつその地位を脅かされるのかと、しだいに追いつめられてゆく。なぜ本能寺の変を起こしたのが他の家臣ではなくて明智光秀だったのかが伝わってくる。戦国時代の前半から始まった物語が、主人公を変えて後半まで続き、それによって物語の雰囲気も変わってくる。戦国時代を堪能できた。
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国盗り物語五、読了。道三から信長、光秀まで、つながりの中で面白い物語だった。
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明智光秀かわいそう。
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良かった
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2016/04/24
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2016/04/24
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