永遠をさがしに

著者 :
  • 河出書房新社 (2011年11月18日発売)
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顔つきが似ている、体格が似ているといった外見的な特徴や特定の能力に秀でていることをもって親子を語る時があります。そんな時に登場するのが『遺伝』という言葉。最近の研究では『知能指数』の50%は『遺伝』の影響を受けていると言われています。残りの半分の影響は家庭環境が30%と、交友関係などが20%というこの数字。さらに『遺伝』の中でも『音程』に関する能力は80%、『作曲』になると92%が『遺伝』によって親から子へと受け継がれたものだそうです。家庭環境が30%の影響を及ぼすという数字と足し合わせると、もうこれは音楽一家には必ず音楽少年、音楽少女が生まれると言ってもいいような割合だと思います。この作品にも曲が登場する、誰もが知っているクラシックの父『バッハ』も残された家系図を見ると音楽家ばかりの家系です。生まれ持った素質、生まれ育った環境の行き着く先に待つ運命の必然。でもそうであるが故に、その運命に息苦しさを感じ、その運命から抜け出したいという考えが生まれることもあるのだと思います。大切なのは、『自分にとって、何がいちばんやりたいことなのか。いま、自分が何をいちばんするべきなのか』。その答えを探し求める物語が始まりました。

『小鳥の名前は、「トワ」。私が名づけた』という主人公・梶ヶ谷和音。『深緑色のカナリア、鳴かないカナリアだった』、そして『ある日、どこかへ逃げてしまった』というカナリア。『お父さんだ。お父さんがトワをどっかに逃したんだ。お父さんは、トワが…和音のことが、嫌いだから』という和音の父は、『彗星のごとく現れて、数々の国際コンクールの賞を総なめにした若き天才指揮者』という忙しさもあって、和音とはすれ違いの日々を送ってきました。一方で母は、『名門・国立国際藝術大学でチェロを学び、やはり名門のオーケストラ、日本国際交響楽団の首席チェリスト』。この音楽一家に生まれた和音は小さい頃から母にチェロを学びます。でも『和音の手は、うつくしい音を奏でる手。私の手を握って、あんなに母が言ってくれたのに。私は結局、あきらめてしまったのだ ー チェロを』と学ぶのをやめてしまった和音。そんな中、『母はひとり、遠くまで離れていった。父のもとに私を残して』と夫婦は離婚し父と二人で暮らすようになった和音。そんな時、『小澤征爾以来二人目の日本人音楽監督として、ボストン交響楽団に着任する』ことになった父。『タングルウッドへ来る気はないか?』と尋ねるも『ないよ』とそっけない和音。そんなある日のこと、誰もいないはずの我が家に帰った和音の前に『見ず知らずの人、しかも勝手に他人の家に上がりこんでカザルスを聴き、タバコをくゆらせて』いる真弓という女性が現れました。『あなたのお母さんよ』と唐突に和音に告げる真弓。そんな真弓と和音の二人だけの生活がスタートしました。

原田マハさんというと、キュレーターとして、『美術』というか『絵画』の世界を美しく紡ぐ小説家だと思っていましたが、この作品で取り上げるのはまさかの『音楽』。しかも楽器がチェロ。そして、物語のターニングポイントとなる和音と真弓の出会いの場面で流れる音楽を『パブロ・カザルスの奏でる「鳥の歌」』というなんとも渋い、そして意味ありげな選曲。さらに、『雨音に耳を澄ませば、ショパンやシューベルトの旋律がいつのまにか頭の中で流れ出す。自然と指がその音を追いかけ、和音のチェロが音色を奏で始める』と雨音をピアノ伴奏に見立ててそこに和音のチェロを重ねて、両作曲家のチェロ・ソナタを奏でるイメージを描くなど、選曲の巧みさとその音楽が流れるシーンの絶妙さがとても上手いなぁと感じました。また、実際のコンサートでの演奏場面では『ドヴォルザークのチェロ協奏曲』を、『指と弓とが弦の上を滑る。枝から枝をへとさえずりながら飛び交う小鳥のように。きらめく水面をすれすれに泳ぐ魚のように。まぶしいほどの旋律が包みこんだ』と表現します。クラシック音楽を文字で表現する作品というと恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」がなんといっても有名かつ、私も愛してやまない作品ですが、この恩田さんとも全く異なる原田さんならではの独特な表現。同じように音楽を文字で表現するのにも本当にいろんな描き方があるんだなと改めて思いました。

原田さんならではの伏線完全回収かつメリハリのあるドラマティックな展開から結末へと至るこの作品。ストーリー展開が少し『病気』要因で引っ張りすぎな気がしないではありませんが、一方で天才指揮者の父と天才チェロ奏者の母に、未完の大器である娘という設定を違和感なく自然に感じさせる描き方の強い説得力。音楽に囲まれ、音楽に生きることを定められた者であるからこそ辿ることになる迷いと逃避、そして回り道。そして、その先に続く『芸術を極める難しさと、それでも挑戦』し続ける者たちが切り開いていく未来。和音の歩んでゆく未来の眩しさに、そしてそんな彼女と生きる人々の心からの優しさに、とても幸せな読後感に浸れる作品。『音楽』を描いても原田さんは凄いなあと改めて感じた、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 原田マハさん
感想投稿日 : 2020年5月15日
読了日 : 2020年5月14日
本棚登録日 : 2020年5月15日

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