未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―(新潮文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • コミュニケーションと言葉について、筆者の娘さんの誕生と成長を題材にしながら掘り下げている本。洞察が深くてなるほどと思う部分が多いのと、娘さんへの深い愛情も感じて、すごく良い読書体験だった。

    「共話」という概念がすごく印象に残った。結局僕たちは完全には分かり合えないし、世界も完全には言葉で表現できないけど、それでも共に在る、在ろうとすることが素敵なコミュニケーションなんだろうなーと思った。

    言語化できないものもめちゃくちゃたくさんあるよ~ってわかったうえでも、言語化する努力は怠っちゃいけないよな~

  • 未来をつくる言語 ドミニク・チェン

    読了後の感想は様々あったが、かなり忘却してしまった。
    読み直してなおよかった部分を引用する。

    そもそも、コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受けとめ、それでもなお共にあることを受け入れるための技法である。「完全な翻訳」というものが不可能であることと同じように、わたしたちは互いを完全にわかりあうことなどできない。それでも分かり合えなさを繋ぐことによって、その結び目から新たな意味と価値が湧き出てくる。現代の情報環境で、見知らぬ他者と教材感覚を得られる範囲は依然として狭いままである。スマートフォンやPCのスクリーンの向こう側にも自分と等しく生命的なプロセスを生きる同輩が存在しているのだという当たり前なことを、理性だけではく身体にも訴える「言語」が必要である。(中略)互いの一部をそれぞれの環世界に取り込みつつ、時に親として、また別の時には子として関係することができる。そう望みさえすれば、人は誰とでも縁起を結び、互いの分かり合えなさを静かに共有するための場をデザインできる。なぜなら、私たちは自分たちの使う言葉によって、自身の認識論を変えられるからだ。差異を強調する対話以外にも、自他の境界を融かす共話を使うことによって、関係性の結び方を選ぶことができる。

    あらためて振り返れば、家族、社会、自然環境との関係における分裂に抗うための方法を探ろうとしてきた。自分自身の中にも吃音というわからなさが同居しているし、多言語の翻訳だけではなく同じ言語の話者同士でも意思の疎通が図れない状況を当事者として生きてきた。いずれの関係性においても、固有のわかりあえなさのパターンが生起するが、それは埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である。こうした空白を前に、わたしたちは言葉を失う。既に存在しているカテゴリに当てはめて理解しようとする誘惑にかられる。しかし、じっと耳を傾け、まなざしを向けていれば、そこから互いを繋げる未知の言葉があふれてくる。わたしたちは目的の定まらない旅路を共に歩むための言語を紡いでいける。

  • 2022/11/8ビブリオバトル 佐野さんオシ本

  • 少し難解な部分を含む本でした。

    しかし、この時代にいきる私たちにとって意義深い指摘が提出されています。

    「わかりあえなさ」をつなぐ、というのがこの上なくステキに思えます。

  • 会社の人が紹介していて読んだ。難しい用語が多くて理解が追いつかないかなと思ったが、全体的な理解はできた気がする。言語化が難しいけど、今の自分に適した本だった。子育てに翻弄される自分、それに喜びを見出す自分。体調を崩して辛くて、ストレスで追い詰められて、そんな時にも子どものために頑張っていることはなんだろうかと考えるヒントがあると思った。

  • 軽やかなエッセイでありながら真摯に問いと向き合ってきた軌跡が感じられるよい作品だ。

    Webサービスやアートとしてのインスタレーションなど
    様々な事績が語られているけれども、どれもコミュニケーションのデザインにかかわるものであり、
    タイトルに「言葉」と入っているのもそういう視座を示したものではある。

    「言葉」は日仏英のトリリンガルの状況であったり
    ぬかボットとの対話であったり、娘の言葉の習得であったり
    コンピューター言語であったり、様々角度で取り上げられて確かに中心的なテーマのひとつであろう。

    そういう視点で読んでもいいとは思うけれども
    とはいえ、最後の方で語られる言葉の時制を超えた働きに一番の注目点があるものであり、
    単行本になる前のタイトル「未来を思い出すために」の方が企図がはっきりすると思う。
    (同じ本をかぶって買ってしまっていた妻も同意見だった)

    ここにあるのは運命論的なことではなく、
    すでに未来が、芽吹かないままであっても、ここにあることへの確信であり、
    この場合の未来とは「あなた」のことである。

    言葉はそもそもがここにないものを示すために空間に投げ出されている。
    「あなた」とは「わたし」がたどり着けない領域のことで
    その距離が縮まるということはない。

    しかし、「言葉」は「あなた」へのよすがとなる。
    そして、「言葉」は時間を持たずに水のしずくのように広がる。
    よって「言葉」を媒介に共に時間を過ごすことが可能になる。

    他者性を扱うときには、その到達不能な奈落を前に暗鬱なトーンが入りやすくもなるけれど
    チェンはあくまで実践から入っていくオプティミストであって、
    訪れるものとして他者を待つのではなく、自ら迎えに行くように動いているのが印象的だ。
    そして未来を思い出すこと(あるいはつくること、又は迎えること)は
    彼の試行錯誤を見れば、必ずしも特別なことでないことがわかるだろう。


    >>
    この馬をあげる、というのは、持って帰れ、という意味ではない。君たちが再びここを訪れる時には、君たちが自由に乗っていい。それまで、この馬を手放さずに面倒を見るから、(p.213-214)
    <<

    モンゴルに新婚旅行に行った際に、滞在先の家族と仲良くなった時に
    馬を贈られるエピソードは2番目に好きな挿話だ。
    1番は娘の仏語習得のために頭を本当にぶつけて忘れたふりをするくだり。

  • ドミニクさんが日本語で綴る筆致は、どこか蠱惑的で、行間にはたくさんの知が詰め込まれている。ポリグロットな人生を歩んできたからこそ、日本語の運用の仕方に言語への愛と尊厳を感じる。人文学的な知がベースにある人が語る情報論は、受け取るこちらの触覚が振動するような感覚さえある。

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著者プロフィール

情報学研究者。

「2023年 『高校生と考える 21世紀の突破口』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ドミニク・チェンの作品

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