同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書) [Kindle]

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  • 日本には社会がなくて世間がある。お返し文化で借金の踏み倒しができない。治安がいいので法律を守れではなく、人様に迷惑をかけるなになってしまう。だから人に迷惑をかけないように自殺者が多い。これはおかしい!
    なんで犯罪者の親まで世間から怒られるのか?よく考えると意味不明。
    社会がないから、生活保護を受けられなかったり、ひとり親で児相に相談するのが恥ずかしかったり、社会サービスを受けることができない雰囲気になってしまう。そして、命が消えてしまう。
    少なくともたくさんの世間の中で生きることが必要。でないと息苦しさで窒息してしまう。

  • 軽くて薄い対談だが,意外と良かった。
    空気とは世間の流動化したものである。日本には社会がなく世間だけがある。世間とは見知った者同士の関係性,社会とは知らない者との関係性。世間-間-存在。
    空気と同調圧力の密接性は認識していたが,世間と繋げて考えてみたことはなかった。古典である『「空気」の研究』や『タテ社会の人間関係』も読んでみる気になった。
    世間学会を立ち上げたのが阿部謹也であるというのも興味深い。

  • 個人的に気になっている鴻上尚史さんと、佐藤直樹さんのコロナ禍初期の対談をまとめた本。
    主に、「社会」と「世間」の違いを論じ、いかに日本人が「世間」を意識し行動しているか、縛られているかが浮き彫りにされている。

    鴻上さんによると、「世間」は「あなたと関係ある人たち」で成り立っており、「社会」は「あなたと何も関係がない人たちがいる世界」だ。日本人にとって、前者の「世間」を意識するのが当たり前の感覚であり、日常的に物事を「世間」のウチとソトに分けて考えている。
    そして、「世間」のウチでは周りの人に迷惑をかけることがタブーとされており、もし目立ったことをしたり何か他社が不利益を被ることをしてしまうと、あっという間に排斥されてしまう。
    コロナ禍でのいわゆるマスク警察や他県ナンバー狩り等は、正義感を振りかざす快感だけが理由ではなく、この「世間」に脅威をもたらした因子を排除する、という大義名分のもと行われたと思われる。
    また、「世間」の秩序を保つのは暗黙のルールであり、日本においてはコロナ禍で「自粛」を「要請」された。これは本来強制力がないはずであり、明らかに他国と異なるものであるが、当然のようにみんながエンタメを始めとする外出を自粛し、マスクを装着するようになった。

    自分語りになるが、日々の生活で何となく息苦しさを感じることもあったが、それがこの世間への同調圧力によるものだとはっきりと自覚したのはコロナ禍であった。
    中でも、友人の都内在住のアメリカ人との会話の中で日本社会の異質さに気づかされることが多かった。
    コロナ禍を思い出すと、たとえ呼吸が息苦しくてもマスクを着けていなければ明らかに他者の目線が気になったし、表立って旅行に行っていることをいうのもはばかられた。
    一方で、諸外国でコロナ対策が打ち切られた頃にようやく結婚式や会社での会合などが再開した時にも、「写真撮影の際だけマスクを外すのはOK」「レストランに行くまではマスク、ご飯を食べ始めたら外す、終わったらつける」みたいな意味があるのだかないのだかわからない感染対策をとっていた。
    こう書き連ねてみるとマスクについてばかりだが、マスクをすることだけで「私は世間の一員ですよ、秩序を守っています」と周りにポーズをとって見せることができていたのだと思う。(もちろん、リスクを過剰に恐れる傾向があることもあると思う。感染症リスクはゼロにできないことから、結局自粛解除も遅くなってしまったと思うが)
    一定程度感染症予防効果はあったのかもしれないが、結局日本でも第N波がぞくぞくと訪れたことから、必ずしも必須のものではなかったのかもしれない。ただ、「つけるつけないは個人の自由では?」と思っても、それを表立って発言するのはあり得ない、というような雰囲気だったように思うし、自分の考えを抑圧されているようで閉塞感を感じていた。

    また、医療従事者に対する差別もあったと思う。これはいわゆるケガレを遠ざける文化からきていたのかもしれないが、考えてみればひどい話だと思う。差別をする側は、自分が絶対にソトの人間にならないと信じ切っているから安心して発言できているだけ、ということを自覚したほうがいいだろう。

