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感想・レビュー・書評
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一月くらいかけて、寝しなに読んできました。昔から気に入っている本で、何度目かの再読です。村上春樹さんの旅物の中では一番好きかな。
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HiRoさん僕も大好きな本です僕も大好きな本です2023/09/05
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電子書籍でちまちま半年ぐらいかけて読了。
ちょっとした時に一息つきつつさらっと読める感じが心地好かった。あるいはもちろんちっともちょっとしてない場所へ向かう電車の中でも。
ただ観光に行くわけでも、腰を据えて住むわけでもなく、こんな風に一時的滞在者≒常駐的旅行者として海外で生活できたら素敵だなぁ。
イタリアのいい加減さ(長所でもあり短所でもある)への愚痴がくどくどと続くくだりにはクスッとした。
ロンドンにいる間、バースに着くほんの手前で自転車がばらばらに壊れてしまって、その残骸を肩に担いで5キロの帰り道を歩いた際の記述では「やれやれやれやれ」と、”やれやれ”が2回も続いていることに感動してしまった私でした。疲弊する村上さん、愛おしい……! -
ベストセラー作家としてブレイクした村上春樹。「遠い太鼓の音が聞こえ、ある日、突然、僕はどうしても長い旅に出たくなった」と、村上作品のような出だしで彼は長い旅に出発する。
1986年、37歳から40歳までの3年間、夫婦でヨーロッパを行き当たりばったりに移動し、笑えるトラブルに巻き込まれることの繰り返し。ひったくりに遭うし、買った車はその日に故障。そんなドタバタとした日常で2つの長編小説「ノルウェイの森」、「ダンス・ダンス・ダンス」、さらに翻訳に短編小説集と小説家としての職業をこなす。
ヨーロッパの空気は作家、村上春樹に何をもたらしたのか。それを言語化したいという目的で書かれた旅行記。読んでいると、この作品の村上春樹は村上作品の登場人物に見えてくる。 -
かなり久方ぶりに読み返したけれど、30年以上前、下手すると40年近いむかしの旅行記なのに古臭さを全く感じないことに驚く。
時事的な出来事への描写(例えば宮崎勤とか田中角栄とかロス疑惑とか)がなければ、つい最近の話、と言われても気がつかないくらいかもしれない。
その頃日本に帰ってきた村上氏が消費のスピードのドラスティックな加速感に驚いた、という記述があるけれど、そこからさらに二段階、三段階のギアチェンジがあったように思う。 -
「遠い太鼓」が聞こえてきて、旅に出たくなった。。っていうこの出だしが素敵です。
村上春樹の旅行記、本作はギリシャとイタリアの話が多いですね。僕はどちらも行ったことがないけど、初めて「旅行記読んだから、行かなくてもいいのかもな」と思ってしまった。それくらい、なんというか面白そうというか、「これ(村上春樹のエッセイ)以上の面白いことはないかなー」と思えてしまうほど。
といってよく読んでると結構大変な思いしているんですけどね。彼はただ旅してるんではなく、住んでるからね。
また本作は厳密な”旅行記”ではないので、結構著者のテンションというかそういうものが文書から伺えます。その辺も面白いですね、淡々と書かれていても、仕事とか、あとは生活環境とか、で色々上下するんだな、と。
旅行に出たくなる、よりかは、日記を書きたくなる本なのかなあ。 -
「遠い太鼓」(村上春樹)を読んだ。
『四十歳というのは、我々の人生にとってかなり重要な意味を持つ節目なのではなかろうかと、僕は昔から(といっても三十を過ぎてからだけれど)ずっと考えていた。』(本文より)
私の40歳は子会社駐在中のバンコクで迎えたのだった。(タイ・バーツが暴落した翌年のことである) もう25年前!
