流浪の月 [Kindle]

著者 :
  • 東京創元社
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感想・レビュー・書評

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  • 『彼が本当に悪だったのかどうかは、彼と彼女にしかわからない』。

    私たちは、日々夥しい量のニュースに接して生きています。○○で交通事故が起こり、△△で殺人事件が起こり、そして海外では爆撃で××名の人が亡くなった…空調の効いた快適な部屋の中で、私たちは世界中で起こる出来事をいとも簡単に知ることができます。江戸時代に”瓦版”として、庶民に届けられた時代から、私たちの”知りたい”という欲求を満たしてきたニュースという存在。

    そんな今を生きる私たちは、インターネットというさらに強力な道具も手に入れました。一方的に流れてくるテレビやラジオのニュース、編集者が伝えたいものを目立たせて届けられる新聞と違って、私たちは、インターネットを使うことで、自分が知りたいと思ったことを知りたい時に自由に深く知ることができるようになりました。人が何に関心を持つかは当然に異なります。知りたいと思うことをその人の意のままに知ることのできるインターネットという道具は登場して然るべきものだったと思います。

    しかし、そんなインターネットも諸刃の剣の側面があります。その一番大きな点が、過去に遡ってなんでも調べることができるということです。その瞬間のニュースだけでなく、過去のニュースをも自由に調べることができるというのはとても魅力的です。大きな図書館にでも行けば過去の新聞を見ることはできます。しかし、そこに自分が知りたいと思う記事を特定するのは容易ではありません。インターネットではそれはいとも簡単にできます。しかし、その優れた側面は、いつまでもその情報が消えないということに繋がります。昨今問題になっているリベンジポルノによる画像の拡散に挙げられるように、消えるべき内容、消すべき内容であっても消えない、消せない、いつまでも残り続けるという問題があります。時の流れによって人の記憶は薄れていく、当たり前と思えるこの感覚がインターネットによっていつまでも消えないどころか、残るが故に、新しい人の記憶にまでも刻まれていく、そんな繰り返しの状況が生まれてもしまいます。

    そして、そんなふうに消えない事象は夥しいニュースの一つ一つについても言えることです。書かれている記事を見ると、私たちはそれがあたかも『真実』かのように受け取ってしまいがちです。もちろん、そこに書かれる事ごとの多くは、現実世界に起こった『事実』なのだとは思います。しかし、それが本当のこと、つまり『真実』かどうか、その本当のところはその当事者にしか分かりません。その事象が二人の間で起こったことであれば、その『真実』は、二人のみぞ知るところなのだと思います。

    さて、ここに、『デジタルタトゥーという消えない烙印を、わたしと文が押された瞬間だった』という先の人生を歩む主人公を描いた作品があります。『いたわりや気配りという善意の形で、「傷物にされたかわいそうな女の子」というスタンプ』を押された主人公が描かれるその作品。そんな行為を、『みんな、自分を優しいと思って』行っていることに苦悩する主人公が描かれるこの作品。そしてそれは、『わたしがわたしでいるために、なくてはならないもの』の存在を感じる主人公の姿を見る物語です。
    
