『最後の音楽』で話題に出ててオモシロそうだったで読んだ。正直ところどころかなり難しい内容で目が滑ることが多いながらも何となく読み終えることができた。それは音楽やアートがテーマになっているからだと思う。もとは1991年にリリースされたものだが今読んでも刺激的で新鮮な論点がたくさん載っており勉強になった。
 主題となるのはサンプリング/カットアップ/リミックス。前半はアート、後半はハウスミュージックに対して主題からアプローチしていく。アートのチャプターでは美術館の説明書きを読んでいるかのよう。知らない単語が頻出しつつ具体的な作品に対する論考が多い。なので読みにくいもののネットでググりながらだと比較的理解が進んだ。その中でサンプリングに関する記述で納得したのは以下のラインだった。巷ではサンプリングとパクリの違いが議論となるが下記のラインですべて説明される気がする。特に後半の「ブロウ・アップ」がキーワードだ。

*サンプリングのアーティストたちは、ある対象に徴候的に潜在するものの、当の対象にあっては非本質的な少数性でしかないものを異化変形してブロウ・アップしてみせるということだ。*

 ハウスミュージックのチャプターでは音楽における主題が果たす役割について論考が展開されている。ハウスが新しい音楽として紹介されていることに時代を感じつつ、相対的に権威主義としてのロックが失墜している話が興味深かった。元々ライブがバンドを教会のように崇めるようにみるのとは対照的にクラブでのハウスミュージックは崇める対象が不在である。(DJはいるけど)脱中心化についてつぶさに考察されていた。またブライアン・イーノをめぐるアンビエントに対する話も知らないことばかりで勉強になった。
 最後にまとめのチャプターが用意されており、そこでは上記2つに収まらない議論がそこかしこで転がっている。正直追いきれていない議論が多いものの、白人によるロックのアプロプリエーションからヒップホップの勃興という流れの議論は新鮮だった。またエコノミーからエコロジーへという話は最近のSDGsにも通ずるものであり、ファッションのようにこの手の話も数十年単位で繰り返すのだなと改めて認識した。ここまでのレビューを読んでいただいてわかるように正直全貌がまったく掴めていないのでタイミングで繰り返し読まないといけない本だった。

2024年5月10日

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読書状況 読み終わった [2024年5月10日]

 エッセイ、小説を立て続けに最近読んだ中でSessionにゲスト出演している回を聞いた。育児について語る場面があり本著が紹介されていたので読んだ。文庫版の解説にもあるように本音は人を傷つけるから蓋をするケースが多い中、もっとも聖域となっている育児において、女性の悲しみや怒りといった真っ直ぐな気持ちがこれでもかと詰め込まれた小説で圧倒された。
 三人の女性を描いた群像劇となっていて、ユカは小説家、ユカの高校の同級生の涼子、ユカと同じ保育園に通う娘を持つモデルの五月が登場する。バラバラの背景を持つ彼女たちがそれぞれ育児する中で直面する現実を細かく描いている。小説ゆえの展開のエグさはあるものの「育児に対する無理解」という通底するテーマは極めて卑近なものだ。登場人物が三人いるからとはいえ文庫で600ページ強というのは特大ボリューム。読む人によってはかなりキツい描写が続くものの、怖いものみたさが勝ってひたすらページをめくっていた。
 子育てする中で当然我が子はかわいく思えるし唯一無二の存在ではある。ただ大人になると思い通りにならないことへの耐性が低くなっており、子どもの無邪気さをどうしても受け止めきれないときがある。この小説では、その無邪気さに対する親の持つダークサイドにフォーカスした育児小説となっている。これが分かりやすい。

 *私たちは自分の負の感情を子供たちに見せないように、ある種の感性を麻痺させて進化したのだろう。でもシンデレラ城の裏が張りぼてであるように、子どもたちが目にする優しい母親の裏には、ぞっとするようなマイナスの感情が渦巻いているはずだ。*

 著者になぞらえやすい小説家の登場人物がいるし、その役目を使ってメタ的展開もふんだんにあるものの、残り二人にも著者の情念がこれでもかと捩じ込まれており筆が走っていることが読んでいて伝わってくる。育児する上でこの日本社会に横たわる女性の不条理を叫びたい、書きたい。たくさんの鬼気迫るシーンもあいまって、育児している当事者に対して悲痛な思いがグサグサと胸に刺さってくる。また小説家という設定を用意することで他の登場人物たちを一方的に追い込んでいくわけではなく自戒の要素が含まれハードな内容のバランスを取っているように感じた。
 読者と比較的立場の近い涼子がワンオペで追い込まれていく描写がとにかく辛く息がつまる。ワンオペは物理的に子どもと1対1で孤立している状況だが、仮にワンオペでなくとも孤立することを本著では手を替え品を替え伝えている。誰もが子どもに対して加害者になりたいわけではないが育児で追い込まれること=圧倒的正しさに責め立てられる辛さ、ミスの許されない辛さをこんなに言語化している小説はないだろう。このラインは育児などに関係なく刺さる。

*私たちには弱者に向き合う時、常に暴力の衝動に震えている。私たちには常に、弱者に対する暴力への衝動がある。でも暴力の衝動に身を任せて弱者を叩きのめしても人は大概満たされない。*

 本著を読んで最も印象に残ったのは登場人物たちが感情を激昂させる際の表現として読点なしの独白だ。いずれも夫に裏切られた登場人物によるものなのだが読点のない文章が持つ迫力に圧倒された。文字圧とでも言いたくなるような表現。特にユカがブチ切れるシーンはラッパーのファストフローを聞いたときのようにガンフィンガー立てるレベルだった。

 すべてのベースにあるのは男尊女卑がはびこる社会に対する怒り、女性に対する育児・家事の負荷の大きさに対する憤りである。男性の育児休業取得など、近年では目に見えて変わってきている部分もあるがまだまだ対等とはいえない。「母性」という言葉が生むプレッシャーに苦しみ育児をする母親ではなく一人の女性としての尊厳が欲しい、その切なる願いが悲劇を生んでしまうのが辛い。終盤にかけて...

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2024年5月10日

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読書状況 読み終わった [2024年5月10日]

著者に前作である『万事快調<オールグリーンズ』がかなり好きだったので読んだ。好みでいうと前作だったが、B級映画的なスラップスティックなアプローチはハマる、ハマらないが色々なので好きな人は好きな作品のはず。

 過去に小説家志望だった配達員の仕事をする馬車道という女性が主人公で、その幼馴染二人が脇を固める。女性が主人公なのだが言葉遣いはかなり乱暴で読んでいるあいだ女性ではなく男性だと勘違いしてしまうことが多々あった。小説は文字しか情報がないので、そこから性別を含め登場人物の情報を推し量るわけだが自分の言葉遣いに対する先入観に気付かされた。著者はこの点に意識的であり、作中では言葉遣いではなく骨格を使って同様に性別に対する先入観への違和感を今話題のトイレを使ってインサートしている。性別は誰かに決められるものではない、それは小説を読む際も同様だ!という力強い宣言に取れた。

 荒唐無稽な展開の連続で石が転がるようにプロットが展開していくので読んでいるあいだ飽きることはない。謎の生命体(ニュー・サバービア)が登場してからは完全にB級SFの様相を呈しておりページを捲る手は止まらなかった。小説家志望という設定もあいまってメタ的な展開もあったり、前作に続き固有名詞の積極的な引用も盛り沢山でカルチャーに対する愛はそういったギミックから感じた。そんな中でもハッとするラインがあり、そのギャップが魅力だった。例えばこの辺。

*食い物を運んで行ったり来たりの繰り返しだ。地元よりもさらになにもない田舎に住んでいた祖母が、家畜にエサを与えて回っていたときの姿を思い出す。*

*「安くて質のいいもの」はおしなべて人権を侵害することによって生み出されている。そんなものを手にしたくない。でも、それを手にしなかったら飢える。死ぬ。*

*べつに恵まれていないのにその場から動こうとしないのも、なんだか郊外生活者的だ。*

 原発事故による放射能汚染されたエリアを舞台にするのも新鮮に映った。「アンダーコントロール」と言い放ちながら問題は山積みにも関わらず皆が存在を忘れてしまっているから。国の中に放射能で汚染された立ち入りできないエリアが存在することの異様さをスラップスティックな表現で伝えようとする志の高さは若い作家だからこそかもしれない。それは簡単に長いものに巻かれてたまるかということだ。見た目は軽薄だけど実は骨太というのは一番かっこいい。次回作も楽しみ。

