- Amazon.co.jp ・電子書籍 (357ページ)
感想・レビュー・書評
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ハワイのハワイマイマイというカタツムリは、歌うという。真夜中に天球の音楽からのこだま、と表現される音は、なんとも神秘的なイメージを感じさせる。カタツムリが歌うとか鳴くなんていうと、なにかの間違いじゃないかとは思う。ただそれはもう確認することはできないのだそうだ。ハワイマイマイは、ほとんど絶滅してしまったから。
カタツムリを軸に語られる進化論の話。カタツムリって、進化論研究にそんなに結び付けられていたとは知らなかった。ときに著者ご自身の経験も踏まえつつ、各国の進化論研究の変遷について語られる。
進化において、適者生存はよく語られる概念だ。ときに市場であったり、なんらかの業界において、優れたものが勝ち、状況に適応できないものは淘汰される、なんて利いた風な話もあるけどさ。俺が以前読んだ本によると、適者生存とは生き残った者が状況に対して適応していたというだけの話であって、優れたものが生き残るという話ではない、ということだった。本書によると、でもそれには既定の理論というわけではなかったようだ。ランダム進化対適応主義という論争があったんだね。ひょっとしたら、まだどこかで概念の変更があるのかもしれない。
学術的な論争というのは、ドラマだね。
面白かった。
最後に、著者自身の経験から歌うカタツムリの真相と思われるものが語られる。進化って、ロマンだなぁ。 -
歌うカタツムリを巡り、進化の螺旋階段を回る面白い本です。
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サブタイトルは「進化とらせんの物語」というように、研究は、ぐるぐる回って進むときもあれば後退するときもある。まるでカタツムリの殻のデザインのごとく。
著者は、カタツムリの進化という狭い分野の研究を通して幅広い世界を見ることができるかという視点から書いたとある。
カタツムリの研究一つとって見ても、一筋縄ではいかない。なぜならは、研究しているのが人間であり、諸般の事情や忖度があるからだ。それにカタツムリに文字を残すだけの高度な文明が発達していないのも関係する。
この本の中で日本がカタツムリの研究対象として重要で、日本人研究者もカタツムリの進化に関する論争に関わっている。
読んでみてすっきりしない気がするが、対象がカタツムリだけに頭の中がぐるぐる回ってしまうのかな。 -
カタツムリの研究の視点から進化論の研究の移り変わりを解説。
理論がどう、と説明するだけでなく、どの研究者がどういう研究でその理論に至ったか、それは学会にどういう論争を起こしたか、が細かく書かれていて、読み物としても面白かった。
ダーウィン、ギュリック、木村資生らの著名な研究者が登場する。グールドは直接面識があるとのこと。
進化は麻雀に似ている、というエピソードはなるほどと思った。
しかし、そういった知的な刺激に満ちた内容は、20世紀末から今世紀にかけて離島のカタツムリが相次いで絶滅するという悲しい話で幕を閉じる。
アフリカマイマイを撲滅するために人為的に持ち込んだ生物(ヤマヒタチオビやニューギニアヤリガタリクウズムシ)が食べ尽くしてしまったせいであり、そのような安易な「科学的知見」の応用は何度も取り返しがつかない結果を招いたと訴える。
そして、科学的研究の価値を役に立つか、役に立たないかで評価し、役に立つものだけに投資しようという考えは科学にも、科学の外側にも災厄をもたらすと警告している。