丸山敏雄伝―幸せになる法則を発見した人

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  • 近代出版社 (2001年11月1日発売)
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倫理研究所。なんぢゃそら…とお思いの方もいるんだろーが、この団体、宗教でも何でもない集団である事をまずご理解頂かなければならない。
声を大にしていいます、この団体は、れっきとした「社団法人」なのですっ!!!!!!!
その創始者である、丸山 敏夫氏の事についてまとめた1冊なのであります。
1点に絞らせて語らせて下さい。
倫理研究所は毎朝5時から、「朝の集い」なる集会をやってます。
そこで、今日1日全力投球で働く事の誓いや、スピーチを通じての誓いなどを行うものなのですが、一番のメインは「17か条斉唱」です。
倫理活動をする者なら誰しもが持つ「万人幸福の栞」なる本があります。集いに集まるにはまず、この本を持参します。そして17か条の斉唱の際、
「今日は最良の一日、今は無二の好機、苦難は幸福の門…」と、この本の目次を1日の誓いとし、声に出して音読していくのです。
この17か条と言うのが、この本のタイトルにもなっている「幸せになるための17の法則」とも言い換える事ができ、これは誰しもが必ず幸せに生きるためのココロの、そして人間としての平等で素晴らしい道なのです。
結局、「あたりまえのこと」を指す事が多いです。
その、当たり前の事が出来ないの人間の多いこと!
だからこそ、一読の価値ありなのです。
ちなみに釦桜は、13年間倫理活動のメンバーでした。

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カテゴリ: Books
感想投稿日 : 2004年10月10日
本棚登録日 : 2004年10月10日

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コメント 2件

夜半ノ嵐さんのコメント
2008/06/23

神道系の新宗教であった御木徳一(1871 - 1938)の「ひとのみち教団」は、戦時中弾圧により解散させられたが、戦後に三つに分派し復活した。一つは御木徳近(1900 - 1983)の「パーフェクト リバティー教団」(PL教団、一つは丸山敏雄(1892 - 1951)の「倫理研究所、もう一つが倫理研究所から更に分派した上廣哲彦(1906 - 1972)の「実践倫理宏正会」である。

但し、宏正会としては1945年に広島市国鉄横川駅構内で原子爆弾に被爆した初代会長の上廣哲彦が、翌1946年に石川県小松市の小松天満宮で「朝起会」活動を開始したのが発祥であるとしている(小松天満宮境内に「朝起発祥之地」の石碑がある)。

ひとのみち教団の信者であった上廣哲彦は、ひとのみち教団の准祖の一人であった丸山敏雄が主宰している「倫理研究所」で活動しており、発足間もない両者(丸山敏雄と上廣哲彦)が互いに同じ目標(倫理性の復興)を目指している事から双方の活動が緒に着くまでは協力し合っていたと考えられるが、宏正会側の見解では、初めから「朝起会」を主体とした活動(生活倫理実践会=後の「宏正会」)を上廣哲彦自ら主催していたとし、倫研側としては上廣哲彦のこの行動を丸山敏雄への師事と受け止め、後の独立は丸山に対する裏切り行為と捉えており、双方の主張は噛み合っていない。

なお、実践倫理宏正会の「社団法人」設立許可日は1953年(昭和28年)4月1日で、文部科学省生涯学習政策局所管の社会教育団体であり、会は宗教的な教義を行っていないとしているが、「ひとのみち教団」の影響を多く受け継いでおり(ひとのみち教団が早朝に各教会に詣で信徒集会を行う慣行を信徒獲得の有効な手段としていた事、共に箇条書きの人生訓の唱和をする事、白装束での練成(心身教育訓練)を行う事、個人崇拝と「会長先生」「ご著書」「学ばせて頂き」「感謝です」等の用語を使用する事、ひとのみち教団は教育勅語を経典にしていたが、宏正会も教育勅語の復活と12徳の実践を目指している事等)、宗教学者は宏正会を戦後の新宗教あるいは類似宗教として分類している。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AE%8F%E6%AD%A3%E4%BC%9A

夜半ノ嵐さんのコメント
2008/06/23





倫理研究所を創設して「純粋倫理」を宣布した丸山敏雄は、そのエッセンスを17ヵ条の標語に要約して生活の指針としました。ここにそのすべてを列挙し、それぞれの要点をやさしく述べてみます。


1 今日は最良の一日、今は無二の好機 〈日々好日〉

寒い日、暑い日、晴れた日、雨の日といろいろあるけれども、どの日がよくてどの日がわるいということはない。今日が、いちばんよい日である。その今日は、今のこの一秒の集積にほかならない。今が最良のときだと心得て、気づいたことを直ちに行おう。



2 苦難は幸福の門 〈苦難福門〉

病気や災難・貧苦・家庭不和など、生きていればさまざまな苦難に見舞われる。それら苦難は、生活の不自然さ、心の歪みが反映した危険信号である。苦難に直面したとき、嫌がったり逃げたりせずに、堂々と喜んでこれを迎えよう。苦難の原因を取り除くべく自分を改めれば、苦難は解決し、幸福・歓喜の世界が拓ける。



3 運命は自らまねき、境遇は自ら造る 〈運命自招〉

人の一生は、運命というどうすることもできない力で、きまった道筋を引きずられていくものではない。自らの力できりひらくことができる。境遇も、あらかじめそう定められているいるのではない。自分の心の通りに、境遇の方が変わっていく。断固として正しい道を踏み、喜び勇んでことにあたっていくがよい。