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 夏葉社を経営する著者の最新作。出版元がみすず書房でこのタイトル、この装丁なら買わざるをえないということで読んだ。過去のエッセイと比べ今回はかなりパーソナルな話が多く集大成のような印象を受けた。

 タイトルからすると読書論を期待するかもしれないが半自伝といってもいい。著者の人生において本および読書がどういう存在であったかを柔らかい言葉で描いている。前半は学生時代の話が中心で何者でもない学生が小説家を目指そうとする過程はかなり赤裸々だ。読んでいると自分の承認欲求を大いにくすぐられる。ルサンチマンを発揮してもおかしくなさそうなシチュエーションの中で本、読書によってそのギリギリで踏みとどまれていたのかもしれない。今でこそ誰でも文章を数秒でネットで発信できる時代だが、誰かに何かを読んでもらう行為のハードルが高い頃の話は今読むと興味深かった。また自分が学生だった頃に通り過ぎていった先輩や友人のことをたくさんレミニスし皆元気でやっているだろうかという感傷的な気持ちにもなった。

 本や読書に対して真摯に向き合っている点が著者の魅力であり、本著ではそれがいかんなく発揮されている。一読者として、さらに編集という仕事を通じて多角的な読書論が展開され興味深い話がたくさん載っていた。前者の一読者という点では文体の話が興味深かった。特定の作家に惚れ込むことで手持ちのボキャブラリーが変化、さらにはその組み合わせも変化することで新しい文体を形成していく。そして、その文体変化に伴い思考も変遷していくというのはまるで脳科学のような話である。その言葉の組み合わせから生まれる文学の可能性として以下のラインにグッときた。

*作家たちは難解な言葉をつかうのではなく、学生たちがつかうような言葉を駆使して、彼らにしか表現できない世界をつくった。それはスクリーン越しに眺めるような、遠くの美しい世界ではなかった。ぼくが読んでいる「文学」は言葉をとおして、読む者のこころの奥底に深く浸透していくような世界だった。*

 後者の編集という観点ではリーダブル論が特に刺さった。読みやすさは意図して設計されており自然に起こるものではない。さらに時代性があるから今の本の方が読みやすい。そういったことを踏まえて古典を読むことの意味を説いており新鮮だった。そして序盤に展開される著者が初めて村上春樹を読んだときの印象的なエピソードもあいまって「読む」ことの難しさ、オモシロさが浮かび上がってくる。自分自身は世間一般の人より本をたくさん読んでいるが、どうしても新刊ばかり読んでしまい古典に手が伸びない。著者のような温故知新の観点で言語感覚を更新していく姿勢は見習いたい。読書離れが嘆かれて久しいが読んでいる人は読んでいる。そしてネット上で玉石混交の情報が加速度的に増していく今、本を読む行為の尊さは輝きを増す一方だからこそ今日も私は本を読む。

2024年4月30日

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読書状況 読み終わった [2024年4月30日]

 ノンフィクションを読みたくなったときには[宅壮一ノンフィクション賞を参考にしており2023年受賞作品ということで読んだ。超一級の調査型ノンフィクションでめちゃくちゃオモシロかった。愛想のない無骨な表紙からしてシビれるのだが、ジャーナリズムとはこういうことよなと惚れ惚れするような内容だった。

 2008年に起こった海難事故を題材としており、具体的には第58寿和丸という漁船が突如沈没、行方不明含めて17名の方が亡くなった。この事故については原因が定かとなっておらず著者が丁寧な取材をベースに確信へと迫っていく構成となっている。まず冒頭で著者が取材をベースとして事故当時の様子を三人称視点でまるで映画を見ているかのような激しいタッチで描いている。それにより海難事故の恐ろしさが脳髄まで叩き込まれ「なんでこんなことが起こるわけ?!」という興味関心が読んでいる間ずっと持続していた。しかもこの事故は発生当時は秋葉原の通り魔の報道でかき消えてしまったらしく、さらに調査報告書が出たのは311直後の2011年4月。17人も亡くなっているにも関わらず人の目に触れてきていない。そういった日の目を見ていない事故に光を当て闇を紐解いていくのは一級のミステリーさながらだった。

 「コツコツ」という言葉がこれほどピッタリなノンフィクションが日本にどれだけあるだろうか?推論を立てて証拠に基づいた裏どりを進めていく。そして取材対象に対して真摯に向き合い証言を集める。一歩一歩は小さいかもしれないが、点と点を線にする作業はあらゆる仕事で必要な姿勢であり、著者の文章から仕事の足腰の強さがにじみ出ていた。これとか至言。

*社会の出来事を掘り起こして記録に残すという営み、つまり、事実のかけらを拾い集めてつなぎ合わせるという作業には、おそらくタイミングというものがある。どんなに重要な出来事であっても、そのタイミングを逃せば真実には半永遠的にたどり着けない。*

 近年起こった海難事故といえば知床の件を想起したのだが、あの事故をニュースで知ったときに得体の知れない恐怖を感じた。それが一体何なのか当時は深く考えなかったものの、この事故における生存者の以下のラインがその正体を非常にうまく言語化していた。

*普通に明日も明後日も生きれるんだと思っているのに、『あと 30分後に死ぬんだよ』って急に突きつけられた。もう、あの人に会いたい、あれもしておきたいってことが一つもできない。そういう未練だ。何歳までも生きたいっちゅう未練じゃなくて。やりたいことが何もできないで死を迎えるくらい未練が残ることはないんだ。あの怖さは未練だ。命を奪われるかもしれない状況になって、その覚悟ができていなかった*

 終盤は日本の情報開示に関する問題が顕在化する話へと展開していく。公文書改竄事件でも明らかになったとおり誰かが決めた結論ありきで猪突猛進し他者からの意見、批判を受け付けないし何も開示しないといったここ数年の問題が当事故でも発生している。「秘密にしておけばバレないし証拠もないから大丈夫っしょ」というムーブを国側がかましまくっていることに驚くしかない。こんな大きな事件でさえ起こっているんだったら、ゴキブリのように小さな嘘や偽りはごまんとあるかもしれない。法治国家にも関わらず国民がそんな疑いを持たざるを得ない時点で腐敗は進んでいることがよく分かる。さらに腐っているからといって白黒はっきりつけようと前に進むことができない点も日本社会の苦しいところ。清濁併せ吞みながら、それこそ黒い油を呑みながらでも真実に対して愚直にアプローチすれば道は開けていくはず。そういった祈りを託すかのようなエンディングもグッときた。これが著書としては1作目というのはまるで信じられない。また著者の作品が出れば必ず読みたい。

2024年4月30日

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読書状況 読み終わった [2024年4月30日]

 Kindleのセールで買って積んであったのを読んだ。これまで著者の作品を何冊か読んでいるが、その中でも最も読むことが難しい一冊だった。タイトルにあるように「本物の読書家なのか?」と試されているのかもしれない。キャリア2作目ということで、その後のスタイルの萌芽を目撃できるという点では読んでよかった。

 「本物の読書家」「未熟な同感者」の2つの中編が収録されている。タイトル作である前者は読み終わった今となっては後者に比べてかなり読みやすく、そしてエンタメ性があった。叔父に付き添って電車で老人ホームまで向かう電車の道中で起こる文学与太話。隣の席に座る見ず知らずの文学おじさん、叔父、主人公がお互いの腹を探り合う様は探偵ものを読んでいるような感覚だった。特に見ず知らずのおじさんが関西弁で真相を突き詰めようと迫ってくる様は名探偵コナンの服部を彷彿とさせ懐かしい気持ちになった。川端康成のゴーストライターが叔父だったのでは?というのが大きなテーマなのだが、そこに至るまでの良い意味でのまわりくどさは著者の特徴と言える。エンタメとして最適化するときに切り落とされる日常、生活の空気のようなものが拾い救われているのを読むと心がフッと軽くなる。合わせて文学論も語られているのだがナボコフの以下引用がグッときた。

*文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年がすぐうしろを一匹の大きな灰色の狼に追われて、ネアンデルタールの谷間から飛び出してきた日に生まれたのではない。文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年が走ってきたが、そのうしろには狼なんかいなかったという、その日に生まれたのである。その哀れな少年が、あまりしばしば噓をつくので、とうとう本物の獣に喰われてしまったというのは、まったくの偶然にすぎない。しかし、ここに大切なことがあるのだ。途轍もなく丈高い草の蔭にいる狼と、途轍もないホラ話に出てくる狼とのあいだには、ちらちらと光ゆらめく仲介者がいるのだ。この仲介者、このプリズムこそ、文学芸術にほかならない。*

