人類進化の謎を解き明かす

  • インターシフト (2016年6月20日発売)
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人類進化の起点となった革命は何か?

二足歩行?
言語、道具や火の使用?
それとも農耕の発明?

著者は真の革命は"定住"と"単婚"にあったと答える。
面白いのは、どちらも積極的に選んだというより、止むにやまれぬ事情から踏み出したというのが実情に近い。
しかもそれは元に戻せない、不可逆の道だった。

まず、定住から。
この理由は単純で、ズバリ襲撃に対する備え。
ちなみに農耕が発明されるのは、定住の開始から数千年後のこと。

じゃあ、何が止むに止まれぬだったかと言うと、定住地に人びとがけっして進んで集まってきたわけではないからだ。
狩猟採集時代より食べ物が粗末だし、決定的に栄養不足。
しかも高密度で暮らすのは相当な心理的ストレスで、メスにとってそのコストはきわめて高かった。
このコストを分散するためもあってか、安全のため集団で暮らしたい気持ちと、離合分散したいという気持ちの妥協が、狩猟採集社会だったのだ。

しかし、踊りや歌、言語を用いた物語、そして宗教が、これらのストレスを解消し、適切な規模をもつ共同体の社会的つながりを促進するメカニズムが完成して、定住は一気に加速していく。
こうして社会的ストレスが解消されると、集団はさらに大規模化していった。

移住から定住へという流れとともに、多婚から単婚への転換も画期的だった。
しかも単婚も、行動や認知に重大な変化を要求する、きわめて特殊な進化状態で、ひとたびこの状態に入ると、もう後戻り不能。
認知上の要請から脳がいったんそのように配線されたら元に戻るのは難しい。

何が起こったか?
まず多婚社会で、一緒に食べ物探しをするメスの数が少数の場合、オスが社交的になる理由はない。
なぜなら、交尾を求めてさすらうオスにとって利点などないからだ。
ただ、メスの密度が増し、彼女らが食べ物探しをぞろぞろと集団で行ない始めると事態は変わってくる。
そうなると、オスにとって社交的であることは進化上有利に働くためだ。
そして集団のサイズが大きくなると、子殺しの脅威が劇的に増え、メスはオスに用心棒として保護求め、駆け落ちに似た形で1組のペアが生まれ、永続的な関係を開始する。

つまり、子殺しのリスク回避が、単婚という特殊な配偶体制を生み出したのだ。
単婚は同時に同性への不寛容と縄張り意識を生む。
のちに定住地の規模が増大すると、男性の目を盗んで配偶者の女性と浮気しようとする者が出始める。
これによりヒトは、言語に基づいた形式的な婚姻契約を進化させるキッカケとなった。

相手かまわず交尾したりする種に比べて、単婚種は脳が大きい。
脳の大きさは、人類の進化を可能にした基本的原理の1つだ。
もう一つは時間収支。
一日のうち活動できる時間は限られていている。
主要な活動(摂食、移動、休息、社会的関係の形成)にどう時間を割り振るか。
脳が大きくなると、その脳を維持するために摂食に費やす時間が増える。
すると、移動や社交に費やす時間が減ってしまう。
つまり、集団の規模が大きくなれば脳も大きくなり、それに応じて時間収支の調整が必要になってくる。
相互に連関しあっているのだ。

脳は成長と維持にきわめて高いコストがかかる。
脳はその質量を維持するのに必要なエネルギーの約10倍ものエネルギーを消費する。
脳のエネルギーをまかなうためには、十分な食べ物を手に入れる必要があり、限られた時間で効率よく食べ物を見つける戦略が必要になる。
同時に我々は、ネットワーク内の仲間に、どのように自分の社会関係資本(時間と情動)を振りわけるかにも心砕かねばならない。
時間が足りるのか?
なぜ、協力して守るべき地域を唐突に広げて、共同体を拡張し、各個体が大きな脳のコストを払う羽目に陥ったのか、と愚痴りたくなってくる。

死中に活を求めた結果というわけではないだろうが、時間収支を劇的に改善する方法を見つけていく。
それが"笑い"であり、"言語"なのだ。
"笑い"は、それまで1対1の行為だった"社会的毛づくろい"を、同時に複数人に行なえる行為に変えた。
しかも"言葉"があれば、"笑い"はもっと効果的になる。
それまで一種の合唱でしかなかったのを、言語が進化させることで、"笑い"の性質は永遠に変わった。

言語の副産物として生まれた"冗談"も、志向意識水準の次元が高くなければ理解できないことを考えると、認知に与えた影響は大きい。
なぜ、これほどの言語があり、かつ無数の方言があるのだろう?
それは言語が、小規模で排他的な共同体をつくるために進化したためだ。
決して技術にかかわる情報を交換するためのものではなかった。

歌や踊り、宗教、はては料理の発明も、脳容量の増加に寄与し、社交時間を増加させ、時間収支を改善させる。
それがまだ集団の規模を拡大し、脳の容量を増大させ、と正のフィードバックを繰り返す。

脳の容量の増加と言うが、問題なのは頭蓋容量ではなく、新皮質、すなわち前頭葉の容量のこと。
ここで違った箇所を増大させたのは、ネアンデルタール人だった。

ネアンデルタール人の後頭部には「出っ張り」があるが、ここには視覚処理を担う後頭葉がある。
彼らは、私たちよりずっと視覚に頼って生きていた。
なぜか?
それは彼らが暮らした場所に関係がある。
冬は日が短く、夏も日射しが弱い高緯度地帯での生活は、大きな負担を視覚に強いた。
弱い日射しに進化が出した答えは、視覚系の増大だった。
大きい網膜をもっていれば、日射しが弱くてもより多くの光を集められる。
大きい網膜はそれを入れる大きな眼球を必要とし、その結果、彼らの脳は全体から見れば不釣り合いなほど視覚に特化したのだ。

じゃあ、なんで同じように高緯度地帯に暮らしてる現生人類は、そうならなかったのか?
我々も、社会認知にきわめて重要な働きをする、脳の前方領域の発達がおろそかになってもおかしくなかったのでは?
まぁそれは、俺たちがアフリカから出るまでに、十分発達させてたからだよ、と。
ネアンデルタール人の言語は精巧でないし、志向意識水準も我々より劣る。
彼らが残した文化はたいしたことはなく、メンタライジング能力にも欠けるから、ネットワークは狭く、先を見通す能力もお粗末だった。
そのため絶滅は避けられなかったんだろうね、と。

どうだろうな。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年1月23日
読了日 : 2017年2月12日
本棚登録日 : 2023年1月23日

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