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映画の幕が上がる、嵐が丘の鬱々とした屋敷が映る。
英国紳士の上品かつ尊大そうな声のナレーションが始まる。
「1801年――いましがた、大家に挨拶して戻ったところだ。...」
とロックウッドなる紳士が、ヒースクリフ氏が住んでいる「嵐が丘」に訪ねるシーンになる。
人間嫌いのヒースクリフ氏がロックウッド氏にどんな仕打ちをしたか、どんなに「嵐が丘」が妖怪じみ鬼気せまっていたか。二度の訪問で、ものすごい好奇心にかられる。
風邪を引き寝込んだロックウッド氏が退屈紛れに、借りている「鶫の辻」屋敷の家政婦ネリー・デーンから長い長い物語をしてもらうことになる。
ネリー・デーンのナレーション。
「こちらのお屋敷で暮らし始める前は...」
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私は『嵐が丘』の映画は観たことがないが、今回新訳ということで再々読し、読みながら映画のシーンが浮かんでくるような心地になった。解説にもあるように優秀な「カメラワーク」のある小説である。
しかも、あらすじも情景もしっかり覚えているのに、ぐんぐん引き込まれヒースクリフとキャサリンの恋というには恐ろしい我執に圧倒された。要するに古くないのだ。
訳者鴻巣友季子が留意したという、第二の語り手家政婦ネリー・デーンをも主人公にという配慮もあって、物語り全体が引き締まっていた。
ヒースクリフといいキャサリンといい強烈の個性を発揮するのだが、その息子や娘たちや使用人に至っても猛烈な癇癪玉を破裂させ、語り手ネリーも相当なものだし物語の操り手のようでもありすごい。
ずっと昔、河出版「世界文学全集」の8巻、三宅幾三郎訳を読んだときは、この「入れ子」状態がはっきりせず、だだ物語の異常さにびっくりした。
10年前、次に読んだ中央公論社の「世界の文学」12巻、河野一郎訳のときはネリーの語りが謙虚で、登場人物がよくわかりすっきりした面白さだった。
ネリーともどもくんずほぐれつ、嵐のふきすさぶような怒涛の精神放浪は、また異角度の、新発見のこの『嵐が丘』であった。
読んだ方も再読の価値ありだと思う
- 感想投稿日 : 2021年9月3日
- 読了日 : 2006年4月16日
- 本棚登録日 : 2021年9月3日
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