4 人は鏡、万象はわが師 〈万象我師〉

人は人だ、自分は自分だと、別々の生き物だと考えるところに、人の世の不幸が生じる。人はみな、見えない次元でつながっている。他人は自分の心や振舞いを反映する鏡なのだ。人を改めさせよう変えようとする前に、まず己を改めよう。身の周りに起こる現象は、自分を教え導く師匠である。虚心にその教えを聞き、心の歪みや偏りを正したとき、周囲は意のままにおのずと変わってくる。



5 夫婦は一対の反射鏡 〈夫婦対鏡〉

夫婦は一組のあわせ鏡のようなものだ。たがいに照らしあい、お互いを映しあっている。だから相手を直そうとするよりも、まず、自分をよくしていくことである。夫婦は男女両性の神聖な合一であり、一家の健康・発展やもろもろの幸福を産み出だす源泉である。



6 子は親の心を実演する名優である 〈子女名優〉

子は親の顔形から、立ち居振舞いや、癖にいたるまでよく似ている。のみならず親の心や行為をそのまま映し出し、身代わりに実演する。子供が悪くて困るというとき、子供を責めることなく、その原因は親にあると自覚し、親自身が改めることが先決である。



7 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号 〈疾病信号〉

肉体は心の容れ物、心の表れである。病気は一般に知られている原因のさらに奥に、真の原因がある。それは心の不自然なゆがみ・偏りで、生活の暗影(不自然さ)が自分の肉体に赤信号として現われたものだ。朗らかな、ゆたかな、うるおいのある心になれば、病気は自然に治癒していく。



8 明朗は健康の父、愛和は幸福の母 〈明朗愛和〉

一人の明朗な心は、肉体の健康、家庭の健康、事業の健康のもとである。明朗な心を、一日も一分も曇らせてはならない。己が掲げた明朗のともしびで、他人もまた救われる。愛に満ちあふれて、皆がそれぞれにふさわしい場にあるさまを和という。宇宙は大和の姿であり、愛和はすべての幸福のもとである。



9 約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う 〈破約失福〉

大自然のきめごと(法則)は、守らぬと身を亡ぼし、命を失う。しかし人がきめた規約や約束は甘く見られている。これは大変な錯覚だ。約束はどんなことでも守り抜こう。まずは時間を守ることからはじめよう。法の網をくぐって手に入れた金銭・財産は、得をしたようで、その人の身につかないばかりか、かえってその人を、家を、不幸にする。



10 働きは最上の喜び 〈勤労歓喜〉

人はただ生きているだけでは、何の意味もない。働いてはじめて生きがいがある。働く人は健康であり、長命である。働きが一切、働きが人生、働きが生命である。真心で働いたとき、かならず「喜び」という報酬が得られる。それは他のどんな喜びにもかえることはできない。喜んで進んで自分の仕事に邁進しよう。



11 物はこれを生かす人に集まる 〈万物生々〉

物は大切に使うと、持ち主のために喜んで働き、粗末にあつかえば、反抗したり、ときには喰ってかかる。物は人とおなじように生きているからである。物をよく働かせる人は物にめぐまれていく。とりわけ物を象徴し、すべての財を具象した金銭は、もっとも敏感な生き物である。金銭はその人の努力に正比例し、欲心に反比例して集まってくる。



12 得るは捨つるにあり 〈捨我得全〉

物事はいつも順調に運ぶとはかぎらない。どうしても出来ないこともある。にっちもさっちもいかない絶体絶命のとき、どうすればいいか。思いきって欲心を捨ててしまう。何の未練も、予想も、後悔もなく、きれいさっぱり捨ててしまう。ときには生命すらも投げ出す覚悟を決める。すると、予想だにしなかった好結果が生まれる。私情雑念をさっぱりと捨てて、明朗闊達な心境に達したとき、かならず危難から逃れられる。



13 本を忘れず、末を乱さず 〈反始慎終〉

枝葉のことには気をつけるが、何事につけても本を忘れがちである。初心を忘れ、受けた恩を忘れるから、いつしか怠け、過ちをおかす。わずかな困難にも耐えることができない。常に本を忘れず、また後始末をきちんとすることが大切である。とりわけ、わが命の本である両親の恩を思い、祖先を敬する心を培おう。



14 希望は心の太陽である 〈心即太陽〉

都合がよいから希望をもつのではない。一度しかない人生、二度と出くわすことのない仕事だから、その前途に燃えるような希望をもつのだ。うまくいかないから望みを失うのではない。望みをなくすから、崩れていくのである。希望はいくら灯しても尽きることのない永遠の光である。



15 信ずれば成り、憂えれば崩れる 〈信成万事〉

自信のないことは失敗する。憂え心を抱いて弱気になると、物事はうまくいかなくなる。きっと出来るという信念が、そのことを成就させる。信は力である。決心も誓いも祈りも信の現われである。人の世の交わりは信によって成り立つ。信は、動いて愛となる。乱れは、信の欠けたことから起こる。



16 己を尊び人に及ぼす 〈尊己及人〉

世の中に、たった一つしかない宝というべき自分自身の個性を、できるだけ伸ばして、人のために働き、身をささげよう。それが自分を尊ぶことになる。己を尊ぶの極は、ささげることにある。ささげつくして己が無くなったとき、一切が己となる。



17 人生は神の演劇、その主役は己自身である 〈人生神劇〉

宇宙の生命、統一の中心、万象の根源、これを神あるいは仏という。神は幽なるもの、すべてはそこに一と統べられている。人生も、自分だけの小さな知恵や力を超えた、もっと大きなものによって動かされ、創られていく神の演劇である。私たちはその演劇の主人公であるから、演出の作法である純粋倫理に則して、力いっぱい生き抜いていこう。


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