    『更紗はどれが好き?』と『小学校に入学する前』、父親と母親から問われ、『お母さんがお友達から借りてきたカータブル』を選んだのは主人公の家内更紗(かない さらさ)。『昔より軽くなったと思うけどなあ』と言う父親は、自分が『借りてきた赤いランドセル』を見ます。『重いことはそれだけで有罪だわね』と言う母親のことを『我慢をしない。だからママ友がひとりもいない。しかし、そのことをまったく気にしていない』人だと更紗は思います。『市役所に勤めていて気の合わない人とも』おつきあいをする父親のことを『すごい、大好き』と言う母親。その昔、『野外フェス』で知り合った二人は、その場で意気投合し、三ヶ月後には結婚しました。夫婦仲が良く『いつも仲良くくっつきたがる』という両親の下、『我が世の春とは、あのことだった』、『あの幸せは永遠に続くと、わたした信じていた』とその時のことを振り返る更紗は、『それが、なんでこんなことになっちゃったんだ』という今を思います。『最初にお父さんが消え、次にお母さんが消え、わたしは伯母さんの家に引き取られることになった』という展開。『家内更紗です。なかよくしてください』と挨拶した学校では、空色のカーダブル』が失笑の的となり浮きまくる更紗。元々『仲のよくない姉妹だった』伯母は、母親のことを悪く言ってばかりという家で居場所のなさを感じる更紗は、変に絡んでくる『ひとり息子である中二の孝弘』のこともあって、『帰りたくない。伯母さんの家では息が詰まる』という日々を送るようになっていきます。そんな中で、『少しでも痛みを取り除くために』『常識のある子供のふりをしはじめた』更紗はやがてクラスメイトと遊べるようになっていきます。そんなある日、『またあいつきてるよ』という友人の言葉の先に一人の『若い男の人が』ベンチに座っていました。『ロリコンと呼ばれていた』その男を気にする更紗は、本を読むフリをして向かいのベンチに座るようになります。『もしかして、あの男の人もどこにも居場所がないのかな』と思う更紗。一方で、伯母さんの家では『お風呂場の鍵を閉めることを覚え』るなど状況は悪くなっていました。そんなある日『家に帰ったら、孝弘が死んでてくれないかなあ』と考えていた更紗の元に『帰らないの?』と男の人が声をかけてきました。『帰りたくないの』と答える更紗に『うちにくる?』と言う男に、更紗は『いく』と答え、男のマンションへと足を踏み入れます。そして、『文でいいよ。佐伯文(さえき ふみ)』と言う男の家に泊まることになった更紗。『文、わたし、ずっとここにいていい?』と泣きそうに言う更紗に『いいよ』と返す『十九歳の大学生』の文。『わたしはもうあの家に帰らなくてもいいのだ』と安堵する更紗は文の家で暮らし始めました。そんな『お父さんに似た文』との暮らしに平穏を感じる更紗。しかし、そんなある日、『行方不明になっているのは小学四年生、九歳になる家内更紗ちゃんです』とテレビから突然自分の名前が聞こえてきて驚く更紗。そんな更紗と文のその後を描く物語が始まりました。

    2020年の本屋大賞を受賞したこの作品。2022年には広瀬すずさん、松坂桃李さん主演で映画化もされています。そして、この作品は2022年2月に文庫化もされていることもあってブクログのレビューもたくさんの投稿の中に盛り上がりを見せています。

    そんな物語は全六章から構成されていますが、絶妙な視点の切り替えによって主人公となる更紗と文の感情の深いところまでがすべて読者に伝わってきます。まずは、そんな物語の構成をネタバレにならないように気をつけながら見ていきたいと思います。

    ・〈一章 少女のはなし〉: この作品を読み始めた読者がまず目にするこの〈一章〉。しかし、このわずか数ページの短い”序章”は読者の頭には、まず残らないと思います。しかし、そんな読者に”デ・ジャブ”の瞬間が訪れ、読後必ず再読したくなる、それがこの〈一章〉です。視点は特定の人物ではなくギャラリー視点という言い方になるでしょうか?

    ・〈二章 彼女のはなし I〉: 幼い日の境遇が描かれていく更紗視点の物語。『我が世の春』と思う幸せな日々を送っていた更紗は、伯母の家に引き取られ、人生が暗転していきます。そんな中に、子供たちから『ロリコン』と呼ばれ『連れていかれるよ』と遠巻きにされていた文と出会い、文の家で暮らし始める更紗。そして運命の日へ向けた展開が描かれていきます。

