ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1996年3月1日発売)
3.78
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あなたは、『勉強が出来』ましたか?

誰もが通り過ぎる青春時代。このレビューを読んでくださっている方の大半は、そんな時代を遠い過去に見やる今を生きていらっしゃると思います。現在進行形で見れば、辛く苦しいことが多々あったそんな時代も、過ぎ去ってみれば懐かしく振り返るものに変わりもします。

そんな懐かしい時代にあなたは何を思い、何に夢中になって生きていたのでしょうか?クラブ活動に、友だちとの時間に、そして恋に…と、人によってそんな時代に何を大切に思っていたかは異なります。それぞれの価値観の中で一番大切だと思った事ごとに青春を駆け抜けた、それがあの時代だったのだと思います。

さてここに、『最初に言っとくけど、ぼくは勉強が出来ない』という挨拶からクラスの時間をスタートした一人の高校生が主人公となる物語があります。『ぼくは、父親の顔すら知らない』という人生を生きてきたその高校生は『教師の言うところの複雑な家庭環境の中で育って来たから、他の人々と価値観が違う』という認識の中にクラスメイトたちと接していきます。この作品はそんな高校生視点の物語の中に彼のさまざまな心の内を見る物語。どこか大人じみた言動を繰り返す彼の本音を垣間見る物語。そしてそれは、さまざまなクラスメイトたちとの関わりの中に大人への階段を一歩ずつ上がっていく一人の高校生のほろ苦い青春の煌めきを見る物語です。

『クラス委員長は、ぼくと三票の差で、脇山茂に決まった』。そんな脇山が『ぼくの顔を誇らしげにちらりと見』るのを『相変わらず仕様のない奴だなあ』と思うのは主人公の時田秀美(ときた ひでみ)。『皆、彼の名前が、試験の成績発表で常に一位の場所に載っているから、書いただけだ』と思う時田は、『小学校五年生の時のホームルームを思い出』します。『転校して来たばかりで、あまり事情の解っていなかった』時田は、『教壇の前の席のおっとりとした様子の女の子の名前を』投票用紙に書きました。そして、『開票が進み、その女の子の名前が呼ばれた時、黒板に向かって、正の字を書いていた生徒は信じられないという様子で後ろを振り返』ります。『くすくすと笑い始めた』『クラス全員の子たち』。『その瞬間、担任の教師は立ち上がり、大声で』『誰だ!伊藤友子の名前を書いた奴は!?』と怒鳴ります。『すっかり仰天して』『返事をする機会を失ってしまった時田は、『ふざけるにも程があるぞ!!』と怒鳴り続ける教師の言葉に混乱します。『どうして、伊藤さんの名前を書いちゃ駄目なんだい』と隣席の男子生徒に訊くと『馬鹿だから』と返されます。『先生は悲しいよ…投票はやり直しだ…』と歩き回りながら説教を続ける教師に『解りません』と呟く時田。『誰だ!!今、解りませんと言った奴は!!立て!』と怒る教師に立ち上がった時田。そして、ざわめく教室。『伊藤さんの名前を書いたのは、ぼくだからです』と言う時田に、『おまえだったのか。しかし、何故だ』と訊く教師。それに『どうして、伊藤さんでは駄目なんですか?』と返す時田は『親切そうだから』と理由を答えます。『まあ、いい…今後は注意するように』と終わらせようとする教師に『先生は、ぼくの質問に答えていません』、『どうして伊藤さんでは駄目なのですか』、そして『勉強が出来ないからですか?』と詰め寄る時田。それに答えなかった教師に対し『ぼくは、この時、初めて、大人を見くだすことを覚えた』という時田が我に返ると、投票で書記に当てられていました。『時田秀美です。最初に言っとくけど、ぼくは勉強が出来ない』と挨拶した時田に、『冗談は、そのくらいにしておけ。おまえが、勉強出来ない人気者だってのは、皆、もう知ってる』と担任の桜井先生が笑いながら声をかけます。そして、席に戻る時田に『勉強出来ないのを逆手に取るなよな』と脇山が小声で囁きました。そんな脇山を無視して席に着く時田は『日曜日に、祖父と釣りに行くべきか、母の買い物につき合うか、恋人の桃子さんとセックスをすべきかの楽しい選択に心を悩ませ』ます。そして『父親の顔すら知らない』という時田の日常が描かれていきます。

“時田秀美は17歳、サッカー好きの男子高校生。勉強はからっきしだが、めっぽうモテる。発表から四半世紀、若者のバイブルであり続ける青春小説の金字塔”と内容紹介にうたわれるこの作品。今から30年前、1993年に刊行され、1996年には映画化もされている山田詠美さんの代表作の一つです。”始めは、わんぱく坊主の成長過程をスナップショットのように切り取って描いてみたらどうだろう、と軽い気持ちで思った”と語る山田さん。そう、この作品は主人公・時田秀美が十代という青春にさまざまなことに思いを馳せながら生きていく姿を生々しく描写する作品。内容紹介が謳う通り、それが”青春小説の金字塔”と言われる内容を見せていく、そんな作品となっています。

