- Amazon.co.jp ・電子書籍 (411ページ)
感想・レビュー・書評
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笹の舟で海に出なくても、川にいる時点で十分にもまれているだろう。
なんて深い。
犬を飼っていれば感じることだと思うけれど、彼らは家族が帰ることを心待ちにしている。そして、帰ってきたら全力でお迎えする。愛らしい。
愛娘百々子が幼稚園くらいのころ、恐らくそうだったに違いない。
可愛くてたまらなかったはず。
犬と違うところは、子離れしていくこと、ちょっとした言葉や気持ちのすれ違いが起こり、それが持続することだ。
思い返すと、貧乏だったけれど…、忙しかったけれど…、あの頃は楽しかった、充実していた、そんなことを思い返していたのだろうな、と思います。
時間は戻せない。本当に戻せない。あの時こうだった、あの時楽しかったという後悔で人生を終えるのではないか、そう感じながら読み終える本なので、ちょっと重い、という感想が増えるのでしょう。
親は、子どもがどこにいても元気で幸せに暮らしていてほしい。そう思っている、というくだりがあったと思うけれど、自分も本当にそう思っています。帰ってこなくてもいいよ~。地球上のどこかで幸せでいてくれれば、ね。自分の価値観を押しつけるつもりはなく、子どもと家族のただ幸せを願っています。
改めてそう思えるだけでも、この本はすばらしいです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白かった…。
すっごく暗くて暗黒なんだけれど、ページを捲る手が止まらなくて。
まるで私の実家であり、自分の母親の話を読んでいるようだった。
風美子が嫌なやつのように思えて読み進めていたけれど
物事は自分の視点や見方によって、こんなにも不幸に見えるんだと。
私もそんな母親と暮らしていたから理解できる世界に胸が痛く、何度母親から離れたいかと思ったかということを思い出した。
あまりに暗いので、星4つにしようか迷いましたが、ページを捲る手が止まらず一気読みしてしまったので星5で。
めちゃくちゃ面白かったです。
これでこそ小説。 -
主人公・左織はネガティブ思考。ハッピーなときでも、裏がないかを疑ってウジウジしている。面倒くさい性格で、なかなか共感しづらい人物だ。一人称小説の主人公としてはいかがなものか、と思われるのだが、ところがどうして。ボリューム感ある作品を最後まで一気に読まされてしまった。ひとつには、戦後の歴史や風俗を絡めて語ることで、広がるイメージの豊かさ。もうひとつ、適宜時間軸をジャンプしながら進むスピード感がある。「左織の人生をともに生きた」という読後感で、最終的には全面的に感情移入させられた。ブラボー角田光代。
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とても読み応えがあっておもしろかったし、すごく引き込まれて読んだのだけれども、なんだかずっと暗い気持ちになっていた。。。
ストーリーは、戦争中、疎開先で出会った女の子ふたりが大人になって再会してその後義理の姉妹になり、っていう、昭和を生きた女性の話、大河小説みたいな感じで。
主人公の佐織が、ちょうどわたしの母親くらい、今七十代後半くらいの年代で、その世代が生きてきた時代がよくわかって、昭和に起きたあれこれはもちろんわたしも懐かしいような気持ちで読んだ。
でも、疎開先でのいじめの話も暗い気分になったし、まあ、長い年月の話だからだんだん人が死んでいくのは当然なんだけれども……。主人公の親、義理の親が死んでいき、主人公も子どもたちが巣立ち、夫が死に、って、なんだか人生っていうのは、だれがなにをしてどう生きても、結局はひとりになって病気になって死ぬんだな、って思って気が沈んでしまったみたいで……。
佐織は、自分でいろいろなことを選ばず決断せず、流されるままに人まかせに生きてきて、人生無意味だった、みたいなことを感じるんだけど、でも、じゃあ、どうすればよかったの?、普通に生きてきただけなのにそれじゃいけないの?とかわたしは思ってしまい……。