ギリシャと聞いて真っ先に思い浮かべるのが、パノス・カルネジス「石の葬式」という小説(最高に面白い)と、あとは「あなたにそこに立たれると日陰になるからどいてください。」のディオゲネスだな。
そういえば我々(つまり私と妻のことだ)がバンコクに住んでいた頃も、選挙前日のアルコール飲料はNGだったな。
このエッセイ、結構辛辣である。 関係各国から抗議の手紙とかが来そうなくらい辛口である。(特にイタリア) こうまでオブラートに包まれていない村上春樹節ってそうそうないんじゃなかろうか。 故にとても面白いのだけどね。
我々にとって、タイのホアヒンでの休暇こそが『まるで人生の日だまりのような』数日であった気がする。 死ぬまでにもう一度行きたい場所のひとつである。 -
著者が80年代後半、40歳手前から奥さんとおよそ3年間滞在したという南欧での滞在記。ノルウェーの森やダンスダンスダンスはこの期間に書かれた作品とのこと。こんなに表現豊かに面白くて空気感を含んだ滞在期が書けるのってやっぱりすごいなと感心する。
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村上春樹氏が『ノルウェーの森』で大ベストセラー作家になったあと、いろいろつらい思いをして、海外に移り住んでいたという話は、そこここで読んだことがある。本書で取り上げられているのは、まさにその前後のこと。『ノルウェーの森』を書いているときの生活も書かれているし、『ノルウェーの森』を書いた後、いろいろあって一年間ほとんど文章が書けなかったという時期のことも、言及されている。そのあたり、ここしばらくで読んでいた『近境・辺境』などの旅行記よりも、もう少し腰をすえて書かれているような気がした。人生の一場面を切り取って見せてくれているような感じか。
ときどき出てくる40歳という年齢が、今の俺よりも若い時代だったんだなぁ、しみじみなにか感じてしまう。そんななか、海外で生活し、いろいろ体験していたというのは、いいなぁといううらやましさもある。まぁ人生は、人それぞれだけどさ。
劇的な何かがあるというわけじゃないんだけど、時代を感じさせる描写もあり、楽しく読んだ。 -
初めて手にした著者の紀行文だったが、めちゃめちゃ面白かった。1988年の秋に始まった南ヨーロッパの生活は足掛け3年に及ぶ。文章の専門家が自身の体験を言語化するとここまで深く書けるのかと感心してしまう。
トラベラーズ・チェック、ギリシャドラグマ、イタリアリラ、1ドル137円、ブラック・マンデーなど時代を感じる単語が随所に出てきて、自分が初めて海外を旅していた昔(90年代後半)のことが懐かしく思い出された。 -
水平線や遠くの島をみるたびに、遠い太鼓を思い出します。
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村上春樹がギリシャ・イタリアで暮らした三年間に書き溜めたエッセイ集。ちょうど『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』を執筆していた頃のもの。日本を離れて、異国で生活を営むということ、人生の不確かさを内に感じながら、創作に励む姿勢にグッとくる。
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1986年から1989年、村上氏37歳から40歳までの3年間、小説を書くためにギリシャとイタリアに住んだ記録。私たちが29歳の新婚旅行でギリシャ、イタリア、フランスの旅に出かけたのが1989年の春なので、時期的には少し重なってるわけだ。あの頃は街も人もまだ牧歌的で、英語さえ通じなかったけど逆にそれが楽しかった。村上ご夫妻は遊びに行ったわけではなく、仕事と生活を兼ねてそこに住んだわけだから、有名観光地を回ったり、ショッピングに走ったりせず、淡々と日々を送り、その土地の住人達と多少のかかわりを持って生活をした。彼特有の観察眼で住人を観察し、彼特有の言い回しでそれを表現する。それがとてもユーモアに富みおかしいのだ。読んでいて何度ニヤニヤしたことか。季節外れのギリシャがいかにうらぶれて寂しいか、イタリア(特にローマ)の人たちがいかにいい加減で、平気で人のものを盗んでいくか。楽しかったことより、大変な目にあったこと方が多かったようだ。でもそれが旅の醍醐味。経験となって後の人生に深みを与えてくれるようです。
あとがきで村上氏はこう締めくくっています。
「旅行というのはだいたいにおいて疲れるものです。でも疲れることによって初めて身につく知識もあるのです。くたびれることによって初めてできる喜びもあるのです。これが僕が旅行を続けることによって得た真実です。」
10歳違いの村上さん。今年は72歳のはず。ぜひまた長い旅に出て「遠い太鼓Ⅱ」を書いていただきたいものだ。
余談ですが、村上氏がヨーロッパで乗り回していた車(途中で故障して奥さんがプンプン怒ったやつ)は現在私たちが乗ってる車と同じ、ランチアゼルタです。 -
村上春樹さんのヨーロッパでの3年間の旅行記です。観光地のことだけでなく、その国で出会った人々、料理や建物、国の様子などについて、包み隠さず書かれています。この本に出てくる人々は、どこか変わっていて、とても面白いです。その国ならではの人間性が、街の様子や政治などに表れていることがわかります。
皆さんがこの本を読むと、きっとヨーロッパに行ったような気分になると僕は思います。ぜひ一度読んでみてください。
(T.S.) -
村上春樹がヨーロッパを旅していた時の話し。
彼の書いた小説とは違い、紀行文や日記に近いものだか、読んでいてとても興味深いものであった。
小さな国の集まりであるヨーロッパだが、その国により国民性や風習がまるで違う。
特に、ギリシャとイタリア、そしてドイツの国民性について、成る程と納得させられる。
やはり日本はドイツ的でもあるのかなって思わされた。
また、ワインや食事についても、自分が旅しているような感じでとても楽しく読む事が出来た。
また、この本を読んで文章はどのように書くのか凄く参考になった。 -
四十前までの仕事・・・