 後者である「未熟な同感者」は大学の文学論のゼミの講義内容、サリンジャーの小説、そしてゼミに参加するメンバーの様子が入り乱れて描かれる複雑な小説で正直かなり読みにくかった。読み進めることはできるものの目が滑りまくって何を読んでいるのか分からなくなる瞬間が何度もあった。現実パートも著者のフェティッシュを感じさせる内容に今のスタイルと共通する点を見出しつつも荒削りのように感じた。こんな風に感じる私は未熟な同感者なのだろう。本物の読書家への道のりは険しいのであった…

2024年4月26日

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読書状況 読み終わった [2024年4月26日]

 先日NHKで放送された坂本龍一のドキュメンタリーが信じられないほど心に刺さってしまい今更ながら著書を追いかけようということで読んだ。対談相手の福岡伸一の受け身のうまさもあいまって極上の対談となっていて興味深かった。
 2017年に放送された番組での対談内容に加えてコロナ禍真っ只中である2020年の対談が追加された構成となっている。対談の文字起こしなのでラジオを脳内再生しているように読めるのが特徴的で難しい話も入ってきやすい。まず驚いたのは坂本龍一が学者である福岡伸一とこれだけ会話をスイングできること。彼が単なる一音楽家にとどまらないことは晩年の社会にコミットする活動などから知ってはいたが、その背景に膨大な知識と思慮深さがあることが本著から伺い知れる。当然それを引き出しているのは福岡伸一だとも言えて2人の相性が本当に素晴らしく会話がずっとスイングしているので、いくらでも読みたかった。特に生物学と音楽の対比、アナロジーの展開が見事。ひたすら点と点が線で繋がっていくオモシロさが多分にあった。しかし続編はもう叶わぬ夢となってしまったことが悲しい。坂本龍一が死について直接言及しているラインはドキュメンタリーで壮絶な最後を見たばかりなので沁みた。生命は利他的であるべきであるが、利己的な生きることへの執着も捨てがたい。結局は諸行無常でしかないことを痛感させられた。
 対談の一番大枠を捉えればロゴス(論理)とピュシス(自然)になるだろう。シンセサイザーを使って音楽をロゴスで捉えた音楽家とDNA解析という論理で名を挙げた学者。この2人が自然回帰の重要性を説いている点が興味深い。ロゴスの山の頂に登ったからこそ見える景色があるというのは本当のプロだけが言える言葉であり、その辺のロハス風情が説く印象論レベルのSDGs与太話とは納得度が雲泥の差であった。AIの台頭もあいまってさらに世界はロゴスにより加速度的に支配されつつあり、そこから逸脱したものを忌避する傾向さえある。そんな状況下ではロゴスからはみ出すことに魅力があり、さらにピュシスと真摯に向き合えればなおよしだと受け取った。
 本著を読んで坂本龍一のカタログをよく聞くようになったのだけど、なかでも対談当時にリリースされた『async』の解像度がかなり上がった。このアルバムは坂本龍一の音に対するアプローチが表現されており音だけ聞くよりもその背景、思想を踏まえて聞くと全く違う風に聞こえる。音楽は奥深い。また坂本龍一がヒップホップに対してサンプリング許可を寛大に与えていたのはヒップホップの非論理性に惹かれていたからなのかと夢想した。次は最後の日々が綴られているという『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を読む。

2024年4月24日

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読書状況 読み終わった [2024年4月24日]

 本屋をぶらぶらしていたときに目に入って買った。ブルーバックスの本を読むのは初めてで知的好奇心を読書で満たす、一端の大人になったのだなと思う。それはともかく毎日コーヒーをドリップして飲んでいる立場からすると興味深い話の連続でますますコーヒーのことが好きになれた。
 著者は大学の先生で微生物学、遺伝学を専門にしている方。科学的な視点からコーヒーを捉え直す一冊となっている。科学的というのは文字通りで、物理学、化学、生物学、さらには歴史学まであらゆる観点からコーヒーを考察している。大学の先生とはいえ、この知識の総動員っぷりは総合格闘技でいえば寝てよし、立ってよしのトータルファイターさながらである。私たち消費者がコーヒーを飲むまでの経路に合わせた構成になっている点が分かりやすくて良い。世の中には「どうやったら美味しいコーヒーを飲めるか」というハウツー本はたくさんあるが、コーヒーに関する知識を体系的に獲得する観点でいえば本著に勝るものはないだろう。そのくらい圧倒的な情報量であり、なかでも焙煎する前のコーヒー豆としての生物学的情報が充実している。のちに焙煎のチャプターで豆の形状の話が登場し知識の裏付けが実践に活きることの証左となっている。そこが単純な学術書とは異なっておりブルーバックスシリーズの醍醐味なのだろう。
 日々のコーヒー生活への還元でいうと個人的に一番大きかったのは豆の選定時の情報量が増えたことだ。これまでは産地と焙煎でなんとなく買ってたけど、さらに豆の種類、精製方法が加わりさらにコーヒーを楽しめそう。また毎日ペーパードリップで抽出しているのだけども、それはカラムによる成分抽出と同等であるという論点は化学専攻の身としてグッとくるものがあった。一定の味にするためルーティン化しがちな作業だが今回知った理論を念頭におきつつ色んなスタイルを試してみたい。
 コーヒーのおいしさを科学的なアプローチで解析していくあたりが個人的にはハイライトだった。コーヒーに含まれる物質解析から有機化学のアプローチで香りを含めて解析するアプローチは想像がついたものの、口の中でのコーヒーの液体としての物理化学的な動態、分子の挙動が味に対してインパクトを持っていることは目から鱗だった。その同じようなアプローチで焙煎、抽出も再考されておりハウツー本でバリスタなどが提案している手法の裏付けをガンガン取っていくところに知的好奇心が大きく満たされた。
 コーヒーという飲み物の複雑さと人間の生物学的な複雑さがかけ合わさっいるので未解明なことはまだまだたくさんある。それは特に健康面での影響が顕著である。コーヒーは良い方向にも悪い方向にも喧伝されるが本著ではそこも慎重かつ冷静に科学的なアプローチで解説してくれており信頼できる。コーヒー道は奥が深いので、本著で得た知識を念頭におきつつ精進していきたい。

2024年4月18日

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読書状況 読み終わった [2024年4月18日]

 鋭すぎるかつ超絶新鮮な視点で雑貨をとらえた『すべての雑貨』『雑貨の終わり』を書いた著者による新作ということで読んだ。あいかわらず鋭い視点のオンパレードで読む手が止まらなかった。過去二作に比べると皮肉成分が減少している印象で比較的優しい物言いが多かった。日々なんとなくやり過ごしている、見過ごしていることの言語化が本当に見事すぎて読む前後で世界の見え方が変わる最高な読書体験だった。
 雑誌の連載と書き下ろしで構成されており雑貨を起点として色々な事象について考察したエッセイが収載されている。冒頭から模倣とプレイというテーマで始まり、最近モヤモヤしていたことがスパッと表現されており膝を打った。模倣自体に嫌悪は感じないが、その模倣の先で「プレイ」や「〇〇ごっこ」となってしまった途端にチープに見えてしまう。こういった塩梅の難しいラインの話がたくさん載っているからたまらない。キーワードとしては断片化がある。テクノロジーの進歩により、あらゆるものが断片化された状況において文脈は存在せず、そして必要もされなくなってくる。断片化されたものは「雑貨」「クリエイター」などといった一つの言葉に集約されていく。その状況を憂うというよりも冷静に見つめている。全体に抑制されたトーンである点が特徴的だった。
 メルカリがもたらした所有の感覚の変化もめちゃくちゃよく分かる内容だった。自分の周りのものを売れるかどうかでジャッジしたり買うときにメルカリのことを想起する。つまり「メルカリで買えば安く買えるか?」もしくは「ここで買ってメルカリでリセールできるか?」といったことが無意識に頭をよぎっている。持っているようで持っていないという所有のアンビバレンスを指摘されたことで意識するようになった。あとメディア論もあり、ピンチョンの豊かな想像力と陰謀論者の荒唐無稽な主張をダブらせる語り口はとても興味深かった。
 過去作品に比べて著者本人に関する語りが増えており全体に柔らかい印象を抱かせている。Instagramと格闘している話はチャーミングだし終盤のお客さんとの占いにまつわる話は小説的な展開含めてThat’s lifeな内容で胸に沁みた。優れたブックガイドとしても機能しており各章で紹介される本がどれも読みたくなるものばかり。そして本を読むことに関する話もあり、これまた切り口が新鮮かつエッセイを超えた論考レベルになっており興味深かった。特に以前から気になっているアリ・スミスの紹介はかなり惹かれたので早々に読みたい。