    ・〈三章 彼女のはなし II〉: 全体の3分の2を占め、この作品の中核と言える更紗視点の物語。『高校を卒業し』、働き始めた19歳の更紗の日常が描かれていきます。『どれだけ口を閉ざしても、わたしの名前はわたしを自由にはしてくれない』と、かつての『「家内更紗ちゃん誘拐事件」の被害女児』という好奇の目を向けられる更紗は、ある人物と偶然に再会します。

    ・〈四章 彼のはなし I〉: 『自分の身体に違和感を覚えたのは、なにがきっかけだったろうか』と過去を振り返る文視点の物語。『おそらくぼくは、あのとき無意識に覚悟を決めたのだろう』という文視点だからこそ見える〈二章〉の物語を別視点から見るとどう見えるのかが、具に綴られていきます。それは、〈三章〉の別視点でもあり、読者は物語の全てを目にすることになります。

    ・〈五章 彼女のはなし Ⅲ〉: 〈三章〉の後日談を更紗視点から見る物語。〈一章〉同様に非常に短い章ですが、この章の存在によって、読者は〈三章〉の物語の中に引っ掛かりを感じていたはずの事ごとが決着するのを見ることになります。『わたしの心も、少しずつ変化している』と、更紗が視点を未来へと向けていく、そんな瞬間を感じさせる、短いながらも味わい深い物語です。

    ・〈終章 彼のはなし II〉: 『あの騒ぎから五年』という歳月が過ぎ去った先の文視点の物語。あまりに短く、なんと言っても〈終章〉なのでネタバレを避けるとほぼ何も書くことはできませんが、『事実と真実はちがう』。読者は全てを知る一方で、物語の中の更紗と文以外は『真実』を知らない、『真実』を知ろうともしなかった。そして、それはこの作品から離れた私たちの日常に当たり前に存在してしまっていることなのではないか、そんな風に感じさせる絶妙な結末が描かれます。

    六つの章を簡単に見てみましたが、ネタバレしないようにこの物語を説明するのはなかなかに容易ではないと感じました。それは、この物語の基本がとてもシンプルで分かりやすいということがあります。”再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める”と内容紹介にうたわれるこの作品、それは更紗と文の再会が巻き起こすこの物語を絶妙に言い表してもいます。それと同時にこの作品は究極、そんな男女の再会の物語と、シンプルに言い切ってしまえる物語でもあります。しかし、この物語の読み味はそんな構成のシンプルさが故にそれを読む読者の胸に切々と響いてくる更紗の心の叫びを聞くところにあります。

    ”「人と人は分かり合えない」というのが私の基本的な考え方なんです”と語る凪良ゆうさん。そんな凪良さんは”分かり合えないからこそ、「分かる」と感じられる一瞬があったらもうそれで十分”と続けられます。この作品で描かれた主人公の更紗は、奔放とも言える母親の元で育ちました。そんな母親の下で育った更紗が、伯母さんの下で暮らすようになった時、『わたしの常識は伯母さんの家の非常識である』ということに気づいていきます。しかし、更紗は、そこで”分かり合えない”とするのではなく、『常識のある子供のふりを』することで、”分かり合う”努力をします。それは、自身の『無限に続いていく日々から、少しでも痛みを取り除くため』という切実な思いでもありました。しかし、エスカレートする孝弘の行為に『少しづつ状況は悪くな』り、『安心できない日々』が更紗の生活を覆っていきます。そんな中で、『ロリコンと呼ばれ』ていた文と出会う更紗は、文の元へと逃げ込む選択をしました。『ロリコン男』の家に、行方知らずだった九歳の女の子がいた、ニュースを見る第三者の一般人視点であれば、間違いなくその全員が『ロリコン男』の犯罪であると糾弾の目を向けるはずです。そのことに意を唱える方が問題だとも言えます。しかし、この作品を読む読者は、物語を神様視点で俯瞰することができることもあって、そのどこに問題があって、何が正解なのかを知ることができます。しかし、その一方で、物語内に登場する数多の人々は、普段私たちがニュースで同じ光景を目にしたなら…という視点でそれぞれが『思いやり』の行動を更紗にとります。ここに、ある意味でのもどかしさが生まれ、読者はそのことに苛まれてもいきます。