    「世間」の目を気にして生きることは、組織の一員であるときはある程度の安全は保障されるが、暗黙のルールから逸脱しないようにと気を遣うあまり息苦しくなってしまうこともある。
    本書の中では、複数の「世間」を持ち、渡り歩くようなスタイルが提言されている。
    自分の所属するコミュニティが複数あれば、たとえある一つから追い出されたとしても、即座に自殺を考えるほど追いつめられることもない。

    社会の多様化・グローバル化が当たり前となっている昨今でも、日本では外国人をソトと考える文化が依然としてあるような気がする。
    日本で日本人として生まれ育った外国にルーツがある人に対しても、見た目が日本人らしくなければ平気で「日本語上手ですね!」と言ったり、電車の中でマナーが悪い人がいた時に、日本人相手にはにらみつけたり小言を言ったりするのに外国人の風貌をした人に対してはだんまりを決め込んだりと、枚挙に暇がない。
    たしかに「世間」は災害時などの秩序の維持には一役買っているところもあるが、今後移民の増加や価値観の多様化に伴い、暗黙の了解と空気を読んだ行動を前提とするこのありかたはどこまで通用可能なのか、日本社会の変化を阻んでしまうのではないかと懸念してしまう。
    欧米のほうがいい、日本はだめだ、と言いたいわけではないが、人々が息苦しいと考えて自殺するような社会ではなく、多様な人々が自尊心を持って生きていけるような社会であってほしいと思う。

  • 日頃から日本の同調圧力や世間に息苦しさを感じていたので、やっぱりそうだよなという気持ちになりながら読みました。
    複数の世間に薄く属するという方法も、明文化できていなかった現実を明文化してもらった腹落ち感がありました。
    一方で、SNS上でも世間しか認識できない人に、社会の一員であるという感覚をどう掴んでもらえるか、はたまた自分自身も社会の一員であるという感覚を持っているのかという問いも生まれました。

  • 【まこ記入 2023.4.5】

    同調圧力
    鴻上尚史・佐藤直樹
    さらに同調圧力の正体を知りたくて手に取りました。
    どうして日本社会は息苦しいのかの理由がわかりました。
    「同調圧力」を「空気」と置き換えて考えていたのですが、
    「世間」と考えると、理解が増しました。
    世間体、世間の目、世間様、世間知らず、世間話、、、、
    世間と社会の定義づけによって、日本社会の構図が明確になります。
    そもそも外国には、社会はあるけど、世間はないらしいです。

    https://www.facebook.com/groups/898247247572913/permalink/1089763451754624/

    https://note.com/prometheus1966/n/n363a990493c3

  • 「私はこう思う」の域を出ない主張が多かったけれども、日本では「世間のルール」が「法のルール」より優先されるという論はその通りだと思った。たった一つの「強い世間」よりも複数の「弱い世間」に属することで息苦しさは軽減される。これはメンタルヘルスの分野でも言葉は違えど言われていること。共同体優位の「世間」から個人を尊重する「社会」に移行するにはまだまだ時間がかかる。「世間」の正体を見極めつつ「楽かもしれない」道を模索しよう。

    佐藤、「世間」を構成する4つのルール。①お返しのルール。②身分制のルール。③人間平等主義のルール。④呪術性のルール。 アマビエブームは④に該当するとのこと。

    同調圧力、忖度、ひきこもり等は日本固有の概念で、英語にするときは似て非なる言葉に訳されたり、ローマ字表記になったりするらしい。

  • 自分が属する「世間」たくさん作る、というのがいいなあと思います。
    「世間」は自分でコントロール(属するか、属しないか選ぶ)できる、できるようになる、ということを息苦しさを感じていた昔の自分、今の若い人たちに教えてあげたい。
    それを信じて、なんとか生き延びてほしいと思います。

  • 同調圧力、結局、何事も良い面、悪い面はありますね。

  •  “同調圧力”、とりわけ昨今の世の風潮の中、よく耳にするフレーズです。本書は、その“同調圧力”をキーワードにした、作家の鴻上尚史さんと評論家の佐藤直樹さんとの対談集です。
     とても興味深いテーマではありましたが、正直、私としては取り立てて新たな気づきは得られませんでした。
     これは、決してお二方の論旨を否定するものではありません。私ぐらいの年代は、ちょうど学生時代に“日本人論”が一世を風靡していて、「菊と刀」「日本人とユダヤ人」「「空気」の研究」「タテ社会の人間関係」等々の等々といった著作は必読書だったんですね。

