ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書) [Kindle]
- 朝日新聞出版 (2017年4月10日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (204ページ)
感想・レビュー・書評
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amazonのおすすめの書籍の中に、ポツンと現れた一冊。
「答えの出ない事態に耐えうる力」という言葉は、今の自分に力強く響いた。
「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、いわゆる「宙吊り状態」のことであって、すなわち、答えがわからないことに対して、じっと耐え抜くことであると、本書の冒頭で解説されている。
この本では、著者がこの「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方にどのようにして出会ったか、そして、専門分野である精神医学から芸術、教育に至るまで、この考え方がどのようにして繋がっていくのかが、書かれている。
「ネガティブ・ケイパビリティ」の対極にあるのが、「ポジティブ・ケイパビリティ」であり、これはすなわち、「問題解決能力」のことだ。
解決するスピードが求められている時代に合わせ、仕事だけでなく、私生活においても、悩みや不安を一般的なケースに当てはめて、解決できることを前提に取り組んでいる。
もちろん、解決できないことがあることは「知っている」。
しかしながら、いずれ解決できるだろう、と考えたり、解決できずにどうしようと振り回されたりして、頭の隅に置いておきながら、頭の隅ばかり気にしている。
短期戦での「宙吊り状態」には耐えられても、これが長く続くことに、どうも居心地を悪く感じてしまう自分がいる。
この能力は決して「身につけるための能力」ではない。能力とは多くの場合、「できること」すなわち「する能力」であることが多いが、「しない能力」であると本書では述べられている。
印象に残った場面は、精神科教授の「治療はできないが、トリートメントはできる。」と述べたところ。
『美容院では、決して傷んだ髪を治しません。あくまで傷んだ髪をケアして、それ以上傷まないようにしてあげるだけなのです。』
解決に向かわせることではなく、それ以上悪くならないようにすることも、立派な治療行為なのだということを、改めて感じることができ、ちょうど窓の隙間から、心地よい風が吹くような、そんな気持ちになった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
精神科医であり小説家の著者が「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」である、「ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力もしくは陰性能力)」の概念を提示する。約240ページ、全10章。
著者によれば「ネガティブ・ケイパビリティ」は早世した詩人・キーツがシェイクスピアのもつ能力を指して用いた言葉であり、20世紀になって精神科医ビオンによって再発見された概念である。それを本書によって本格的に日本に広めたのが著者ということになるのだろう。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念は著者による次のような言葉でイメージできるだろう。
「不確かさの中で事態や情況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいる能力」
「性急な到達を求めず、不確実さと懐疑とともに存在する」
「記憶もなく、理解もなく、欲望もない」状態
「拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐えぬく力」
「ネガティブ・ケイパビリティが最も自戒するのは、性急な結論づけ」
このように、性急に答えを取り出そうとするのではなく、理解できない状況をそのまま受け止めて、中途半端な状態を耐える力がネガティブ・ケイパビリティとして説明されている。この能力を有したとされる具体的な人物の例としては、先に触れられた詩人・キーツ、シェイクスピア、そして日本の紫式部が、彼らの作品とともに紹介される。とくに紫式部とキーツについては来歴についても触れられる。また、複雑な現実を理解するという点では、創作者に限らずこのような能力は本来、一般の多くの人にとっても必要とされるものだろう。
なぜこの著者がこの概念を切実に提示するのかといえば、現代の私たちを取り巻く環境が「ネガティブ・ケイパビリティ」を評価せず、毀損されやすい状況にあるからだ。この点は本書終盤、第九章の教育問題や、終章・第十章での現代の為政者の代表例などによって、人々から「ネガティブ・ケイパビリティ」の能力を奪うことが社会的にいかに危険かについてを含めて、危機感をにじませながら、失われつつある能力の重要性を説く。
「ネガティブ・ケイパビリティ」はある種の忍耐力と、終章で提示される「寛容」を組み合わせた能力とも言い換えられるだろう。ただ、仮に単純に「現代人には忍耐力と寛容さが足りない」と言ったところで、老人の小言と捉えられて敬遠されてしまうのが関の山ではないだろうか。その点、本書は「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念を経由することで、改めて「寛容」とそのために必要な一種の忍耐力の必要性を無理なく納得させてくれる。ことに、「ネガティブ・ケイパビリティ」の欠如が社会的にどのような結末をもたらすかについての著者の仮想には、恐怖を感じさせられる。
本書の提示する「ネガティブ・ケイパビリティ」の能力は、完全に自分事ととしても、その能力の欠如について強く思い至らされて、感銘を受けた。あとがきで記されている、「精神科医として一番大切なもの」を問われた際のある精神科医の回答の爽やかさと相まって、自分自身にある性急さを見直したいと思わせられた。 -
「ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力もしくは陰性能力)とは、『どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。
あるいは、『性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力』を意味します」
「私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての制作行為も、ずいぶん楽になりました。いわば、ふんばる力がついたのです。それほどこの能力は底力を持っています」