    そんなこの作品を読んで、改めて思い知らされることがあります。

    『事実と真実の間には、月と地球ほどの隔たりがある』。

    気づけそうでいて、なかなかに気づけないこの視点。そして、そうであるが故に、『事実』として見えるものに人は引っ張られてもしまいますし、その『事実』をいつまでも絶対のものとして引きずってしまうようなところがあると思います。ここに、この国に存する不幸が結びつく余地が生まれてしまいます。それが、”日本はいちど失敗してしまうとそこから這い上がるのがなかなか難しい国になってきているように思います”とおっしゃる凪良さんの言葉です。今の時代、さまざまな情報を誰もが容易に入手できるようになりました。そんな中に、

    『デジタルタトゥーという消えない烙印を、わたしと文が押された瞬間だった』。

    という現実に遭遇したとしたらその先に何が待っているでしょうか?一度犯してしまった”失敗”、たった一度の”失敗”を、どんなに時間が経っても消すことのできない時代、それは、情報を容易に入手できる時代だからこそ、その反面にあるものだと思います。この作品では、『事実と真実は違う』と主人公の更紗が語る先に、主人公たちの苦悩を見る物語が描かれていました。実は、この作品を読んでいる中、私の頭の中にはある作品がダブり重なるように浮かび上がりました。

    角田光代さん「八日目の蝉」

    “憎みたくなんか、なかったんだ。私は今はじめてそう思う…あの女も、父も母も自分自身の過去も”と主人公の恵理菜(薫)の心の叫びを聞くその物語。物語の背景もテーマも何もかもが一見異なる二つの物語ですが、「八日目の蝉」と「流浪の月」には共通する点があります。それが、幼き頃に片や誘拐、片や自身の意思(事実としては誘拐)された幼き少女が、大人になってもその事象に引きずられていく様を見る物語という点です。物語に登場する第三者含めた人物たちが見ているもの、見えているものと、読者が神様視点で俯瞰して見えるものとの違い、そのことによって読者が言いようのない思いに苛まれる物語。角田さん、そして凪良さんのいずれもが登場人物の心の機微の描写に卓越した筆の力を発揮される作家さんだからこそ浮かび上がってくる、苦悩に喘ぐ主人公の心の声を読者が痛いほどに感じる物語。この二つの作品はこの点でとても似た苦しみを読者に感じさせる物語だと思いました。

    『この世界のどこかに、わたしをつかんで放さないでいてくれた人がいる。それは十五年間、わたしを支え続けてくれた』。主人公の更紗が心からそう思う瞬間を感じる様が描かれるこの作品。そこには、『わたしがわたしでいるために、なくてはならないもの』を想い、そんな存在を心の拠り所に、それでも一日一日を生きていく主人公・更紗のひたむきな生き様が描かれていました。巧みな視点の切り替えによって、読者が神様視点から物語の全てを俯瞰できるこの作品。そんな物語の中に、この国で一度でも失敗してしまうことの怖さも感じたこの作品。

    極めて読みやすい物語の中に、凪良さんが描こうとされた人と人との間に紡がれた絆の存在に感じ入る絶品だと思いました。

  • あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。
    わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。
    それでも文、わたしはあなたのそばにいたい―。
    再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、
    運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。


