総理の夫

著者 :
  • 実業之日本社 (2013年7月11日発売)
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『凛子のようにしなやかでピュアな女性政治家が、世界を変えることができるのかもしれません。女性たちの活躍によって、世界の色彩は変わるのです。 (解説・安倍昭恵さん より抜粋)』

内閣総理大臣、それは1885年の初代・伊藤博文から連綿と続く我が国の行政府の長の座。それは、『政治の世界に身を置く者であれば、ちょっとくらいは妄想する、大いなる夢』と政治家を志した者が目指す究極のゴールでもあります。しかし、一つしかない椅子を巡って繰り広げられる政権闘争はいつの世もきな臭いものです。出し抜き、出し抜かれの繰り返し。今この瞬間にも闇に蠢く多くの人たち。そんなこの国で、内閣総理大臣に就任した女性がいました。我が国初の女性総理大臣。赤い絨毯を一歩一歩下りてくる新しい内閣の面々。その先頭を率いるのは相馬凛子。彼女は『まっすぐに顔を上げ、前を向いていた。その目は、幾多のカメラを見据えて、決して逸らされることはなかった』という晴れ舞台のワンシーン。しかし、『凛子が見据えていたのは、カメラではなく、カメラの向こうの国民のまなざし。そして、日本の未来』というこれから始まる物語を予感させるシーン。『だから、あんなにも輝いていたのだ。美しく、気高く、鋭く。そして、どこまでもまっすぐに』という第一一一代内閣総理大臣・相馬凛子。この作品はそんな凛子が、”今度こそ”この国を変えていく姿を、誰よりも間近で支え、見守る彼女の夫、そう『総理の夫』が主人公となる物語です。

『二〇××年 九月二十日 晴天』から始まる日記を書くのは相馬日和(そうまひより)。『この日を決して忘れまい』と思い『日記をしたためることを思い立』ちます。『私の妻、相馬凛子という「神秘」を、書き残しておきたい、と強く感じた』という日和。『本来、日記というものは私的なもので、公開を前提に書くものではない』ということをわかった上で『これを、後年、一般公開される前提で書き進めよう』と考えます。公開される日が『いつのことかはわからない。私や凜子の死後のこと、遠い未来のことかもしれない』、『その頃、この国は、どうなっているのだろう。世界は、どうなっているのだろう』と思う日和は、この日記が『歴史の証人になる』と考えます。そんな日記は『未来の超一級歴史的資料になる』とも言い切る日和。そして『今日こそは、運命の日。神のゲームが始まる日』であるという日和。『吉と出るか、凶と出るか。いや、そりゃもう、大吉に決まってる、と私は信じている』という日和。『私の妻は、今日、総理になる。第一一一代日本国内閣総理大臣、相馬凛子』、そして『日本初の女性総理大臣が、誕生する日なのだ』と日記を書き始めた日和。ふと気づきます。『よく考えたら、私は今日から総理の夫なのだ。妻の体調管理に気を遣い、思う存分闘えるように出陣の支度をするのは、夫たる自分の役目じゃないか』と思い至った日和は朝食の準備をします。『日本初の「女性総理」誕生ってことは、日本初の「総理の夫」誕生、ってことだよね?で、そもそも総理大臣の伴侶って、どんなことすりゃあいいんだ?』とも考える日和。そんな時、凛子が『おはよ』と現れました。並べてあった新聞の『史上初 最年少の女性総理誕生へ』という見出しに『ったく誰もかれも、女性女性って』とむすっとする凛子。そんな凛子の前にシーザーサラダを給仕する日和は『今日から僕は「総理の夫」だからね』と語りかけます。『君には、今後できる限り健康な朝食を食べていただく。それが僕の家庭内政策だ』と言う日和に『そりゃ、ありがたいわ。いただきます』と返す凛子。『僕は、女性が総理になったとは思わないよ』と続ける日和。『君は総理になった。これは必然だ。しかし、君は男性ではなかった。これは偶然だ。そうだろう?』と言い切る日和に『凜子は、ほんの一瞬、不思議そうな顔になった。けれどその顔は、たちまち笑顔になった』という妻の笑顔を喜ぶ日和。『気負うまい。とにかく凛子と、一緒に、朝食を食べよう』と決意する日和。それが、『本邦初の「総理の夫」としての、私の所信表明だった』という日和が書き始めた日記に記された、我が国初の女性総理大臣誕生の舞台裏を通して『今度こそ、今度こそ。この国は生まれ変わる』という未来を読者が目撃する、そんな物語が始まりました。

