いくつもの週末

著者 :
  • 世界文化社 (1997年10月1日発売)
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感想 : 47
5

再読。

日常というのは、いつかは忘れてしまう。だから書き留めておく。読み返すと、別の人の物語を読んでいるような気がして愉しい。

江國さんの結婚生活は、幸福の糸と不幸の糸を交互に編むようなものだ。

“いつもおなじひととごはんを食べるというのは素敵なことだ”
“一人が二人になることで、全然ちがう目で世界をみられる”
“二人はときどき途方もなく淋しい”

毎日そんなことを考えながら過ごしていた江國さんのことを、わたしは少し身近に感じられるようになった。

この本を初めて読んだ日から、5年が経っていた。

p18
私と夫は好きな音楽も好きな食べ物も、好きな映画も好きな本も好きな遊び方も全然ちがう。全然ちがってもかまわない、と思ってきたし、ちがう方が健全だとも思っているのだけれど、それでもときどき、一緒ならよかったのに、と思う。なにもかも一緒ならよかったのに。

p30
甘くて贅沢な、快楽を伴って口の中でとけるチョコレートは、男が女の心をとかすためのものだとしか思えないから。

p41
くっついているからこんなにかなしいおもいをするのだ。
ほんとうに、しみじみとそう思う。そうして、それなのにどうしてもついくっついてしまうのだ。二人はときどき途方もなく淋しい(一人の孤独は気持ちがいいのに、二人の孤独はどうしてこうもぞっとするのだろう)。

p42
私たちは、いくつもの週末を一緒にすごして結婚した。いつも週末みたいな人生ならいいのに、と、心から思う。でも本当は知っているのだ。いつも週末だったら、私たちはまちがいなく木端微塵だ。

p49
いつもおなじひととごはんを食べるというのは素敵なことだ。ごはんの数だけ生活が積み重なっていく。

p56
誰かと生活を共有するときのディテイル、そのわずらわしさ、その豊かさ。一人が二人になることで、全然ちがう目で世界をみられるということ。

p64
私たちはあのころ別々の場所にいたけれど、いつも会ってはおなじ風景をみた。別々の場所にいたからこそ、と言ってもいいと思う。いま私たちはおなじ場所にいて、たいていちがう風景をみている。

p66
一緒にいなくても大丈夫だと思わせないで、と思う。

p91
新しい年がきて最初に顔をあわせるひとが夫だというのには憧れるけれど、新しい年がきて、最初に「会いたい」と思うひとが夫である方が、私には幸福に思える。夫に会いたくてせつなくなる朝が、一年に一度くらいは要ると思う。

p156
RELISHという単語がある。味わう、とか、おいしく食べる、という意味の動詞(名詞の場合は「味」「風味」「好み」)だけれど、この動詞は二種類の目的語をとる。食べ物と生活だ。I RELISHED THE CAKE.(そのケーキをおいしく食べた)でもいいし。SHE RELISHED HER NEW LIFE WITH A CAT.(彼女は猫と一緒の新しい生活をたのしんでいる)でもいい。生活というのは味わうものなのだ。RELISHは好きな単語だ。そんなふうに暮らしていたいなと思う。ケーキやアイスクリームを味わうように。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年1月27日
読了日 : 2021年1月27日
本棚登録日 : 2021年1月27日

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