  • ■戦争は軍部が暴走し独走した結果だ、あるいは独占資本がけん引したなど様々な意見があるが、国民やメディアがその空気を作り出したことが一番の原因である。
    ■1940年に「7.7禁令」問症例が発表された。ぜいたく品の製造や販売を禁止したリストであるが、高級品、例えば一定額以上の腕時計や靴、ワイシャツなどもリストに入れられた。この「7.7禁令」が出たとき街に張り出された標語には「日本人なら贅沢はできないはずだ」と記されていた。これは同調圧力を見事に一言で表した標語。このマインドは今も何も変わっていない。戦前は「隣組」とか「国防婦人会」が「反日」を細かく監視し、今はネットが担当している。
    ・それを日本人の美徳だとか或いは、「民度」と言っている
    ・従わないものが白眼視されていく
    ・空気を読めといった感覚に支配される
    ■(感染症対策で)欧米は厳しい対応をした。外出禁止命令を出しマスクの着用を義務付け、違反に対しそれなりの罰則を設けた国も少なくない。一方、日本は強制力もなければ補償も明確でない「緊急事態宣言」で自習も要請ばかりで海外から「ゆるすぎる」といった批判があったが日本人はこれで充分。罰則がなくとも人々は羊のようにおとなしいし従順にこれを受け入れる。
    ・「周囲の目の圧力」つまり同調圧力が極めて強いから強制力のない自粛や要請であってもそれを過剰に忖度し自主規制する
    ・周りが自粛や要請に従っている場合、それに反することをすればまちがいなく「空気よめ」という圧力がかけられる
    ■命令がないのになぜ自粛や災害時の冷静な行動がとれるのか。答えは日本には海外、特に欧米には存在しない「世間」があるから。
    ・震災では「法のルール」が全く機能を失っても避難所では被災者の間で自然発生的に「世間のルール」が作動する。欧米には社会はあるが世間がないため震災などの非常時に警察が機能しなくなり社会のルールである「法のルール」が崩壊し、略奪や暴動に結び付きやすい
    ■世間と社会はどこが違うのか
    ・「世間」は現在及び将来、自分に関係がある人たちだけで形成される世界のこと
    ・「社会」とは現在又は将来において全く自分と関係のない人たち、知らない人たちで形成された世界
    ■「世間」は「日本人が集団となったときに発生する力学」
    ・「力学」というのはそこに同調圧力などの権力的な関係が生まれるから
    ・「世間」という言葉はすでに「万葉集」で山上憶良が「世間を憂しとやさしと思へども飛びたちかねつ鳥にしあらねば」と歌っているが1000年以上の歴史がある
    ■「社会」は江戸時代にはなく1877年ごろにsocietyを翻訳して作った言葉。これを「世間」と訳さなかったのは社会が個人や人間の尊厳と一体となった言葉であることが分かったからではないか。問題なのは日本人は「世間」にがんじがらめに縛られてきたために「世間」が本音で社会が建前という二重構造ができあがったこと。おそらく現在の日本の社会問題のほとんどはこの二重構造に発しているといってもよい。
    ■「社会」と「世間」の比較
    ・社会/世間
    ・契約関係/贈与・互酬の関係
    ・個人の平等/長幼の序
    ・個々の時間意識を持つ/共通の時間意識を持つ
    ・個人の集合体/個人の不在
    ・変革が可能/変革は不可能
    ・個人主義的/集団主義的
    ・合理的な関係/非合理的・呪術的な関係
    ・聖・俗の分離/聖・俗の融合
    ・実質性の重視/儀式性の重視
    ・平等性/排他性(ウチソトの区別)
    ・非権力性/権力性
    ■世間を構成するルールは4つある。
    ①「お返しのルール」
    ・中元・歳暮に代表されるが物をもらったら必ず返さなければならないと「お返しのルール」が顔を出す
    ⓶「身分制のルール」
    ・年上・年下、目上・目下、格上・格下などの「身分」がその関係の力学を決めてしまう
    ・世間の中でどういう地位にあるかがとても大きな意味を持っていて序列が上の者には従わなくてはならない空気が作り出される
    ・日本人が名刺をもらうとホッとする感覚
    ③「人間平等主義のルール」
    ・「みんな同じ時間を生きている」と考える「人間平等主義のルール」