総理大臣自身ではなく、その夫が書く日記が物語を引っ張っていくというこの作品。日記で綴られる物語というと、私が読んだ作品では角田光代さんの「予定日はジミー・ペイジ」というマタニティ小説を思い出します。一方で、私の場合、日記というと小学校時代に宿題として課された記憶しかなく、自発的に書いたことはありません。そんな日記をいざ書こうと思い立つには、誰でもきっかけというものは必要なんだと思います。この作品の主人公の相馬日和にとって、それは妻が我が国初の女性総理大臣になるということ、そしてそれは日和本人から見れば、自身が我が国初の総理の夫になるということでもありました。歴史上の有名人物の日記や手紙が後世になって研究対象になるというのはごく普通のことです。我が国初の女性総理誕生の舞台裏を記した日記は未来の研究者にとってはまさしく第一級の研究資料となり得ます。それを意識する日和。そんな日和が書く日記は『とまあ、この日記をここまで読み進めていたあなたが、「肝心の選挙のところを全然書いてないじゃないか!」と怒り出さないように、もちろん、少し時計を巻き戻して、凛子が選挙戦をどう闘ったかを、書き留めておこうと思う』というように読者を完全に意識したものとなっているのが特徴です。読む人のことを意識した文体、それはこれを小説として読む我々読者にも親近感を抱かせるとても面白い仕掛けだと思います。そんな日記が全体でどのくらいになるか数えてみました。(私、こういう体裁の作品では必ず数えてしまいます。はい。マメなんです)
9月 3編、10月 1編、11月 3編、12月① 4編
回想: 4月 1編、5月 2編
12月② 2編、1月 3編、7月 1編、8月 1編、9月 1編、12月 1編、3月 2編
数年後: X月 1編
という計26編という数になります。単行本350ページ(文庫460ページ)という分量ですから、一日あたり13ページ(17ページ)という圧倒的な文章量になるこの作品。日付の記載が出てくるので、あっ、日記だったと思い出しはしますが、特に日記形式だからどうということは全くなく、会話も大量に出てくることもあって、複数の章に分かれた、日和視点のごく普通の小説と捉えた方が自然に感じるように思いました。いずれにしても、日記形式は苦手、といった心配は全く不要の自然なストーリー展開を楽しむことができます。

『万人に支持される総理大臣とは、いかなる人物か』、おそらく伊藤博文から始まる総理の系譜に名を残す全員がそんなことを思い、試行錯誤をしながら政権運営を行なってきたのだと思います。そんな総理の座に女性が就くという、興味深い設定は、それだけで色んな物語が書けそうに思いますが、この作品の考え方が面白いのは、そんな総理を夫として見る立場の人物が主人公であるという点です。この作品の解説を書かれた安倍昭恵さんなど、総理の配偶者である方も良きに悪しきに注目を浴びがちです。この作品の主人公である日和は『日和さんも、総理とともに公式の場に現れるときは「公人」となるわけです』という説明を受けて最初は驚きを隠せませんでした。外交についても『決して「外遊」じゃありません。れっきとした「外交」です』と言われ、『首脳の配偶者は、もっともすぐれた外交官でなければなりません』とまで説明を受け戸惑う日和。そんな我々が普段意識することのない側面に光が当たるこの作品は、単なる政治小説ではなく、『総理の夫』という不思議な立ち位置の人物を主人公としたことで、政治小説を超えたとても面白い物語に仕上がっているように思いました。

また、そんな『総理の夫』は鳥類の研究者でもあります。原田さんは、その設定を上手く活かし、鳥類の生態と人間の営みを並列させて描いていきます。例えば、日和が凛子を意中の人と認識した瞬間を、まず鳥類を例に説明します。『鳥類のメスは、オスに交尾に誘われたとき、自分の子孫を残す相手はこのオスがいい、と瞬時にして選ぶ。まったく、本能的に』と読者に鳥類の生態をまず説明します。その上で、『私はオスであってメスではないが、あの瞬間ばかりは、メス的な本能で「この人だ」と決めたのだと思う』と、鳥類と自身の感覚を同じ俎上にあげます。そして『あの瞬間、体を貫通した電流のような感覚は、本能という名の神から私への落雷に他ならなかった』とまとめます。なんだか妙に説得力が増すシーンです。そして、このように様々な場面で鳥類の生態を登場させることで、どうしてもキナ臭くなりがちな政治小説を、なんだかバードウォッチングをしているかのような、そんな爽やかな印象に感じさせることができていたようにも感じました。

所信表明演説を「本日は、お日柄もよく」の『伝説のスピーチライター・久遠久美』が執筆するという、読者へのちょっとしたサービスもあるこの作品。そして『いまこそ、日本を新しく生まれ変わらせましょう』と国民に語りかける我が国初の女性総理大臣・相馬凛子が大活躍するこの作品。そんな活躍の舞台裏を日記という形で残した『総理の夫』相馬日和。身近なようで遠くも感じる政治世界を舞台にするこの作品には、この国のことを思い、この国の未来を考える人々の熱い思いが息づいていました。

『あなたにとって、いま、いちばん必要なことは何ですか。そして、これから必要なことは何ですか?』、そんな基本に立ち返った政治を現実のものとして見てみたい、この物語で生まれ変わったこの国の未来を見てみたい、そんなことを感じた作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 原田マハさん
感想投稿日 : 2020年9月17日
読了日 : 2020年9月6日
本棚登録日 : 2020年9月17日

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