    9歳の更紗はマイペースで変わっていると言われているママと、
    そんなママを愛している市役所勤めのパパと3人で、
    自分の意見を尊重してくれ幸せに暮らしていた。
    しかし、優しいパパが亡くなってから弱いママは泣きながらお酒を飲んでばかり。
    そうするうちに何人目かの恋人と失踪。更紗を捨てて出て行った。
    家庭は脆くもあっけなく崩れ去ってしまった。
    更紗はママの姉、伯母の家に引き取られるもその家の中二の従兄弟に
    性的虐待をうけていた。
    家に帰りたくないと暗くなるまで公園で過ごすようになった。
    公園でいつも見掛ける男性の文に家に帰りたくないと声を掛けると、
    家にくるって言ってくれた。
    文は育児書に縛られた母親によって「正しい生き方」から一歩も外に
    踏み出す事が出来ない性格。
    しかし、奔放そのものの更紗によって少しずつ正しい生き方の外へ
    踏み出し始める。
    二人の生活はとても穏やかで楽しいものだった…。

    15年後同僚に連れていかれたカフェで再会する。
    後でわかるんだけど、文も更紗に会いたくてこの地でカフェを開いたのに、
    4年待って更紗が来店しても気付かぬふり…。

    事実と真実は一致しない。
    世間は幼児誘拐…幼児を愛する犯人と被害女児としかみていない。
    ネットの世界ではいつまでも何年経とうとも消えてはくれない。
    何年経っても加害者被害者の今を追跡し、アップする人がいる。
    切ないし、腹立った。
    周りに実際に居る人は、善人の仮面を被り、真実かどうかなどおかまいなしに、
    自分の想像で勝手に他人を憐れんだり裁いたりする。
    実際世の中にはこんな人が溢れているんだろうな。
    文と更紗の愛ではないけど、二人でいないといけないという思い。
    お互いを必要とする気持ち…。
    二人に安寧の日々が訪れる事を祈らずにはいられなかった。
    二人の未來が穏やかなものであることを祈らずにはいられなかった。

    とても良かった。引き込まれて読んだ。素晴らしいお話だった。
    ただ、物語の初めにカタカナの言葉がこれでもかって出てくる。
    日常に馴染みのない言葉の数々。
    馴染みのある人にはサラリと読めるのかもしれないけど、馴染みのない私には
    何をきどってるの…って感じてしまった。残念でした

  • 難しいテーマの作品だったが、読み終えて清々しい気持ちでいる。LGBTなど性的少数者や性の多様性、DV加害者と被害者について、『事実と真実は違う』というテーマ、同じ出来事も当事者と第三者とではまるで違って見えること、考えさせられた。
    BL作品の著者としての実績を踏まえて、一般文芸作家となったことは「解説」を読むまで知らなかった。2020年本屋大賞を受賞しベストセラーとなった凪良ゆうの代表作であり、読み応えのある作品だった。

  • 「事実」と「真実」は違う。

    「事実」は実際に起こった出来事、
    「真実」には実際に起こった出来事と事実を取り巻く当事者が持つ本当の心理的背景。

    事実と事実の間の行間を、当事者の抱えた「真実」を知らずに、根拠の無い偏見や憶測で埋めることがいかに当事者を傷つけるのか、考えさせられる一冊でした。相手の考えや意思を知らないまま、知ろうとしないまま、同情することで更に相手を傷つけていたのかも。自分が「右」だと思うことも、相手にとっては「左」かもしれない。無意識に自分の理想・価値観を相手に押し付けていたことを反省しました。

    「同情」:他人の気持ち、特に苦悩を自分のことのように親身になって共に感じること。

    同情する人は多い。けれでもその感情の中に「好奇の目」や「劣る相手を見て優越感・安心を得る自分」が無いと言えるのか?人の不幸は密の味、という言葉があるように、人間は他人の不幸を見て自分の幸せを感じる醜い一面がある。そういった自分中心な考え無しに周りの人と接する人になりたいです。

    最後に改めて、根拠の無いメディア情報には踊らされない。常に裏を取ります。

  • この手の話はあまり得意ではないはずなのに、最後まで一気に読めた。
    文章が淡々として、変に凝った書き方をしていないところが良かったのだと思う。
    共感とか、そういったものはなかったけれど。
    終わりかたも良かった。二人の未来が穏やかであって欲しいと思う。

  • 読みやすく優しく流れるような文章でした。
    BLの作家さんとか。
    ほかの作品も読んでみようかな。

    愛というものでもなさそうで、
    さりとて、愛ではないと言い切れない。
    多様性の現代に、
    二人のような関係性はありなのでは?