    ・日本においては「先日はありがとうございました」「今後ともよろしくお願いします」といった常套句が添えられるが、これは同じ時間を過ごしている、即ち同じ仲間であることの表明である
    ・「違う人にならないでね」という同調圧力を意味している
    ・平等を意識しながらも「ねたみ、そねみ、ひがみ、やっかみ」が強くなる
    ・「人間平等主義」には二つの意味がある。一つは「出る杭は打たれる」に象徴されるように異質なものが排除されること。もう一つは「個人がいない」ということ。
    ・「世間」にはインディビジュアル(individual)が存在しない。「個人」という言葉も、インディビジュアルという言葉を1884年ごろにヨーロッパから輸入して訳した造語。しかし英語のインディビジュアルと日本語の「個人」とはかなり違う。日本ではどちらかと言えばネガティブな意味で使われる。
    ④「呪術性のルール」
    ・例えば「友引の日には葬式をしない」といったもので日本にはこうした俗信・迷信の類が山のようにある
    ■日本では「みんな同じ」ような悲惨な状況に置かれた場合「みんな同じ」という同調圧力が働く。自分がこういう状況でも「しかたがない」と考え「世間のルール」が働く。避難所に来ると「お前はトイレ掃除」とか「お前は食事担当」など上から降りてきて法律や暴力によって命令し、抑圧するような権力とは違う「世間」の関係性がもたらす権力、フーコーの「網の目としての権力」に近いものが働く。
    ・小さい頃から「世間のルール」を学ぶことで強い同調圧力が形成される
    ・「法のルール」が崩壊しても「世間のルール」が働いて略奪も暴動も起きないことが日本が世界中で一番治安が良くて安全な国と言われる理由
    ■同調圧力のよいところは犯罪率の低さ。アメリカの19分の1、ヨーロッパと比較しても3分の1。
    ■引きこもりの長期化はその原因として「世間」の同調圧力がある。恥ずかしいという感覚。
    ・「恥」とは誰に対する恥かというと「世間」に対する恥
    ・キリスト教国では神に対する罪と考えるが日本の場合神はいても多神教の神だからどの神にすがればよいか分からない。だから基本的には「世間」にすがる。「世間」に対してそれが恥になるという感覚がものすごく大きい
    ■忖度は結局、日本文化でいうおもてなしの文化の一つ。「何も言わないでください。あなたの求めていることをして差し上げますから」というもの。
    ■日本語は基本的に「世間」の言葉。「世間」を構成しているのが日本語で対して英語は「社会」の言葉。
    ■同調圧力は訳せない。「peer pressure」を直訳すれば仲間からの圧力であるが「同調圧力」とは少し違うニュアンス。
    ■「世間のルール」を穏やかに変えていく、または緩めていくことが生きやすさにつながっていく。
    ■日本で最も自殺率の低い徳島県旧海部町(現・海陽町)には他の地域にはない「自殺予防因子」がある。それは人や考え方の多様性が認められていること。どんな人がいてもいい、いるべきだといった考え方が町に浸透している。次に人物本位主義が生きていること。職業上の地位、家柄、学歴ではなく、人柄を見て判断するという考え方が重んじられている。そして町民の間に社会参加の意識があること。
    ・材木の集積地として古くからたくさんの他者を受入れてきたために、地縁血縁が薄い共同体になったのではないかとの岡檀(おか・まゆみ)氏の推測
    ・相互扶助に力点を置いた「やさしい世間」が歴史的に継承されてきたのではないか
    ・武士階級の「厳しい世間」「失敗の許されない世間」がその町では育たなかったということ

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著者プロフィール

著者等紹介
鴻上尚史[コウカミショウジ]
1958年8月2日生まれ。愛媛県新居浜市出身。早稲田大学法学部卒業。劇作家・演出家・エッセイスト・小説家

「2023年 『ヘルメットをかぶった君に会いたい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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