彼女の夫が言っていた、「何者かになれる人間なんてほとんどいない、何者かになれなくてもいいじゃないか」っていうような言葉が心に残った。
ラストは、でも、佐織がそういう自分の生き方を少し納得する、といった感じがして、ちょっとほっとした。 -
怖さを感じる。「笹の船で海をわたる」というタイトルは、作中でも娘から主人公が指摘されていたような、自分の意思で何も選ばずただ大きなうねりに流されて、時には翻弄される生き方をさしているのだろう。
その生き方を考えるに、それ自体には善悪はなくただ好き嫌いの問題だと思うのだが、何もなし得ていないという空虚感が怖さを感じさせる。
主人公は過去未来の縛りを囚われないことで解きほぐし、翻弄される生き方を最後には受け入れている。ここに救いを感じるかは読者によってわかれるところ。 -
幼い頃、疎開先で一緒だったとという女性に声をかけられ、それからあれよあれよという間に自分の人生に入りこんで来られる。
頼りに思う反面、自分の人生を乗っ取られるような怖さを抱える…。
その感覚、ちょっと分かるな。
最初から最後まで、何となくぞわぞわするお話でした。 -
百々子と左織が自分と母親に重なり、嫌な気持ちだった。それほど描写がうまくて情景が目に浮かんだ。なんでも人のせいにするところも同じ。
風美子は得体が知れなくて怖かった。ちょっと読了感重めで、読むの 時期が早かったかも。母になった時に読んでみたらまた違う感想になりそうだ。 -
平凡な女の左織と、非凡な才女の風美子という2人の女性の人生を、左織の視点から描いた長編小説。
結婚、育児、時代の転換など、ライフステージのその時々で左織が行き詰まる度、風美子が軽々とそれを踏み越え左織を手助けするのを、左織は内心苦々しく思う。2人の人生には子供時代の疎開の記憶が大きく影を落としている。
風美子は、過去左織の存在に救われたとは言っても、今となってはかつて彼女をいじめていた他の人間たちと同じことを言う左織をどうして嫌いにならないのか、どうしてそこまで信じ、そしてこれほどまでの手助けをするのかと読みながら考えた。おそらくそれほどまでに幼少期の経験が苦しく、有り体に言うのであれば「死ぬよりもつらかった」折に左織の何でもない優しさに触れたことが、現代を生きる我々が想像するよりもずっと「有り難い」ことであったのに加え、彼女を信じ思い出に縋ることが、風美子にとって必要不可欠の行為になっていったのであろうと思う。
ともあれ、平凡極まりなく、徐々に時代に取り残されつつある左織と、時代の波に乗り、才を活かして生計を立てるのみならず折々で左織を手助けするまでの余裕を持つ風美子の姿は実に対照的であり、左織の視点に立つ我々には風美子の存在が眩しく、そして一種苦しさを持ってのしかかってくるように感じる。彼女は自分を助けることに何の躊躇いも持っておらず、勿論悪意など微塵もない。それが左織と我々には信じがたく、裏を疑わずにはいられないのである。左織がその苦しさと眩しさ、そして何よりも自分の人生とどう向き合っていくのか、というのが本書の大きな見所であろう。
最後のページを読んだとき、潮が満ちていく中に立っているような、温く塩辛い海水が喉元まで迫ってくるような、懐かしく温かく、爽やかでありながらも同時にひどく重苦しい充足感を覚えた。 -
激動の戦後の時代を生き抜いた左織と風美子。幼い頃に疎開していて誰もが辛い思いをしていたがいつまでも抱えていたのは左織だったのか
疎開先でいじめていたのは自分だったのか
少女たちは今、しあわせになったのか、大作に感動した。 -
ああ、昭和の女性だなという価値観と生き方の主人公に共感はできないものの、母をうっすらと感じさせる。自分の価値観や自分の人生を生きてこなかった主人公が最後の最後に自分の決断ができてよかった。
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ついうっかり、「今はフラグ立て中、このあと加速していくんだ」と期待しながら読み進めてしまった...