そんな物語は時田視点で描かれていく八つの章から構成されています。上記もした通り、物語はクラス委員の選挙の場面から始まり、そこには『試験の成績発表で常に一位』の脇山茂というクラスメイトを見る時田の姿が描かれます。人が成長していくということは、周囲の人との関わり合いを通じて、自分が生きる世界には多種多様な人間が生きているということを知っていくことでもあると思います。自分の意思ではなく、偶然にも同じ一つのクラスという器の中に入れられた面々、そんなクラスメイトとの関わりは、自分とはさまざまな面で異なる価値観がこの世に存在することを認識することでもあります。『高尚な悩みにうつつを抜かしている』という同じサッカー部の植草、『おれは政治家になると宣言した』後藤、そして『告白につき合う破目にな』る川久保など、物語にはリアルな高校時代をそれぞれに生きるクラスメイトたちが、時田の人生にさまざまに関わり合いを持つ中に描かれていきます。時にはそんな彼らの行動に巻き込まれて被害も被る時田。そんな日々の中にさまざまな思いを抱いていく時田の物語はまさしく青春物語そのものです。そんな中に、物語冒頭に登場し、書名を思い起こさせもするのが脇山茂です。『試験の成績発表で常に一位の場所に』いるという脇山。そんな脇山のことを時田はこんな風に見ています。

『彼が、ぼくを嫌っている程には、ぼくは彼を疎ましく思っている訳ではない』、『ぼくを目のかたきにしようとするから、こちらもからかってみたくなる』

「ぼくは勉強ができない」というこの作品の書名を思わず意識してしまう存在でもある脇山。しかし、当の時田のあまりの無関心ぶりに驚きます。『知能指数がぼくよりも数段上なのだから、対抗しても無駄』という割り切りを見せる時田は、一方でこんな思いを抱きます。

『どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする』。

物語は、そんな時田の思いの先に描かれてもいきますが、一方で時田の『顔』に対するこだわりは、『色々な哲学の本やら小説やらを読む』という中にこんな感覚を抱かせます。

『いい顔をしていない奴の書くものは、どうも信用がならない』、『いい顔をした人物の書く文章はたいていおもしろい』

この断定口調がこの物語の根底に流れる時田の価値観を支えてもいきます。

『いい顔になりなさいと諭す人間が少な過ぎる』

そんな風にも思う時田は、幼い頃からさまざまな『不快な言葉』の中に生きて来ました。

『片親だからねえ。母親がああだものねえ。家が貧しいものねえ』。

自分のことを『決してつまらない人間ではない。女にももてない男ではない』と思う時田。『お父さんがいない』という家庭で、祖父と母親に育てられて今を生きる時田。そんな時田は、『ぼくは勉強が出来ない』という言葉を自己紹介にも使うほど自身の意識の中に持っています。しかし、そのことをマイナスに思うことのない様が終始描かれていくのもこの作品の特徴です。『初老のバーテンダーのいる落ち着いたバー』の桃子さんの元へと通い、セックス漬けとも言える日々を送る時田は、上記した脇山だけでなく他のクラスメイトたちの姿が描かれれば描かれるほどにその余裕ぶりが際立ちます。上記もした小学校五年生の時のクラス委員投票で、

『ぼくは、この時、初めて、大人を見くだすことを覚えた』

という感覚は生意気そのものではあります。しかし、そんな時田の主張に何も言い返せない教師の愚かさは、一方で時田の余裕感を感じさせもします。そして、その先に高校生となった時田は、『ぼくは勉強が出来ない』という言葉と裏腹に地頭の良さが秀でている言動、行動、そして思考を強く感じさせます。

『この人の人生には、あまり反省という要素がないみたいなのだ』。

『ささやかなことに、満足感を味わう瞬間を重ねて行けば、それは、幸せなように思える』。

これらのある意味高い位置から達観したような感覚の原点にやがて時田は気づきます。

『ぼくの価値観は、父親がいないという事柄が作り出す、あらゆる世間の定義をぶち壊そうとすることから始まっていた』。

『第三者の発する「やっぱりねえ」という言葉』を憎みながら育った時田。そこには、それに打ち勝とうと自然に思う感覚の先に今の時田が作られてきたことがわかります。物語は、時田の高校生活のさまざまな出来事を描いていきます。『ぼくの恋は、常に、笑いと欲望に満ち、教えを必要とする類のものではなかった』と恋愛に想い焦がれる時間、『誰だって、確信を持って進路を決める訳じゃない』と進路選択に悩む時間、そして、『ぼくは勉強が出来ない、なんて開き直ってる場合じゃない』と書名にうたわれる現実に対峙していく時間等々、この作品では高等学校を舞台にした物語らしく、十代の彼らが接するさまざまな事ごとに、乗り越えていかねばならぬ事ごとを一つひとつ丁寧に描いていきます。そして、そんな物語が行き着く先、〈ぼくは勉強ができる〉という終章に結論されていく物語の中に、少し生意気な存在として描かれてきた時田の等身大な高校生の姿を感じることができたように思いました。

『ぼくは、教師の言うところの複雑な家庭環境の中で育って来たから、他の人々と価値観が違うのだ』。

そんな家庭事情から独特な価値観を育みながら高校生になった時田の十代の青春が描かれたこの作品。そこには、年上の女性とセックスを繰り返す日々の中に、一方で、どこか冷ややかにクラスメイトたちを見る一人の男子高校生の姿が描かれていました。30年も前の作品なのに、思った以上に古臭さを感じさせないこの作品。赤裸々に描写される時田の感情の移り変わりに清洌さを感じさせるこの作品。

読者の年齢によって間違いなく読み味が変化するであろう物語の中に、時代を超えても普遍的な青春の眩しさを感じた、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 山田詠美さん
感想投稿日 : 2023年5月20日
読了日 : 2023年2月19日
本棚登録日 : 2023年5月20日

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