例えばスポーツの違いを構造主義で考えてみる。
サッカーは選手交代に人数制限がある。野球にはない。バスケットボールは人数制限がなく、さらに一度交代した選手も再投入できる。この違いはなぜだろう?
何が反則で何がそうでないかは恣意的に決まる。各競技で「選手交代」が指す意味は同じではない。
一方で「選手交代」というルールは多くの競技にある。そこにはスポーツ共通の見えない構造がある、と考えられる。
それはもしかしたら指揮権ではないか?選手と監督の二項対立。個人とチーム組織の二項対立。選手を戦術通りにプレーさせるため監督は選手交代を行う。選手交代は監督の権威を高めるためにあるのかも?
そんでもって競技ごとに選手交代の条件が違うのは、競技ごとに監督の権威を最大化するようなルール設計がされているためじゃないか?
とまあ、構造主義を使うと普段とは違うモノが見えてくる。構造主義は哲学というより、物事を多角的に見るための認知ツールと理解するのが良いのかもしれない。
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- 感想投稿日 : 2022年12月13日
- 読了日 : 2022年12月11日
- 本棚登録日 : 2022年11月12日
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