2024年4月18日

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読書状況 読み終わった [2024年4月18日]

 十年くらい前に熱心に読んでいた著者のエッセイということで読んだ。全く好きな言葉ではないが「メンヘラ」という言葉で片付けてしまいそうな感情を取りこぼさないように言語化しているエッセイだった。ここまでの厭世観を持ち合わせてはいないが、天邪鬼気質ではあるので著者の主張にうなずく場面が多かった。
 前半はパリでの移民としての生活、後半は東京に帰国後の生活という構成となっている。著者がパリに移住しているなんて全く知らず驚きつつ、長いパリ生活におけるカルチャーギャップと自分について考察されている点が興味深い。特に海外で暮らすことのメンタル面でのハードモードっぷりが描かれている点が特徴的。実際に起こっていなくても「日常がテロで大きく侵食されるかもしれない」可能性を頭に置きながら生活することの苦労は日本にいると分からない。また色んな物事が前に全然進んでいかない様を読んでいると、日本のシステマチックかつタイトな対応はありがたいことなのかもしれないと感謝の念を抱いた。
 女性の社会における立場に関する内容もたくさん書かれている。二児の母、一人の女性、一家の稼ぎ手、それぞれの立場を行ったり来たりしながら、感情や生活の揺らぎが鮮明に描かれている。著者の友人の話もふんだんに書かれており、そこから相対的に自分のことを考えているケースが多く彼女の思考回路を覗いているような感覚だった。
 小説家なので当たり前だけど文章の比喩表現が自然かつ巧みでめちゃくちゃかっこいい。厭世感もただ書き連ねているだけであればネットの戯言で変わらないわけで、そこに作家としての矜持をみた。たとえばこの辺り。

*過酷な異国生活の中でも、私にとって家庭はアイデンティティになり得なかった。家庭とは、成り立たせ回さなければならないものだった。自分は家庭が倒れないように回り続ける歯車でしかない、その思いが鉋のように、硬くなった皮膚を鋭くリズミカルに削り続けているようだった。*

子どもたちがカブトムシを持って帰ってきて家で飼い始めた際の壮大な生命論にリーチしているエッセイがあり、虫が苦手ということを起点にしたスケールの広げ方に笑った。次はウェッサイ性があると聞いた『TRIP TRAP』を読む。

2024年4月18日

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読書状況 読み終わった [2024年4月18日]

 安部公房の銀色の文庫は古本屋、ブックオフで見かけたら買うようにしているのだが本屋で新作を見かけたので買った。ジャケが毎回マジでかっこいい。死後にフロッピーディスクから発掘された原稿らしい。アウトテイクのリリースは賛否あると思うが、本著は補完せずに未完成のままリリースされており潔さがあった。
 空を飛ぶ男とそれを目撃するアパートの住人男女2人という設定。会話がかなり多く演劇を見ているような気分になる。人智を超えている設定としては「空を飛ぶ」ということだけで、こんなに不穏な物語を構築できる点に安部公房らしさを感じた。その大きな要因としては、空を飛ぶ能力を持つ男よりも目撃者である2人の方が只者ではないからだ。大量のガラクタをコレクションする男、銃で空飛ぶ男を狙撃する女。一度関わったらタダではすまない底なし沼のようなキャラクターたちの魅力が溢れている。それらを起点にして物語がこれからスイングしようとしているところで終わってしまっている点がもったいない。実際、終盤は文章が一部抜けており完全に未完成の状態となっていた。エンタメ性を担保しつつ深い示唆を読者に与える点が彼の魅力だと考えているので片手落ちな感じは否めなかった。初期短編集もこないだ出たらしいので、そちらを読んでみたい。

2024年4月5日

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読書状況 読み終わった [2024年4月5日]

 同じ著者が漫才コンビを描いた『おもろい以外いらんねん』がオモシロかったので読んだ。R-1が芸歴制限を解除したことで再び注目が集まっているピン芸人。その鬱屈した感情や環境が丁寧に描写されており楽しく読んだ。
 タイトルどおりピン芸人の高崎犬彦が主人公で彼が脱サラして芸人デビュー、そこから売れっ子になるまでを三人称視点で描写している。器用さを持ち合わせない彼が笑われる側から笑わす側へとなんとか移行しようと悪戦苦闘する姿は自己実現を果たそうとする人間として映るので仕事論とも言える。自分が好きなこと、やりたいことが評価される訳ではない。
 脱サラという設定も示唆的だった。アウトサイダーとして憧れた芸人が社会におけるパブリックな存在になってしまったことで品行方正を要求される。またバラエティに出たとしても場の調和を大切にするサラリーマン的な振る舞いを要求されるのであれば一体なぜ芸人になったのか悩むのは当然だ。言われてみればその通りなのだが、この逆説的なアプローチが新鮮だった。
 芸人は芸を肥やしに生きる仕事のはずが、その場の空気に合わせた道化のような振る舞いが評価される。ネタ原理主義と売れっ子になることのギャップをどう考えるか?というテーマは前作の『おもろい以外いらんねん』でも取り上げられていたが本作でも向き合っている。ピン芸人の場合はコンビやトリオと違って1人なので、さらに煮詰まっており各芸人の小宇宙同士のぶつかり合いが繰り返し起こる。そこでぶつけ合う主義主張には著者のお笑いに対する批評性を感じる。なかでも「お笑い芸人に象徴させすぎ/背負わせすぎ問題」に意識的だった。芸人はニュース、バラエティ、CMなど、今やエンタメ/非エンタメ問わずそこかしこに入り込んでいる。ポップカルチャーゆえの責任を背負うかどうかの過渡期の今、本著が一種のタイムスタンプとして機能することになるかもしれない。
 小説では文字でネタを書いて表現しなければならないので主要人物のネタ形式は漫談となっていた。文字で読んでもオモシロくならないという可能性については、主人公がどちらかといえばスベり芸というポジションとすることで回避していた。あと「ネタは別の世界なんで…」というエクスキューズとして文字の大きさを変えるという見た目のギミックを使い、ネタと小説を区別するのは効果的だった。
 以下のラインは日本のピン芸とUSのスタンダップの比較から今の状況を婉曲的に批評しており新たな視点だと感じた。考えないで笑うことに慣れきっているが頭のどこかに留めておきたい。

*反射で笑わへんってことは、裏を返せば反射で中傷せえへんってことやろ?きちんとした境い目があったら、演者を守ることになると思うねん。芸人って図太いし、お客さんと一体になって生まれる笑いがめちゃくちゃ気持ちいいのはわかってるけど、それだけじゃない仕組みが必要なんちゃうかな。*

2024年3月30日

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読書状況 読み終わった [2024年3月30日]