(「はじめに」より)
精神科医であり、作家である著者が、その根底の哲学を縦横無尽に語り尽くす。
すぐに結論を求められる社会。
白か黒かを決めたがる安易な態度。
問題の解決ばかりに目を向けて、その奥底にある真実に向き合うことのできない薄っぺらさ。
未知のウィルスとの闘いに右往左往する2021年。
先の見えない闘いの中で、誰かを攻撃することで憂さを晴らす浅はかな態度。
そういう現代だからこそ、不確かな状況に耐えうる力。
相手の苦しみに簡単な答えを出すのではなく、寄り添い、同苦し、共感していく姿勢。
人間の善性、無限の可能性を引き出す哲学。
読む前と読む後で、物事への取り組み、考え方を大きく、そして深く、強くしていける渾身の書。 -
ネガティブケイパビリティについてサクッと概要を知りたいのであれば、ググったり、その他の類書啓発本を読めば十分です。それば、つまり、ポジティブケイパビリティの精神ですね。だから、本書でネガティブケイパビリティを学ぼうとするのであれば、ネガティブケイパビリティが必要です。
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ネガティブ・ケイパビリティ…「答えが出ない自体に耐える力」。
緩和ケア医の西智弘さんがオススメしていたので読んでみました。
精神科の医療に「ネガティブ・ケイパビリティ」の概念が持ち込まれた経緯を、最初にその言葉を使った詩人・キーツの生い立ちやそれを医療に取り込んだビオンやその後継者の話を紹介してから、現代におけるネガティブ・ケイパビリティの実際を綴ってありました。
途中、シェイクスピアや紫式部について解説した章や、戦争の話の部分などは、ざっと斜め読みさせてもらっちゃったし、すべてを理解するには難しい概念ではあったけれど、今の自分に大切だと思える言葉を得ることができました。
〈日薬〉と〈目薬〉
日薬と目薬というのは、解決できない状況に耐えるための薬。「時間」(日薬)と「見守り」(目薬)。例えば鬱になった人に必要なのは、時間と見守っているということを感じてもらうこと。
この言葉を知ることができたことが収穫でした。
たぶん、もうちょっと心に余裕があるときに読めば、もっといろいろなことを取り込むことができる本だと思う。いつか読み返そう。 -
答えの出ない事態に耐える力、今の世の中にこそ必要な
力ではないだろうか。
本書に出てくる 「日薬と目薬」
この先の人生において大切なワードとなった。
なぜ、私が帚木作品が好きだったのか
この本を読んで腑に落ちた。
答えを求めて結果を出す事だけが
評価に値する事ではない。
耐える力、それをもっているだけで大したモノなのだ。 -
すぐに答えを出さず、曖昧なまま向き合い続ける能力がネガティブ・ケイパビリティ。すぐに答えを出すポジティブ・ケイパビリティとは対極にある。著者はこの能力を、芸術のみならず精神医療や教育においても必要だと主張する。
結論をすぐには出さず棚上げできる能力は、人間相手だと共感能力につながる。また、問題に対する深い理解に到達できるとしている。逆に、ネガティブケイパビリティの欠如のもたらすデメリットとして、共感の欠如とともに、マニュアルへの過度なあてはめや、問題設定の現実からの乖離(簡単に解ける問題への落とし込み)、問題の深い理解への未達を著者は挙げる。
ネガティブケイパビリティが精神医学の現場で結果的に治療につながりうるメカニズムは何か。著者はその仕組みとして、時間が解決する「日薬」と見守られてるということ自体の効能を表す「目薬」を挙げる。さらに、プラセボや祈祷師の効能についても紹介する。 -
~印象に残った3つのポイント~
①プラセボ効果 偽薬でも効果があると信じると実際に効果がでることの実験結果を教えてくれる。効果を生じさせる必要条件は「意味づけ」と「期待」
②教育 答えの出ない問題を探し続ける挑戦こそが教育の真髄である。でも現状は親として、学校の課題をこなすことが教育になってしまっている。世の中にはもっと学ぶべきことがたくさんある。→新たな問い。学校の課題ではなく、人が学ぶべきものとは何か?
③共感が成熟していく過程に、常に寄り添っている伴走者こそが、ネガティブ・ケイパビリティ。ネガティブ・ケイパビリティがないところに、共感は育たない。
~感想~
脳は常に正解を求めたがっている。それはなぜか、わからないままでいることが気持ちが悪くて不安であるか。でも性急に正解を求めることには弊害が大きいことを教えてくれる一冊。「ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味をいだいたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐え抜く力」であり、耐えた先には「発展的な深い理解」が待ち受けているからそのために耐えることが重要と説いている。 -
『閉鎖病棟』などで有名な精神科医の帚木蓬生による半分エッセイ形式の啓発書(?;カテゴリがわからない)。ネガティブ・ケイパビリティとは(私の解釈では)生身の人間や複雑な現実を安易にフレーミングしない力ことであり、言い換えれば「金槌を持ったからといって何もかも釘だと思わない自制心」である。著者の言葉では「不確実性の中で性急な結論を持ち込まず、神秘さと不思議の中で、宙吊り状態を耐えていく」ことである。本書の面白さは、著者の文学的素養の深さから、さまざまな文学紹介にあると思う。たとえばシェイクスピアのマクベスやリア王、紫式部の源氏物語の分析では、それぞれの作者が物語に解釈の余地を大幅に残し、作者自身によるフレーミングをしなかったことで、かえって生身の人間の複雑さを描き出すことに成功し、のちの読者に多様に受け止められ感動を与える深みを描き出した、と分析している。
私がコンサルタントとして、短期間で何か答えを出すことを仕事にしているほか、自分自身がとにかくはっきりしないことを嫌う性格があるため、そのカウンターアーギュメントとして、どう働き、どう考えるべきか、再考させられる本だった。
また、コンサルティングの領域がリスクマネジメントなので、なおさら、「不確実性による宙吊り状態」の中でどう動くべきか、の考え方が参考になる。ただ、難しい話ではなく、要は、「これまで事故が起きなかったから、今後も大丈夫だ」とか「(本当ははっきりしているわけではないのに)これは〇〇だから××するので良いに違いない」とか決めてかかってしまうことを戒めて、「そんな簡単に結論出せないよね」「何度も何度も現実を確かめていく必要があるよね」と気づかせてくれる本だと思う。いわゆるVUCAの時代にあって、アジャイル的な考え方で何度も現実を認識し直し、行動修正を繰り返していくことが、このネガティブケイパビリティの延長にあると思う。