シアター! (メディアワークス文庫 あ 1-1)

著者 :
  • アスキー・メディアワークス (2009年12月16日発売)
3.93
  • (1376)
  • (2335)
  • (1371)
  • (152)
  • (29)
本棚登録 : 15585
感想 : 1654
4

国家資格が1,200以上、民間の資格まで入れると3,000以上の”資格”が、今の日本にはあるようです。私には手術の執刀も許されませんし、法廷を仕切ることも認められません。では、同じ職業でも”役者”はどうでしょうか?『役者になるための免許や資格は存在しない』という通り、その職業に就くのに資格は不要です。そもそも定義自体はっきりしない”役者”というお仕事。『実際の収入はほとんどバイトに頼っている状態でも、どんな端役者しか回って来なくても、芝居を続けている限り役者と名乗れてしまう』というそのお仕事。そして、『実際に役がつかなくたって自分は役者だと言い張ることだけは可能なものだから、何となくずるずる辞められず、潰しが利かない状態に陥る人も珍しくない』というある意味、リスクと隣り合わせとも言えるそのお仕事。しかし、そんな人生を選ぶ人たちには底知れぬ力がみなぎっています。『全員で一つのことを一から作り上げるそのパワー』、その世界の外側にいる人間をただただ圧倒する『未知の世界』がそこにはあります。そんな”役者”さんたちが、自分たちの劇団の存続をかけて舞台を作っていく物語がここにあります。『圧倒的な歓喜の表情は最後は涙にたどり着く』と力の限りをかけて作っていくその舞台。これは、そんな舞台の裏側を有川浩さんが描いていく物語です。

『ポケットの中で携帯が震えた。しまった』と内心で舌打ちするのは春川司。やむなく携帯の表示を見る司は『春川巧』という発信者名を見て電源を切ります。『春川さん、お電話です』と今度は『事務の女子』に呼ばれた司。『弟さんから、ご家族の不幸なのでどうしても繋いでくれとのことで…』と電話に出た司。『あっ、兄ちゃん!オレオレ、巧!今すっげー困ってて』という相手に『かけ直してきたら、吊るす』と一言返してガチャリと切る司。そして、仕事が終わり自宅へと帰る司。母親の再婚に伴って今は司一人で住んでいる一戸建ての家。『その古びた家の玄関先に丸まっている人影』を見つけます。『遅いよ兄ちゃん!』、『帰れ。そしてほとぼりが冷めるまで俺の前に現れるな』と巧を一喝する司。『司の小言を嫌って大学から一人暮らし』しているという巧が『こんなふうに泣きついてくるときは、何らかのトラブルが漏れなくセットになって』いるという繰り返し。『入れてくれなかったら家の前で夜明かししてやるからな!』という『弟が主張した非常識に兄の常識が敗北』し、家に入れる司。『…そんで、どうしたんだ』と聞くと『このままじゃ俺の劇団が潰れちゃうよぅー』と返す巧。『いっそ潰せ、この機会に』と凄む司は小学校時代を振り返ります。『巧にお芝居を習わせてみたいの』と切り出した母。『物心ついた頃からずっといじめられっ子』だった巧。自分も役者だった父も後押しし、二人で通うことになった演劇のコース。リラックスして学び出した弟。『そうして転機は訪れた』という瞬間の到来。ある出来事から『巧には脚本家の才能があるぞ!』というその転機。それを機に、やがて大人になって自らの劇団を立ち上げた巧。しかし『巧は脚本を書く能力と引き替えにしたのか、一般的な事務処理能力は非常に貧し』かったという結果論が招いた劇団の危機。『額は!』と聞く司に『三百万!』と答える巧。そして、『今日から俺が債権者でシアターフラッグが債務団体だ。今から二年で返せ。劇団が上げた収益しか認めない。ー 返せなかったらシアターフラッグを潰せ』という展開へと進む物語。『二年間死にものぐるいでやれ!』という司が巧たち劇団員に叱咤激励する劇団再建への物語が始まりました。