久しぶりにヒップホップ批評的な本が出るということで楽しみに読んだ。2人のそれぞれの見立てのユニークさとゲストも含めスイングしていく対話がめちゃくちゃオモシロかった。
 「ヒップホップと〇〇」という形で章立てされている構成で複雑化しているヒップホップのカルチャーとしてのあり方を解きほぐしていく。各自によるコラムも一部あるが、ベースとなっているのは著者2人による対談でそれを再構成している。ゆえに難しい哲学的なアプローチの議論もかなり理解しやすかった。同じ内容を書き言葉で堅めに表現するよりもこの形式のほうが門外漢に対して間口が広くて良い。
 今や世界的なポップカルチャーとなり、ここ数年は日本でも加速度的に人気が高まっているヒップホップ。表面だけみればパーティーカルチャーに見えるが、その奥には縦にも横にも斜めにも広がるかっこよさの多様さがある。それは「Dope」や「 ill」 という言葉で表象されており、こういったかっこよさについて論考していく内容となっている。自分自身がヒップホップを好きになったのは本著で主張されている「ズレ」が大きな理由の一つであり、彼らの議論によって具体的に言語化されることで気づくことがたくさんあった。今の時代、なんでも正しく綺麗なものがもてはやされる一方で間違っていて汚ないものは価値がないと判断されてしまう。しかし、そこで価値転換を起こすことができる点にヒップホップの素晴らしさがある。本著内で繰り返し言及されるようにすべてがシミュレートされてしまうポストモダン社会における大きな役割をヒップホップが担っていると言っても過言ではないだろう。
 ゲスト陣も鉄壁で菊地成孔、Illcit Tsuboiのチャプターが出色だった。菊地成孔とはヒップホップの文学性を議論しており、リリックの内容やライミングのありかたといった定性的なものから、リリック内のボキャブラリーの数といった定量的分析まで全方位に話が転がっており興味深かった。ラストの金原ひとみウェッサイ論は飛距離がハンパなかったのですぐに読みたい。そしてIllcit Tsuboiのチャプターは目から鱗な話の連続だ。氏のTwitterでは音響的観点でレコードや新譜のヒップホップについてツイートされているが、そのベースにある考えを知ることができて大変参考になった。「ヒップホップはマスタリングの音楽である」とはJAZZ DOMMUNISTERSの”One for Coyne”におけるN/Kの言葉だが、そのくらい他の音楽に比べて音の質が議論になる。もともとサンプリングベースの音楽だったことも影響していて、ダーティーさ、ラウドさといったノイズの要素をどのくらい入れるかが一つの主張にもなる。荘子itはそこにキャラクターさえ投影しようとしていて興味深かった。長く信頼されているエンジニアだからこそのエピソードも多く、ECD『失点・イン・ザ・パーク』やBuddha Brandの『人間発電所』の製作秘話など知らないことだらけ。特に前者は読後に聞くと圧倒的に解像度が上がりめちゃくちゃかっこよく聞こえてびっくりした。これもキャラや記名性に通じていて純粋な音楽だけの魅力だけではなくコンテクスト重視の音楽だからこそなのかもしれない。
 あと驚いたのは日本のヒップホップに対する批評的眼差しだ。Creepy Nutsや舐達麻といった今の人気どころをズバッと言語化してしまう荘子itの鋭さにドキッとさせられる。Dos Monosは意識的にいわゆる日本の「ヒップホップシーン」と距離を置いているがゆえに言えることが多分にあり、ライターたちの大半が御用聞きのインサイダーと化した今、批評的な眼差しのあり方は貴重だ。本著全体から見ればわずかな量だが、こういう目線の日本のヒップホップの本がもっと読みたい。
 こんな文章の連なりでは到底...

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2024年3月28日

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読書状況 読み終わった [2024年3月28日]

 既刊を少しずつ大切に読んでいる柴崎友香氏の新刊がリリースされ、Sessionのゲスト回も興味深かったので読んだ。何も起こっていないように見えて、その実すべては変化している社会に対するステイトメントのような小説でめちゃくちゃオモシロかった。そして何度も身につまされる気持ちになった。普段置いてきぼりにしている気持ちや考えがこうやって立体的に小説で立ち上がってくると同じテーマのエッセイなどを読むよりも心に刺さる。見た目は限りなくノンフィクションだが、フィクションの醍醐味が詰まっていた。
 3人の主人公が用意されており、2020年以降の各年月に主人公たちがどのような生活を送っていたのか一冊の詩集を軸にして描かれている。立場、年齢、性別、仕事いずれもバラバラながらもコロナ禍や地震といった共通の災禍を通じて各自の感情のあり方をあぶり出していく。今この瞬間は何かの前で何かの後である。言われてみれば当たり前なのだが、この「何か」に対して「災禍」を当てはめて物語を構築している点がエポックメイキングだ。災害大国である日本ではここ十数年のあいだ、地震、津波、洪水など災害が後をたたない。また特定の場所に依存せず猛威を振るったコロナウイルスもあった。我々は常に「何か」の犠牲者になる可能性があるにも関わらず、自分に関係がないと傍観者になってしまうことが多い。それに伴う自責の念のようなものがたくさん描かれている。生活していれば誰もが他人事ではないと頭では分かっていても行動には移せない歯がゆさの数々は多くの人が理解する感情のはずだ。
 そのとき自分が何をしていたのか、どのような影響を受けたのか。メディアでは大きなトピックが扱われることが多いが、実際には軽微なことを含め皆なんらかの影響を受けており、その距離感について考えさせられる。自分自身は阪神大震災でモロに被災して人生が大きく変化したし東日本大震災のときは直接に被害はなかったものの就活真っ最中だった。こうやって過去の災禍と自分の距離を改めて見つめる作業は「何か」の前を生きる今、必要なことかもしれない。(能登半島地震が起こった後であり、海外では戦争真っ只中なので「前」とは言い切れないのですが、今の自分の肌感としては「前」ということです。)
 ここ数十年で起こった価値観の変化についてもかなり意識的な描写が多い。女性が抑圧される場面の描写があるものの、泣き寝入りせず毅然と対峙していく。また抑圧に対して「相対的にみればマシだ」という一種の処世術に対しても疑問符を投げかけるシーンが多い。本著のフレーズで言えば「恵まれている」と自己暗示のように言い聞かせて現状を飲み込んでいく、その対処療法の繰り返しで我々は結果的に貧しくなってしまったのではないかと言われているようだった。
 辛いことやおかしなことがたくさん起こっているにも関わらず現実はそのまま放置されている無力感をここ数十年味わってきたし、その状況に慣れてしまっている。この無力感を街で生きる市井の人たちの生活の視点から描いていく、その真摯さは正直身に応えた。日々忙しい中だと自分のことで手一杯になることも多いが、外に目を向けて声をあげて具体的な行動をしないと社会は変わっていかない。そして、その責任は大人にあることを自覚する必要がある。そういった意味で婉曲的にWokeな小説とも言える。誰かがやってくれると思っていても社会は好転しない。
 また日常でよく見る場面に対する違和感の表明が各人物から放たれる場面が多く、その塩梅の絶妙さも読者の心をざわつかせる。言い切りの強い言葉による主張や否定はある程度距離を置くことができる。しかし著者は本当にいると読者が感じるような柔らかい物腰の人物像を丁寧に描き読者の心の隙間へスッと入り込んできて心を揺らしてくる。ゆえに短いラインでガツンとくるものも多かっ...

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2024年3月23日

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読書状況 読み終わった [2024年3月23日]

 『地下鉄道』、『ニッケル・ボーイズ』と、これまで翻訳された作品はどれもオモシロかったコルソン氏なら間違いないっしょってことで読んだ。過去二作とかなり味づけが違っておりハードボイルドなクライムサスペンスでオモシロかった。訳者あとがきを読む限り既訳二作品はアフリカ系アメリカンの歴史とその苦境に相当フォーカスしており彼のキャリアの中で特別なものだと思う。なお本作でもプロットだけ追えば何てことないクライムサスペンスなのだが、アフリカ系アメリカンの苦境に思いを馳せつつNYの情景描写の巧みさに心を奪われた。
 犯罪に手を染める父を持つ家具屋の店主が主人公。表向きは家族持ちの変哲もない父親だが裏の顔は盗品の横流しを生業とするハスラー。従兄弟が巻き起こすトラブルに巻き込まれたり、父親譲りの復讐心から悪事に手を染めてしまったりとNYのハーレムを舞台にして駆け引きが繰り広げられる。基本トラブル巻き込まれ型の話なので読者も入り込みやすくなっている。家具屋かつ建物好きという設定もあり、とにかく街の描写が最高だった。歴史を含めどういう建物か相当細かく描いているので読んでいるあいだ1960年代のNYを歩いているような気持ちになる。また終盤に不動産王との戦いに入っていく中ではNYの高層化した街の圧迫感と心情描写を重ね合わせていく点がかっこよかった。
 物語が進むにつれて裏の顔が深くなっていく。親ゆずりのプライドゆえの復讐から始まり最後は銃撃に巻き込まれる大立ち回りに至る。従兄弟の破天荒な振る舞いの影響が大いにあるのだが、本人も「やれやれ」と言いながら、そのトラブルを乗りこなすことを楽しんでいるように見える。2 faceから見た世界の在り方として以下のラインが沁みた。

*真人間対悪党。真人間はよりよいものをつかもうとする。ーーーよりよいものはあるかもしれないし、ないかもしれないーーーその一方で、悪党たちは、現在の仕組みをどう操作しようかと策謀をめぐらせる。こうなりうるという世界と、こうであるという世界。だが、それは白黒をはっきりさせすぎているいるかもしれない。真人間でもある悪党は山ほどいるのだし、法をねじ曲げる真人間も山ほどいる。*