良い悪いとかでなく、テンポと展開が自分には合わなかった〜
この方のエッセイは好きなんだけどなぁ -
主人公の性格も相俟って、とにかくダラダラしているという印象。序盤で何度も挫折しそうになったが、Amazonの高評価を信じて読み進めるも、最後まで印象は変わることがなかった。
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昭和の女性の一生。私の世代はまだわかる。わかるから辛いと言うか、重い。それでも引き込まれた。アマゾンの説明にある「感動大作!」は違和感。
今の自分の感覚も次世代にはこういう扱いになっていくのかなと恐ろしくなった。 -
疎開先が一緒の縁で義姉妹になった主婦の左織と料理家の風美子。思い通りに進まないのはこの女のせい? 戦後昭和の女たちの物語。
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面白かった。若い人は百合小説として読めるのかも。
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疎開先で一緒だったときとても良くしてもらったと主張する風美子という女性に再開した左織はしかし、彼女をまったく覚えておらず戸惑う。
お姉さんのように慕う風美子を無下に出来ず一緒に行動するうちに、義理の姉妹になり、娘と息子と自分よりも絆を深めているような気がしてしまう左織。
物語の始まりからほぼずっと疑心暗鬼で、風美子は実は疎開時代に自分が虐めてしまっていた(かもしれないため)ため復讐しに現れたのではないかと疑い、読みながらいついじめた事実があるのか心していた。
しかし特にそのような事実が明かされるでもなく、もしかしてただの左織の被害妄想だったかもしれない可能性が見え、疑ったまま人生を終えた左織と、疑ったまま1冊を読み終えた自分が重なって、もっと心を開いておけばよかったー!としてやられた。 -
思う様にままならない人生を生きた彼女を丁寧に描いていると思う
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「ツリーハウス」に似た、何十年にも及ぶ日常の記録みたいな小説。
ただ、「ツリーハウス」のような「よくここまで書いたな」という感動はなく、主人公の女性が最低で感情移入できなかった。なぜ最低か。いつも自分で決めない。子供の日記などプライベートをこっそりのぞく。人のせいにする。そんなところ。
旦那さんが小説を出そうとして、奥さんがみっともない!と言って止めた時に旦那が「何者かになれない人の方が多いのに、何者かになれると思ってしまう。何者かになれると思ってあがくのはみっともない」と言う。何者かになれない人は多いけど、あがくことは全然みっともなくないと思う。あがく=努力するってことだと思うんだけど。努力が必ず報われるわけではないけど、努力したら報われる可能性があがるのでは?
たぶん、もう読まない。 -
正統派文学作品だとは思うけれど、すごく暗い。どんよりする。
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戦時中疎開した経験をもつ主人公の、疎開先で一緒だったという女性との関わりを軸に淡々と人生を綴る物語。
何が起こるでもないが、日本の時代の変遷とともに物語が進み、漫然と読んでいて面白い。
主人公の左織たちは私の祖父母世代で、よくいる「時代に置いてかれた保守的おばあさん」である。
身内にいたらちょっと疎んじてしまいそうな人物だが、こういう人となりがどうやって醸成されるのか、何となくエンパシーをもてた気がする。
戦争という大きな体験が幼少期にあり、若い頃は時代に求められる女性像(=良妻賢母)を目指し、自身の価値観はいつの間にかアップデートされなくなっている人。
憎めないが好きにはなれない。好きになれないがこの世代には沢山いそうだ。
主人公は自分の「家族」が自分の思い描いた通りでないことに失望するが、そのあたり中野信子さんが仰っていたオキシトシンと愛の関係についてを彷彿とする。
何も持たない人間はやはり寂しいと思う。その点、主人公の左織は反面教師のようであり、図太く生きる風美子が対照的な存在として描かれている。 -
なかなか読み進めるのが重い作品。
主人公の左織に感情移入出来ず、読んでいるこちらが左織の行動に少しイライラとしてしまい読んでいてストレスが溜まる。
風美子にしても本心が最後の最後までよく分からず、最後にミステリホラーばりのどんでん返しがあるのかと思うほど常に疑いの目で読んでしまう。
それでも読んだ後に心がモヤッとしてずっとこの作品のことが頭の中から離れないというのは心に引っかかるものがあるのだろう。
ただ読後感はあまり良くないです。 -
読了後、タイトル逸品だなと思った。なるほど…と唸る感じ。人によって捉え方も変わる。重くて読み応えあった。
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僕の親よりも少し年上の女性の話。友達、親、夫、子供との様々な思いが描かれてるけど、全体的に苦しい。でも、最後までトントンと読み進められたのは、その心情への共感、反感が僕の中に生じること、またそんな感情もあるのか、と発見が生じること、これらが途切れないからかもしれない。
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角田光代は素晴らしい作家だ。それを再確認した。私の母と世代が近い主人公。私の母は晩年精神的に不安定になったが、それは育った厳しい環境の影響があると思う。母を思い出し、辛い気持ちになった。寂しい終わり方だが、主人公の強さに、少しの希望を残すものであったのがせめてもの救い。数年後再読したい。
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戦中~戦後~現代を生きてきた、ある女性の物語。この時代を生き抜くだけでもスゴイことなのだが、主人公は自分を肯定できず、他者を羨み、時代に周りに流されて生きてる。義妹は自由奔放で新しい生き方を切り開く、主人公とは対極の存在。義妹に振り回されながらも、最後に自分を掴んでいく。
誰しもあるダークサイドを目にし、読んでてもやもやしますが、なんか読み進めてしまう、不思議な小説。