バカの壁 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社 (2003年4月10日発売)
3.25
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「わかる」という神話世界とその住人たちをめぐる考察

 最も問題なのが「わからない」ことがあってはならないという恐怖と、強迫観念。
 その恐怖から逃れるための忌避としての「わかっている」という自己暗示。
(「わかっている」を商売にしている人にとっては、「わからない」ことが大変好ましくないという雰囲気/状態は、最大の顧客獲得につながる。)

 皮肉なようだけど「分からないと生きていけない」ことは、平時には割と少ない。
 また「分からなくても生きていける」ことの多さが、結果的には住みやすい社会の指標になっている。  
 全体にとっての問題を一部の機関、人間が「分かっている」ことで、問題が解決される。
 だから全員が農家、漁師、運転手、医者、兵士、警察、消防士、の他専門化でなくてもいいわけだ。「分からなくてもなんとかなる」から、安心して生活できる。
 本書の例に挙げられた「男性が出産のデティールについて知ろうとしない」「地球温暖化の原因が炭酸ガスというのは暫定的であること」「一般相対性理論の反証」「シニフィアンとシニフィエ」etcも、分からなくたってどうってことはないだろう。

 でも、それは「これまでは」の話で、「これまでの大半の人」はだ。
 そうじゃない人がいて、そうでない状況に直面/衝突している個人、世代は別だ。
 構成員の過半数が高齢者に偏っているこの国の場合、彼らが「知らなくても」問題ないからといって、若年層が「知らなくてもいい」ことにはならない。
 
 やがて、一部と全体は入れ替わる。

 著者が説明する「共同体が崩壊し、常識が喪失し、小さな共同体の論理が残され、機能主義に共同体的悪平等の論理が勝つ」日本世間。
 その共同体の「バカの壁」自体が既に崩れ、幻想に縋る人々が、小さな共同体のなかに更に壁を築き上げているのが実情といった感を受ける。
 壁は論理として構成員を束縛する。

 壁で例えるの、うまいなぁと感じた。
 わたしたちは、世間という共通了解の壁>職場や学校などの所属集団の壁>家族、恋人、友人の壁>自意識の壁 に囲まれて生活している。「わからない」は壁の周縁部分を目の当たりにしたときに始めて実感するもので、「わかろうと」とするから「わからない」にぶつかる。
 
 壁の内側を支えているのは、すでに起こったこと(蓋然性)を材料、それに基づく推論から客観的事実を構築して「わかる」という建築物を建設している。

 そう考えると、何だか蟻が巣を作っているような感じがして可愛いらしい。わたしたちは、「分かったことにしたい」から、せっせと分からないことを外に追いやって「バカの壁」を築き上げたのです。となる。

 小さな共同体しかなくなった社会に生きる、わたしたち共同体依存生物は、SNSや特定の人間関係、所属集団に依存して、「バカの壁」の内側まで狭めている。
 アルゴリズムがパーソナライズした特定の情報にだけ触れて、より閉域へと向かい、同じ閉域論理を持たない他者とはもはや接触すらしない。
 まあ接触しない分には衝突もなくていいのか?
 無関心、不寛容な住み心地良い狭い部屋で引きこもって暮らせるだけの平時は「バカの壁」の外から供給されるていることには気づかない。

 一方、本書で問題になっている「個性」とは、どの共同体の、どういった論理なのだろうか?と疑問に感じてならない。

 若年層の間では“キャラ”として浸透。
 教育現場では長所伸展、会社では優秀なスキル保持者として。
 個性あり、をかみ砕いて行けば、演じ分けが可能であれということに聞こえてくる。
 ここら辺を考えると、ビジネスのトレンドがそのまま求められる個性かもしれない。
 ビジネス書を見てもいい。
 動画編集、SNSマーケティング、それに関連したスキル、SNSコミュニケーション能力とかWEB企画力とか、プログラミング技術とか、英語力とかかもしれない。
 フォロワーの多さへの評価は露骨なもので、計測可能な個性となると、こんな風にまとめることができる。

 求められる個性は、トレンドに則した金稼ぎのスキルに外ならない。
 これらはある程度の努力と投資で、獲得可能でファッションのように着せ替えできる。
 教育現場の個性伸展カリキュラムは、指導要領や単位習得要件なんかで、就職の実態とはかけ離れているので、混乱はやっぱり発生する。
 学校では社会の求める個性なんて教育できませんなんて言ったら、客が減るので、学歴はまだまだ重要視される。評価される学生の個性は、学校社会のなかで挙げた成果だ。

 外に出て身体を使って働けば「他人のことがわかる」ようになり、経験不足が解消されて、「自分は創れる」のか。
 著者の言う「がんじがらめの共通了解を求められつつ、意味不明な個性を発揮しろと言われる」外へと出て行けばいいのか。
 結論は出ていくしかないのだと思う。
 そこにでわたしたちは、小さな共同体の一神教的な一元論的思考停止に陥った他者に出会う。
 「分かり合えない」他者にであったとき、初めて分かり合えないことがわかる。
 そこから、また更に別の「分からなさ」を持つ外部へと旅を続ける。

 その移動を妨げているのが「万物流転、情報不変」への誤解だ。
 自分は変わらない/自分を変えてはいけない。だから変わっていく自分の肉体や、認識に対して、不自然な強制を強いる。
 不安定な自分や周囲が許せなくなる。

 だから変化してしまう、不安定な存在としての自分から出発すること。
 有為転変を理解すること。
 揺るぎない事実なんて存在しないと考えることから始めるのがいい。
 そう思った。

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追考

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年10月8日
読了日 : 2023年10月8日
本棚登録日 : 2023年10月8日

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コメント 1件

hikki Hibikiさんのコメント
2023/10/29

理解不能

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