 アフリカ系アメリカンと白人の権力勾配についてクライムな展開の中でもかなり意識的に描かれている。白人警官にアフリカ系アメリカンの子どもが殺されてしまったことで起こる暴動が物語中盤の軸として存在し、登場人物たちがさまざまな形で巻き込まれていく点が象徴的だった。当時は人種差別が蔓延っていた時代であり、その中でサヴァイヴするためには相当なコストを支払う必要があったことがよくわかる。またこういった差別に対して怒りを抱いた結果の暴動や略奪などが無秩序、暴力の象徴として語られるが、イスタブリッシュメント側の暴力的な再開発はどうなんだ?という問いかけは鋭い。つまり破壊という意味では同じだろうと。この論点は今の世界各国の都市にも言えることであり、金持ちがさらに金を産むためにスクラップ&ビルドするケースが多すぎる現状に対する著者の苦言に思えた。日本は耐震性という課題があるので致し方ないにせよ近年の東京なんて最たるものだ。そんな都市論にまでリーチしてしまうほど物語の本筋ではない部分でも細かく描き込んでいく。これが著者の書き手としての腕力であり並の作家と異なるところだ。次の翻訳作品も楽しみ。

2024年3月17日

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読書状況 読み終わった [2024年3月17日]

 Amazonのレコメンドで流れてきて読んだ。ドラッグの話は完全に自分の知らない世界でありながら、他人が異様に執着する様に儚さがあり魅力的に感じる。ゆえにドラマや映画でドラッグが題材になっているものを見ることは多い。そんな不純な動機も含めて読んだ本著は社会の外側ではなく内側に中毒性の高いドラッグが忍び込み爆発的に拡大したケースの話であった。日本でも眠剤などの市販薬や処方箋ドラッグの乱用はトー横界隈を中心に問題化しているので全く他人事ではないので怖かった。
 オキシコンチンという疼痛用の薬が主役のドキュメンタリー。疼痛とは医学用語の痛みのことであり、オキシコンチンはそれを緩和する痛み止めだ。単純な痛み止めではなく麻薬系鎮痛剤と呼ばれるもので、アメリカのある製薬会社がその強力な中毒性を伏せたまま、簡易な痛み止めとして売りまくった結果、全米中に中毒者が急増してしまったというのが話の大筋となっている。
 疼痛に対する処方薬という点がオキシコンチンが市場に蔓延してしまった大きな理由だった。医療行為の中で痛みの緩和は他の治療に比べて尺度がなく患者から伝えられる情報がすべて。「痛い」と言われれば、それを和らげる薬を提供することになる。本来であればいきなり麻薬系ではない鎮痛剤を使うべきだが、そこへオキシコンチンが入り込んでしまったのが悪夢の始まりであった。
 語り口がうまくて、まずは具体例としてチアリーダーの女子高校生がオキシコンチン中毒になってしまう身近な話から始まる。その後、このドラッグが市場に登場、席巻するプロセスについてバックにいるアメリカの大富豪の話を絡めつつスケールの大きな物語として描いていく。処方箋の薬が蔓延して中毒者が急増したと聞くと「規制当局は何をしていたのか?」とシンプルに思うが、販売者側の用意したデータで攪乱されたり、圧倒的な資金力を駆使したロビー活動が影響して規制が遅れてしまっていた。また処方する側/される側に対する徹底的なマーケティングによる一種の洗脳に近い形でオキシコンチンを消費させ続ける仕組みを構築していた。規制を少なくして市場に任せていく新自由主義の到来と処方箋ドラッグの蔓延は無縁ではない。小さな政府志向は結構なことだが人間の生死に関わるところまで侵食してくると目も当てられない。終盤にかけて製薬会社の幹部をDEAや検察の捜査でかなり追い込んでいくものの重役たちを逮捕するまでは至らず金銭による和解で終結となり無念だった。本著を読んでいるとお金を稼げれば人がどうなろうが関係ないと考える詭弁の天才たちが起こした人災にしか思えない。
 このオキシコンチンやパーコセットといったオピオイド系鎮痛薬はヒップホップとも縁が深くUSのヒップホップ経由で最初に知った。本著の主題であるオキシコンチンはScHoolboy Qのアルバムタイトル曲”Prescription/Oxymoron”、PercocetはFutureの”Mask Off”で有名だしJuice WRLDの死因とも言われていたりする。特に前者はドラッグユーザーとしての自分とドラッグディーラーである自分の二部構成になっており本著との相性はぴったり。読んだ後にリリックを見ながら聞くと胸にくるものがあった。一方、FutureのようなUSのメインストリームの音楽におけるドラッグ表現に対して日本からは対岸の火事のごとく楽しんでしまっている側面がある。使ったこともない人間が「パーコセット!」とか無邪気に叫んでいる場合ではない。USのティーンたちはヒップホップの曲の中で引用されまくるドラッグの誘惑と戦わないといけないのかと思うと複雑な感情にもなった。違法とはいえ大麻で留まっている日本はまだマシなのかもと思えた。

2024年3月3日

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読書状況 読み終わった [2024年3月3日]

 BRUTUSの本棚特集で漫画家のほしよりこ氏が選書しており赤と青のマントの表紙絵が印象的だったので何となく読んでみた。皇族の彬子女王がオックスフォード大学で博士取得するまでを綴ったエッセイでとてもオモシロかった。皇族へのプレッシャーは近年増すばかりだが「人間」としての尊厳をひしひしと感じた。
 皇族が自ら内情を事細かに説明している文章に初めて出会ったので、この時点で本著のオモシロさは保証済みといっても過言ではない。最近は現天皇である徳仁親王による留学記も復刊リリースされているが本著は00〜10年代の話なのでリアリティーがある。たとえば博士号授与式が2011年で震災から二ヶ月しか経ってない中でお祝いのために海外渡航するのはいかがなものか?という意見があった話など。現状の皇族に対する厳しい視線を予期させる内容だった。ただ著者はエッセイストとしての才覚がめちゃくちゃある。硬くシリアスになりがちな皇族の状況についてジョークを交えつつウィットのある文体で書いてくれているので楽しく読むことができた。やはり国外で皇族ではない立場を経験することで視野が広がることは大いにあるのだろう。宇多田ヒカルが活動休止した際「人間活動に専念する」と言っていた意味が本著を読むとよく分かる。何をするにせよ誰かが周りにいて、先回りして全てが用意されていても良いとは限らない。自分でコントロールできる領域の尊さに気づくことができた。
 著者には皇族という特殊な属性があるものの、あくまで本著の主題は5年かけてオックスフォード大学で博士号を取得したことである。海外で博士号を取得する際の苦労話がたくさん書かれていて非常に興味深い。日本だとプリンセスとして扱われるが学位取得の過程において忖度はなく担当教授から厳しく指導されたり、その真面目さゆえに胃の具合を悪くしたり多くの苦労が語られている。その先にある栄光に向かって一生懸命に研究、論文に取り組み、最後に得られるカタルシスを追体験するような気持ちになった。だからこそ最後の最後で皇族ゆえに自分の力でコントロールできない要素で振り回されてしまうあたりは辛いものがあった。彼らは一般の国民とは異なり、多くの特権を持つ代償として犠牲になっていることがたくさんある。歪な環境の中でも自分の信念を貫く姿勢は見習いたいと思った。

2024年2月28日

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読書状況 読み終わった [2024年2月28日]

 ついに6冊目に到着。ここまで長く人の日記を読むのは初めてでかなり感情移入している。そして読めば読むほど著者が亡くなっていることが悲しくなる。ここ数冊の中では展開が多く一気に読めた。
 大きな変化としては新潮社との蜜月が終わりを告げ文藝春秋との関係が新たに始まっている点が挙げられる。あれだけ長いあいだ苦楽を共にした中でも連載あり/なしで関係がスパッと終わってしまうのは一抹の寂しさを感じる。一方で新しい文學界の担当編集者の服装が奇抜らしいのだが、その描写が毎回オモシロい。著者が周りの人を魅力的に描ける能力はこれまでの日記からもよく分かるし、これが私小説の魅力に繋がっているのだろう。
 藤澤清造の墓参りを含めて旅行に頻繁に出かけているのもこれまでになかった傾向だった。特に墓参りは月命日に毎月行く念の入りようで彼の心境の変化が伺える。お墓は七尾市にあるようで年始に起こった能登半島地震の際に被害を受けたらしい。さらに著者が清造の横に作った生前墓も倒壊したらしく悲しい話だった…
 スランプに陥ってしまい編集者をひたすらに呼びつけるシーンがあるのだけど、そこに作家の孤独を垣間見た。実際にこういった言動は過去にもあったのだろうけれど日記上で書かれているのは初めて。著者の粗暴な振る舞いがあったとしても、編集者たちは呼ばれば馳せ参じている場面にプロフェッショナル魂を感じた。そして著者自身も一晩明ければ自分の至らなさを反省しており、それをわざわざ日記として世間にリリースしているあたりに皆憎めない気持ちを抱いているのかもしれない。その証左として終盤の怒涛の原稿締め切り、ゲラチェックの嵐に巻き込まれる姿は売れっ子作家そのものだった。残すところあと1巻だと思うと寂しい。