  • 主人公2人
    女性:最近、こういう事例が特異でない時代になったので、益々、増えていくような気がした。
    男性:特異の人だけど、まだ、直せない病なのかな?

    前例がないけど、法的に男性は咎めることられるのか?と思った。初動がはやければ、DNA鑑定で、白は明白。

    そんな突っ込みを入れたら、物語は成立しないが、ハッピーエンドで終わったのは良かった。

    私的には離婚もつれで、沖縄で心中や殺人をなぜか、期待してしまった。

  • 不幸な出会いをした文と更紗の物語。後半やや説明的になるが、2人を中心とした静かな世界ができるだけ続くことを祈りたい。店長や安西さんなど、登場人物もいい味出してる。

  • すごくすごく良かった。
    この本を「こういう話」と簡潔に説明したくない。
    彼女を「こういう人」とも彼を「こういう人」とも言いたくない。

    愛とは主観的なもの。
    自分自身がどんな人か、
    愛する人がどんな人か、
    自分のその人への思い。
    全部自分の心の中にだけ存在すれば良い。
    そしてそれが愛する人の心の中と少しでも重なったら、こんな幸せなことはないだろう。

    感情は絶対的なもの。
    人の心理や行動は、他人に勝手に定義づけられたり、理由づけられたりしがちだけれど、
    その時の感情は自分だけのもので、自分にとっては絶対的なもの。

    大好きな「her」という映画を思い出した。
    どんな形であろうと、愛は存在しえる。

    細かい描写や表現もものすごく美しくて、
    本当に素晴らしい作品だった。

  • 文と更紗、2人にしかわからない、言葉にならない関係が切なく、苦しく、美しく、そして愛おしく感じさせる物語。

    「好き」なんて言葉に形容できない人に出会った時、(猟奇じみてるかもしれないが)とにかく名前で検索してしまう、その人の住む町を調べてしまう、出会えるかと思って彷徨ってしまう。「恋」ではないが、そんなことをしたい衝動に駆られる経験をしたことがある人も少なくないのでは?(実際に行動に起こすかどうかは別にして。いや、私だけか...?)
    そんな更紗の想いがあまりにもリアルに描写されているもんだから、あっという間に物語に引き込まれてしまった。

    そして、物語の中でははっきりとした病名は描かれていなかったが、クラインフェルター症候群であろう病気に長年苛まれる佐伯文。彼の持つミステリアスな雰囲気がこの物語をより一層魅力的にさせていたのは間違いない。架空の人物なのに、もっともっと彼を知りたいと思ってしまった。

    マイノリティが受け入れられやすくなった近年ではあるが、他人に言えない性の悩みを抱える人は想像以上に多い。
    そんな人たちが少しでも幸せに過ごせる世界になって欲しい、そんな想いが強くなる一冊だった。

    こんな救いのない世の中だけれども、どうか物語の世界では文と更紗が幸せに過ごし続けられますように。

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著者プロフィール

1973年生まれ、京都市在住。2007年、BLジャンルの初著書が刊行され、デビュー。17年『神さまのビオトープ』を刊行し、高い支持を得る。19年『流浪の月』と『わたしの美しい庭』を刊行。20年『流浪の月』で「本屋大賞」を受賞する。同作は、22年に実写映画化された。20年『滅びの前のシャングリラ』で、2年連続「本屋大賞」ノミネート。22年『汝、星のごとく』で、第168回「直木賞」候補、「2022王様のブランチBOOK大賞」「キノベス!2023」第1位に選ばれ、話題を呼ぶ。翌年、同作の続編にあたる『星を編む』を刊行した。

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