「空気」の研究 (文春文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 今更ながらという感じですが、今更だから読むべきなのかもしれないという読後感。
    ここで描かれていることですが、年月は流れましたが、さて、変わっているでしょうか。
    多くの教訓があると思います。

  • 「空気」というテーマで1冊の本が書けるというのはとても興味深かった。「空気」に対して「水を差す」という表現もまた面白い。日本人がいかに空気を醸成して、空気に支配されるのかというのを、数々のエピソードや考察で解説されているため、「空気」に対して意識的に考える良い機会になった。一方で、空気がいかに醸成されるのか、その場の人間同士の関係性や議論の運びなどという観点、もう少し考察があると、納得感がありそうだった。

  • 「失敗の本質」を読んだ頃に、日本軍はなぜ無謀とも言える攻撃をするに至ったのか、について書かれている本と知り、メモしてあったので思い出して読んだ。昨今のSNSでの誹謗中傷は、以前からあった日本人の心の根底にある心の持ち方によるのかもしれないと思った。

  • 物凄いパワーを持つ「空気」、我に返るための「水」。
    「空気」は、どこにでもあるが、それに支配されなすいのが日本人。
    自分は「良い空気」を作り出し、勇気を持って「水」をさせる人間になりたい。

  • 日本人の社会の中に存在する「空気」と「水」。「その場の空気」というときの「空気」について、それがどのようにして出来上がるのか。そしてそれを霧散させる「水を差す」ときの「水」とは。本書ではあの太平洋戦争の敗北に至るまでの不思議な現象、戦艦大和の無謀な出撃に至る不思議など、普通に考えれば有り得ないことを、エリートの階級がなぜに決断したのかを、日本人にある「空気」と「水」の研究を通して明るみに出そうとされています。著者の時代である戦後になってもそれが変わらず発生することについて、それを回避するために、その正体を知ることを試みられています。
    科学的なものと科学的でないもの。それは日本だけでなく西欧でもあるのですが、そのとらえ方には、日本と西欧で違いがあり、それが西欧からみて日本の不可解な行動の原因となっていることが分かってきます。自身の決断していることに自覚的でないことが悪化を招いていること。著者はそれを明るみに出すことで解決を見出そうとされています。結局戦後長い時間を経た令和に至っても何も進歩もしていない日本人組織で、反省とともに勉強しなおす必要がある問題だと思います。

  • 日本人の特徴を言語化してくれている良質な本だった。80年代中心の例や出される用語や意味を理解することは容易ではない。しかし日本人を生み出す空気と水の関係からうまく表されていると感じる。今回は10%も理解できていないが、頭の片隅におきながら、また次読むときにはもう少し読めるようになっていたい。

  • 人には、集団、群として、なにかを決めなくてはならない、ということがある。
    そして、その決定が、恐ろしく理不尽で、愚かであるということが頻繁に起こる。
    集団、群れの中に、素晴らしい専門家や知性を持つものがいてさえも。

    人は、個としては、全く強い種ではない。
    集団としては、地球上で最も強い種として君臨しているが。

    今、生きている人には、おそらく、集団の中で生きる、その中に埋没して生きることを快と感じる本能、習性が埋めこまれている。程度の差はあるかもしれないが。
    それは、そういう習性、好みのあるもの以外は、生き残ることが困難であったから。

    では、その集団としての判断は優れているいるのか。
    過去を振り返ると、集団としての判断は、ときにあまりに愚か。
    どうしてか。

    愚かである、と考えられる数多くの決定が、どういう過程を経て、生まれてきたか。
    一神教であるキリスト教が価値観の主軸となる国々と、汎神論的社会の日本の対比を見つつ、読み解く著書。

    何かを知るためには、何か、の外部を知ることが必須なのかもしれない、とも感じた。

  • 日本的平等主義がよくわかる。
    日本的な「人間はみな平等である」は、人間を尺度にして、みなが同じ結果になるようにするものである。人と人との間に差をつけない、同質なものを求める考えである。これは、徒競争ではみんなで一緒にゴール、という妙なことになる。
    集団や組織では同質が求められるので、「個人」や「自由」は排除されてしまう。
    著者の語る『われわれの社会は一蓮托生、罪九族に及ぶ、連帯責任の社会、いわば集団倫理の社会、それが日本的状況倫理の基盤になっている』、これこそが、日本社会に特有の空気であり、個人としての生きにくさなのだと感じる。

  • 「現場の空気」といった表現に見られる「空気」、「水を差す」といった表現に見られる「水」に注目し、「空気」の拘束に対して「自由」であるとはどのような位置にあるのかを考えるための前提として、「空気」の実態をつかむための研究が著者の実体験や歴史から行われている。

    文章は決して易しくはない。触れられている歴史的な出来事も第二次世界大戦付近のものであり、例を挙げると野中郁次郎の作品に方向性が似ている。


    本書は大きく以下の3つの部分に分かれている。

    ・「空気」の研究
    ・「水=通常性」の研究
    ・日本的根本主義について

    「空気」の研究では、公害も問題などを例に挙げて、空気とは感情移入を前提とした臨在感的な把握(背後に何かがあると感じること)であるとして、対象を絶対化することで人間が逆にその対象に支配されてしまい、対象を解決する自由を失ってしまうのだとしている。

    「言必信、行必果」(これすなわち小人なり)をとりあげ、これを見事な日本人論として、以下のように書く。

    > 大人とはおそらく、対象を相対的に把握することによって、大局をつかんでこうはならない人間のことであり、ものごとの解決は、対象の相対化によって、対象から自己を自由にすることだと、知っている人間のことであろう。

    続く「水=通常性」の研究では、空気の支配に抵抗するための知恵である「水を差す」という方法について言及する。水とは、

    > 最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人々を現実に引き戻すことを意味している

    として、「水」の連続、一種の「雨」が現実であり、これが自己の「通常性」であるとしている。この水を指す自由を確保することが「自由」であり、空気の拘束から逃れるのに必要なものであるとしている。

    あとがきにある記述が本書のテーマをよく表している。

    > 何かを追究するといった根気のいる持続的・分析的な作業は、空気の醸成で推進・持続・完成できず、空気に支配されず、それから独立し得てはじめて可能なはずである。...再把握すること。それだけが、それからの脱却の道である。人は、何かを把握したとき、今まで自己を拘束していたものを自分で拘束し得て、すでに別の位置へと一歩進んでいるのである。

  • 空気を変えるには”水を差す”ことが大事と書かれていて、まさにそうだなと思った。
    さらにはその差した水によって空気が変わると新しい考えさえも凝り固まった空気になるリスクがあると指摘されていたのも印象深かった。

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著者プロフィール

1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。
著書には『「空気」の研究』(文藝春秋)、『帝王学』(日本経済新聞社)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』(以上、さくら舎)などがある。

「2020年 『日本型組織 存続の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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