2024年2月26日

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読書状況 読み終わった [2024年2月26日]

 奇奇怪怪で激賞されていたので読んでみた。栗城氏は情熱大陸の出演が印象的で、エベレストの登頂を手持ちカメラで撮った映像で魅了された記憶がある。そんな彼がどういった登山家でどのようにして命を失うまでに至ったかを丁寧な取材とともに記述した一級品のドキュメンタリーでとても興味深かった。
 登山家と聞くと寡黙に山に挑むようなイメージを勝手に抱いてしまうが、彼はそれとは真逆のスタイルだ。いかにマス受けするか考えて山を登ることを「夢の共有」と呼び、彼のファンダムを形成、スポンサーを獲得していくスタイルで人気を獲得していく。マーケティング戦略としては何も間違ったことはしてないのだけども、その大前提としては山登りに対して真摯な姿勢でいなければならないのに、その点を浅く見積もったことで彼は後年苦しむことになってしまった。見た目だけ繕って中身ボロボロといったことは政治を含め、ここ数年あらゆる場面で見られる事象であり、本当に気をつけてないと自分も当事者になってしまう恐怖を感じた。
 そして普遍的なテーマとして承認欲求をめぐる話といえる。登山家として認められたい、その動機自体は自然なことではある。しかし、彼の場合は目先の派手なことばかり追いかけてしまい、承認欲求をかっこよく、インスタントに満たそうとしたことにより無理が出たことがよく理解できた。なかでも強烈なのは指と酸素の話だろう。表面上は「夢をあきらめるな、必ず叶う」みたいな美辞麗句を並べておいて、裏では全くそれに見合わないダーティーワークを重ねているのだから目も当てられない。本著では「その姿勢をいかがなものか?」と糾弾するだけではないところが興味深かった。彼自身だけの責任ではなく、自らを含めたマスコミやそれを支持した大衆の責任についても考えさせてくる。SNS駆動である今の社会に生きる身に深く沁み入った。
 さらに本著の興味深いところは栗城氏側だけではなく著者の取材者としての承認欲求についても自戒的な点だ。著者が彼についてブログを書き始めてビュー数がどんどん伸びていき、インターネットに魅了されかかるシーンは生々しい。また取材者としてドキュメンタリーを作る際に自戒するきっかけとなったのがヤンキー先生こと義家氏だというのは驚いた。著者が取材したときのアツい思いを持った先生とは真逆になってしまった話はよくできた寓話そのもの。
 自戒的な姿勢が多く見られること、丁寧な取材を重ねていることで、死人に口なしで一方的に書いた結構エグめの内容(婚姻関係など)も下世話な印象を最小限に抑えることができていた。結果的に著者がブログを削除、ちゃんと取材をして本著を書き上げたことは今となってはとても重要なことかもしれない。それはネットに漂う文章ではなくフィックスされた文章の意味が過去とは大きく異なる時代だからこそ。Rawなものは即時性が高く魅力的に映るが、山を登るように一歩一歩地道に作り上げたものには勝てないと信じている。本著を読んで山登りに興味が湧いたので他の作品も色々読んでみたい。(自分では登れなさそうなので)

2024年2月23日

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読書状況 読み終わった [2024年2月23日]

 著者2人による往復書簡。ひょんなきっかけから植本さんにはPodcastのゲストで出ていただくことになり、植本さん曰くその収録きっかけで開始することになったそう。なので製作されていることは以前から聞いていて滝口悠生さんも自分の大好きな作家の1人なので期待値上がりまくりな中、そこを余裕で超えてくる素晴らしい作品だった。こんなに自然体かつ芯をくったことを平易な言葉で表現できる2人がめちゃくちゃかっこいい。
 往復書簡という形のコミュニケーションの速度・密度は現在日常には存在しないと思う。すべてが短縮され高速化される中、それぞれが伝えたいことを時間をかけて考えて文字にする。本著内でも言及されていたけど、2人のやり取りなので、一方に対するメッセージではあるものの公開されるので不特定多数が読む。このスタイルが今の時代に新鮮に映るはず。あと何気ない近況と比較的深いテーマのようなもののバランスが良くて深いテーマだとしてもすべては日常と地続きなんだなと思わされた。
 植本さんからは特に子育てに関するトピックや主張の投げかけが行われて、それに対して滝口さんの論考が展開されるパターンが多かった。自分自身、昨年末に子どもが生まれて絶賛子育て中で何となく考えていたことがことごとく滝口さんによって言語化されており、もうそれだけで自分にとっては特別な1冊となっている。特にくらったラインを引用。

*この頃娘は、食事を与えていても、これが食べたい、と指さしたり、危ないものを手にしているので取り上げようとすると不服を訴えて怒ったり泣いたりするようになりました。そういうときに、おお、個人だ、と感動します。*

*僕はひとりで歩いているときはじめてぼんやりとながらも離れた場所から娘のことを思い出したのでした。妙な話ですが、その瞬間にはじめて、ああ自分には娘がいるんだな、と思えた気がします。* 

 「べき論」に終始せず各トピックに関して言葉で意見交換して互いの立場を知る。SNS全盛期で「気持ちの良い言い切り」が跋扈する中、分からなさ、曖昧さを表明することのかっこよさが二人から存分に発揮されていて勇気づけられた。また装丁のかっこよさも圧倒的。本の内容と連動しているところもグッとくるし仕掛けの多さも最高だった。

 ZINEから文庫化にあたって追加された内容については、本著内で言及されているとおり最初のZINEを出版してから2人の関係がより近くなったことでギアがさらに踏み込まれた印象を受けた。最初の発信は植本さんでパートナーと関係を解消した話から始まる。その事実を知っている「一子ウォッチャー」も多いはずだが、改めて滝口さんへの書簡という形で語り直されることで新たな視点が加わっていて新鮮だった。同じ事実があったとしても照明の当て方次第で色んな見方、考え方ができる。今回の植本さんの文章はその当て方のバリエーションの豊かさに驚いた。情報過多の今、これくらい自分のことについて考える時間を設けることは意外に難しい。時間をかけて手紙を書き特定の誰かに伝える、この客体化の作業で自己と向き合う。これはすべてが加速化する社会において一つのサバイブ術だと思う。

 そして追加分の滝口さんの文章は正直めちゃくちゃくらった…言語化できていない感情の数々がズバズバ言語化されていくし文章の精度、芯の食い方がその辺に転がっているエッセイと雲泥の差がある。最初の返信では、植本さんの著書『愛は時間がかかる』を通じた時間の捉えた方に関する考察が書かれているのだけども本著のオモシロさを象徴していた。単なる書評ではなく生活と文がそこに同居しているように書かれている。私たちが日常で何気なくやり過ごしているものに言葉を与えていくとでも言えばいいのか。たとえばこれとか。

*子どもは生きづらいんだろうか、そうでもないんだろうか...