代表作の一つである「図書館戦争」に出演された沢城みゆきさんのお芝居を見た有川さん。”実は今、商業的に黒字が出せる劇団を目指してみんなで頑張ってるんです”というお話を聞いたことがきっかけで誕生したというこの作品。その「図書館戦争」だって、図書館を訪れた有川さんが”図書館の自由に関する宣言”をたまたま目にしたことから生まれた作品でもあります。有川さんという方は、本当に日常のちょっとした出来事をきっかけにして、これだけの空想世界を作り上げることができる方なんだと、改めて驚きます。また、その誕生までには演劇の世界に関わる方への取材の数々があります。この作品では、そんな演劇に人生をかける人たちの熱い思いが強く伝わってくるシーンが満載です。もちろん想像が作り上げていく部分もあるのだと思いますが、恐らくはそんな取材の過程で耳にした言葉の数々がヒントにもなっているんだと思います。『不器用な彼らなりの全力疾走を楽しんでいただければ』と語る有川さん。そんな有川さんが描く舞台裏は、『債権者』として関わることになった司の他に、羽田千歳(はねだちとせ)という新しい入団希望の女性を登場させることで劇団というものに対してもう一つの視点を用意し、物語に奥行きを持たせていきます。

小学校時代に脚本家としての可能性を見出された巧は、やがて自らの劇団を立ち上げ、同好の士とともに、演劇の世界にどっぷりと浸っていきます。”役者”という免許も資格もいらない人たちの集まりは、ある意味で一つの独立した世界でもあります。『好きだからやる、楽しかったらそれでいい。評価なんかされなくてもかまわない』。演劇が好きで好きでたまらない人たちの世界におけるその考え方。それに何の疑いも持たずに生きてきた巧。しかし、『俺たちずっと二十代じゃいられないんだよ。何となくでずるずる続けてさ、十年後に何にも残ってなかったらどうする?』という問いに、現実から目を逸らしてきた自分たちの行く末に漂う暗雲に気づく巧たち。一方で、そんな世界に新人として飛び込んできたものの、人気声優として『自分の名前で金が稼げる』存在でもある千歳。『千歳は千歳じゃないとダメな仕事してる』という『値段のついてる』世界に生きてきた千歳。そんな千歳が『面白いと思った』とシアターフラッグに飛び込んできたことが、『羽田千歳は現れただけで春川巧を本気にさせた』という一つの起点を巧の中に生みます。一方でこの作品の主人公である司は、劇団に債権者として運営側の立場でサポートをしていきます。そんな司は巧たち劇団員が常識としてきたことを否定し、一方で巧たち劇団員はそんな司も驚く力を発揮していく物語が展開します。同じ空の下に暮らしていても、今まで決して交わることのなかった世界に生きてきた人たちが、思いの丈をぶつけ合い、全力を尽くして一つの舞台を作り上げていく。そのコラボレーションの中で新たな何かが生まれていく。そんな舞台裏を、まるで劇場のS席独り占め状態で存分に楽しめる我々読者。普段見ることのできない演劇が立ち上がっていくまでの舞台裏をまるで一つの演劇を見るかのように、その場に立ち会える読者。ああ、とても贅沢だ、そんな風に感じました。

そして、舞台を作り上げていく中で、当初、演劇の世界では新人だった千歳もどんどん演劇の人たちの中に溶け込んでいきます。一方で『関わった全員で驚喜し、はしゃぎ、泣き出す』という演劇を作り上げていく人たちを、一歩離れた場所から見つめる司。そんな彼らの盛り上がりを見て『一体どれだけの人間が死ぬまでに経験するのだろう』とそのシーンを冷静な眼差しで見る司。『外からどれだけ手を貸していようとやはり部外者なのだと改めて思い知った』という司。この感覚に似た思いは、普通の会社員でも感じることだと思います。これは会社組織の中における現場と管理部門の人間の感じ方の違いのようなものではないでしょうか。私も両方の立場の経験がありますが、組織として何か大きなことを成し遂げた時に現場にいて直接関わっていた場合と、それを単に報告として上がってきた数字で見る管理部門に属しての受け止め方の違い。どちらも組織には欠かせない存在、でもその当事者としての感覚は決して同じになることはない、この感覚が恐らくはそうなのかなと思いました。

そんな物語は、どう考えても続編前提に幕を下ろします。続編もとても楽しみなこの作品。有川さんらしく、登場人物の動きが見えるような躍動感のある物語。その台詞の数々が活き活きとした生命感に溢れる物語。そんなワクワク感に溢れる作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 有川浩さん
感想投稿日 : 2020年10月15日
読了日 : 2020年9月27日
本棚登録日 : 2020年10月15日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする