移動祝祭日(新潮文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 世に認められる前の慎ましい暮らしぶりや、小説を書く際の心得などが書かれている自伝。最初のパトロンであるスタイン(女性)のプライベートが暴露されている。また、フィッツジェラルドの外見や性格に関しては、これでもかというくらいボロクソに書いていて、フィッツジェラルドが気の毒になるほど。ただ、彼の作品グレート・ギャツビーは絶賛しており、人格はどうであれ、これほどの作品を書く作家を全力で守らなければならないと評価もしていて面白い。

  • ヘミングウェイ『移動祝祭日(A Moveable Feast)』が、ベッドサイドなどに何気なく置かれるなどして、最近観た2本の映画で立て続けに写っていた。さらに今読んでいるパリのカフェ文化について書かれている本でも、かなりの引用が『移動祝祭日』から行われている。偶然とはいえ、なぜこの本がこのようにいろいろなジャンルで取り上げれるのか、不思議なのだ。理由を考えるならば、祝祭(カーニバル)が日常生活のあらゆる分野・領域に幅広く関係しているからだといえるだろう。その典型例として、1920年代パリは毎日が祝祭であり、芸術家を中心にしてその頃を体験した人々が多かったのだ。もちろん、小説家フィッツジェラルドや編集者パーキンズなどが取り上げられているから、文学的にはロスト・ジェネレーション論の必須文献であることは間違いないのだが、単にロスト・ジェネレーションという狭い範囲の関心からだけで取り上げられれているわけではないだろう。上記のカフェ論、パリの都市論、作家論、そして1920年代の戦間期論に止まらず、はたまた身近な恋愛論、夫婦論、社交論などなどの題材を提供しているからだろう。さらに上記の映画で枕元に置かれている意味は、読んでみてのお楽しみというところだろう。このように、『移動祝祭日』は現代生活の中にも、一般人の生活にも、カーニバル効果の典型例として影響を与え続けているのだといえる。今さらとは思うのだが、祝祭のカーニバル効果は繰り返すところに意味があるのだ。

  • 売れる前の、若きヘミングウェイのパリでの生活。彼の短編の数々は、この生活の中から生み出されたということが、よくわかった。空腹、文学的探求、スタイルの確立、警戒と信頼、成功と名声と共にやってくる様々な罠など、彼の生涯の結末を知った上で読むと、人生の儚さと美しさを同時に味わえる。

  • ヘミングウェイやっぱ全くハマらないな
    単純に面白くないし、マッチョさが鼻につく

  •  1921年12月,22歳の無名作家だったヘミングウェイはシャーウッド・アンダースンが書いてくれた,ガートルート・スタインやエズラ・パウンドへの紹介状を携えて,妻のハドリーと共にパリに渡った。自由な気風がみなぎるパリには,当時アーティストを目指す多くのアメリカの若者が渡っていた。それから1925年に二人目の妻となるポーリーン・ファイファーと出会い『日はまた昇る』を書き始める頃までのパリでの出来事を綴る回想録。
     パリのカフェでの執筆生活や貧乏な暮らしを楽しむやり方,当時のカフェの雰囲気や,食生活,多くの芸術家達との交流の記憶などが書かれており,あまりそういった芸術家たちのことを知らなくても面白く読める読み物だった。

  • ヘミングウェイの自伝的短編集のようなもの。
    世の中の教訓というか、戒めの様なものがたくさん描かれていて今の自分の状況にピッタリな小説だった。
    将来の自分の行動は現在の自分の中に体胚している…。
    本質を突いているものばかりだった。

    お酒で泥酔してしまうスコットの様に
    今の自分を重ねながら、この本の余韻に浸る。

  • ヘミングウェイの他作品にも言及があるからこれらも傍らに置いて読みたい。
    「ぼくの父」「季節はずれ」「二つの心臓の大きな川」「雨のなかの猫」「日はまた昇る」「北ミシガンで」
    (短編は「われらの時代・男だけの世界: ヘミングウェイ全短編」に収録)

  • 「現代音楽史」(中公新書)より。ヘミングウェイ「移動祝祭日」20年代パリでのフィッツジェラルド、エズラ・バウンド、ガートルード・スタインらとの交流◆そしてまた、三浦しをん「好きになってしまいました」にも導かれ。◆有名な「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」は冒頭のエピグラフ。読む前は、セレブリティたちと入れかわり立ちかわり毎日パーティみたいなのを想像してたけど案に相違し。まだ文名高からず、どうにか作品をものにしてやろうとやっきになる姿勢が垣間見え。そして実際の懐具合はともかく、解説によるとあえての貧しい暮らしをこころがけていたとか。エズラ・パウンド、ガートルード・スタイン、ジェイムス・ジョイスなど濃淡はありつつ作家たちと交友し。そして個人的にはスコット・フィッツジェラルドに3章あてられているのがよかった。手放しの称賛ではなく、苦い思いも多々いただいていたけど、それでも「グレート・ギャッツビー」を読んだ時の文才のきらめきは、それらがどうでもよくなるほど輝いていたのだ、と。フィッツジェラルドとヘミングウェイが、幌のないオープンカーでリヨンからパリへのドライブ旅行のシーンが、ユーモラスかつ味わい深く。◆解説に、ヘミングウェイ死後の出版でメアリー夫人が編纂し、そのために削られた草稿もあるようで、必ずしも十全にすみずみまでヘミングウェイの意がいきわたってるとは言えない点も留意が必要か。

  • ヘミングウェイというと、イメージ的にパパと呼ばれていた髭のタフなおっさん、という感じがしていたのだけれど、もちろん生まれたときからマルガリータやダイキリを飲んだくれていた親父だったわけではなくて、当然若い修行時代もあったわけで、この本は彼が若い頃のパリでの生活をメモワール、回顧録として晩年まさに死ぬ直前まで書いていたものらしい。

    彼にとって人生のとても重要な時間、芸術家やパトロン、作家たちとの交流とカフェでの執筆のようすなど、非常に自分にとっては新鮮なあの偉大な作家の新たな一面を見た気がした。

    特に、フィッツジェラルドととのやりとり、彼と二人のリヨンへの旅行、ドライブの様子などは、二人の意外な一面、いや意外でもないのかな?を知ることが来てとてもおもしろかった。

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