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2024年2月21日

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読書状況 読み終わった [2024年2月21日]

 『嫌われた監督』が超絶オモシロかったので読んでみた。選手、コーチといった周辺人物の証言により落合像がさらにくっきりと明らかになる素晴らしいサブテキストだった。マスコミやファンの視点とは密度が高いインサイダーの話は一次資料として貴重なもの。そして既存の監督像や野球のセオリーを裏切り続けて強いのだから多くの野球ファンを魅了して当然だよなと改めて認識した。
 冒頭、落合政権時の成績を振り返るのだが、その圧倒的な強さを改めて認識するとともに今リリースされたことで現監督の立浪史観が含まれていて興味深い。ここ数年の成績不審、謎の采配やトレード、果ては米騒動まで。立浪への懐疑的な視点は多くの野球ファンが共有しているところだが、改めて選手としての圧倒的な成績を見せつけられるとミスタードラゴンズの名は伊達じゃないと思わせられる。今年は頑張って結果出して欲しい。
 インタビューに収録されているのは当時の主力である川上憲伸や岩瀬、山本昌など投手が中心。落合政権の象徴であるアライバ、森野といった野手サイドのインタビューはFAで移籍してきた和田のみ。野手関連はほとんどコーチでカバーされている。若干残念な気持ちありつつコーチサイドの視点で地獄のキャンプ内容の実情が語られており興味深かった。時代の趨勢としてオーバーワークは敬遠されがちだが、当時の選手達は当たり前だったようだし選手寿命が延びたと和田は言っていて練習量が多いことも悪いことばかりではないのかもしれない。
 勝利至上主義で選手の自立を促す。プレイしている選手たちのやる気を引き出すことにフォーカスしているので、実際のプレイヤーたちは思った以上に戸惑いがなかったという点が共通している。特に伝説となっている完全試合直前での山井の交代は納得している人が多いのも印象的だった。また川上憲伸がのちにメジャーに行った際に既視感があったのはすべて落合の言葉だったというのも新たな視点で興味深かった。つまり既存の日本の野球のスタイルから逸脱していたが、選手を第一に考えたアプローチを取っていたとも言える。
 CBCの番記者の特別寄稿も興味深い。選手時代に番記者されていた方の寄稿で、落合が使っていたバットを科学的に分析していき、彼がどれだけ正確にバットの芯でボールを捉え続けていたか明らかにするくだりは理系的アプローチでかなりオモシロかった。そんな彼のラインが落合を象徴しているように思えたので引用。

*落合博満に対する人物評はさまざまである。褒め言葉もあれば、逆に厳しい意見もある。私はそれを”地層”なのだと思う。幾重にも重なる落合博満という名の地層。どの深さの、どんな土に触れるかによって感じ方は違う。でも、地層自体はまったく揺るぎない。*

2024年2月19日

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読書状況 読み終わった [2024年2月19日]

 すばる賞授賞式における圧倒的にラップなスピーチに心惹かれて読んだ。スピーチで魅せた言語感覚が小説にそのまま持ち込まれており読んでいるあいだずっとワクワク、フワフワしていた。そして概念としてのヒップホップが小説の中にきっちり取り込まれており最近のブームと呼応するようで嬉しかった。そしてこの装丁よ…!人生トップレベルで好きです。
 主人公は高校生。うだつの上がらない毎日に退屈する中、大麻のプッシャーをやっている幼馴染に巻き込まれる形で大麻稼業に巻き込まれて…というあらすじ。非行に走る若者達というプロット自体は特別新しくはないが本著は文体と視点のユニークさがとにかく際立っている。文体については口語スタイル、具体的には若者言葉やギャル語が大量に使われており小説でこういった言葉に触れる新鮮な体験に驚いた。「キャパる」とか本著を読まないと一生知らなかっただろうし、こういった分かりやすい単語に限らず、ひらがなの多用、ら抜き言葉などカジュアルな崩しも多い。一時が万事、正しい方向へと矯正されていく世界に抗うかのように、イリーガルに戯れる高校生たちが瑞々しくユルく崩れた日本語で描写されている。一番分かりやすいのは皆でLSD摂取したシーン。文字だからこそできるゲシュタルト崩壊のようなトリップ表現がユニークだった。
 視点については冒頭のバタフライエフェクトスタイルで度肝を抜かれた。卑近になってしまいがちな青春小説のスケールを一気に大きく見せて本著の世界がどこまでも広がっていくようなイメージを抱かせる。それは後のドラッグ描写へと繋がっていき文を通じて世界のダイナミズムを目一杯いや肺一杯に吸い込むことができる。また主人公の幼馴染である春という人物の性別を限りなくファジーにしている点も示唆的で男女を区別する世間の記号を入れつつも裏切ってくる。他者が性別を明確にする必要はなく春は春なんだという意志を感じた。
 大麻が題材になっており売買や吸引時の様子など含めてかなり細かく描写されていた。ウィードカルチャーとヒップホップは不可分だ。具体的な固有名詞の引用があったりステルスで仕込まれたりしている。(個人的にブチアガったのは「どんてす。」これはNORIKIYOもしくはブッダブランドか。)こういった具体的な引用以外にも前述した文体を含めて小説の中に大量のコードがあり、そこに概念としてのヒップホップを感じたのであった。またプロットやカルチャーの引用など含めて波木銅の『万事快調』を想起する人も多いはず。しかし明確に棲み分けがあり波木氏が直木賞、大田氏が芥川賞をとる。そんな未来がきたとき文学においてもヒップホップが日本で根付いたといえるのかもしれない。

2024年2月17日

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読書状況 読み終わった [2024年2月17日]

 友人から勧められて、そのタイトルと目次に惹かれて読んだ。自分自身が露悪的で厭世感が強い自覚はあるが本著を読むと自分なんて甘ちゃんだなと思わされた。SNSの登場により他人の発言をジャッジするように見る機会は増える中で、ここまで掘り返していく胆力は芸としか言いようがない。1周して振り切ったオモシロさがある。
 前半は具体的なマウンティング事例をタイプ別に仕分けして列挙している。Twitterのおすすめ欄で見かけそうな有象無象のゴミツイートのようなものが紹介されていて、どういったマウンティングなのかを丁寧に解説している。(実際に存在するのか、創作かは不明)著者の生息圏もしくは観察圏がエリート層だからか、お金持ちだったり、高学歴だったり、社会的ステータスの高い人たちに向かってしつこく石を投げ続けていた。日本人は舶来物に弱く島国根性ゆえのマウンティングの跋扈という話は本著に通底しているテーマであり自分自身にも見覚えがある。ゆえに何度もニヤニヤしたし、声をあげて笑ったし恥ずかしくもなった。個人的に好きだったものを引用。

*「ジョン・ F・ケネディ国際空港でいつもお世話になっているレストランがなくなっていて途方にくれています」*

*「10年以上前にニューヨークに住んでいた頃に『上原ひろみのジャズピアノライブに行かない?』と誘われたことが何度かありました」*

 こんなハイカロリーな内容で半分くらい走ったあとにネガティブに捉えられがちなマウンティングを活用する方法が紹介されたり、マウンティングにより自らを特別だと思わせる体験(本著ではマウンティングエクスペリエンスと呼ぶ)を通じて既存の企業を分析している。前者については、マウントするのではなく相手にマウントを取らせて仕事を円滑に進めるという話に大いに納得した。実際、本著で紹介されているフレーズのうち、謙遜スタイルのいくつかは仕事で使っている。これらを使うと相手にへりくだることになるのでイライラすることもあるものの、まるでクレベルのように下から三角絞めを決めて最後には勝つ=仕事を前に進めると意識するようにしている。後者については企業よりも京都のマウンティングに大阪出身者として首がもげるほど頷いた。この話をするたびに大阪サイドの思い込み扱いされるが、京都特有のマウンティングバイブスを言語化してくれていて納得した。
 他者との比較をやめる大切さはここ数年で浸透してきていると思うし、それにともなうセルフケアの大切さも重々承知している。しかし現実問題として人間は他人と比較して幸福感を感じてしまう生き物なんだから、その欲求と素直に向き合おうぜ?という論は今の時代を生き易くするもう一つの解なのかもしれない。ただこの結論に至るまでに浴びる毒性の高い例文および解説の数々が致死量を超える人も多いと思うので用量用法を守って正しくお読みください。

2024年2月15日

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読書状況 読み終わった [2024年2月15日]

 懲りずに五冊目を読み終えた。淡々とした日常の描写は日記の醍醐味であり本著でも変わらず発揮されている。五冊目にもなると彼の生活が自分にとっても日常になるような不思議な感覚さえある。
 自炊している割合が前巻よりもさらに上がっており、その様子を読んでいると妥協なき食への探究心にひれ伏すしかない。毎回の食事が最後の晩餐かと思っているかのごとく自分の満足度を100%追求している。なので、読んでいると自分の食事にもフィードバックがあり「本当に俺は今これが食べたいのか?」と自問自答する機会が増えた。また晩酌しながら読むと彼の飲酒量の勢いに飲まれるがごとく、ついたくさん飲んでしまう。まさか自分がお酒を飲みながら読書するなんて昔は思っていなかったけど、今は常態化しておりアフター5の楽しみになっている。本著が角川時代最後の連載で次巻からは本の雑誌社での連載となるが何か変化するのか、それとも変わらない日常が続くのか楽しみ。

2024年2月14日

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読書状況 読み終わった [2024年2月14日]
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