鏡子の家 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1964年10月7日発売)
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鏡子の家、ようやく読了。


鏡子は「鏡」で、家の中心にいてそれぞれを映す存在。中心といっても権力者というわけではなく、真ん中に鏡が置いてあるという感じ。
(鏡子が鏡というのは、解説の田中西二郎さんより)

民子と光子はそれぞれにキャラクターがあるけれども、収に対して、かたや「痩せっぽち」と言い、かたや肉体美に気付かず、適当に賞賛するところや、最初の小太りが最後に痩せ、かたや太るという具合で、対照をなしている。

収と峻吉は肉体派で、考えすぎる収と考えることを避ける峻吉。ともに肉体的な「死」を迎えた点でも共通する。演劇の世界に生きる収は、夢と現実の境界にいながら死を迎え、考えることをしなかった峻吉は、ボクシングをやめたあと、有り余る時間の中で、かつ正木に出会い、「考える」世界に足を踏み入れる。(この正木には、金閣寺の柏木のにおいがする。)

崩壊間際に生を感じる清一郎(いわゆる三島文学の男)と、2年間の間に一度崩壊し新世界を見つける夏雄(三島文学の男になった男)

鏡子の裏側には山川夫人がいる。

山川夫人の家で、滑稽な様子を見ながら交わされた会話の、人間自身を表す時の地獄絵図、という点を知ると、普段の社会生活の一見穏やかでありながらも実は表面的に過ぎない感じに、ことさら「パセティック」と感じる清一郎、ひいては三島文学世界が見えてくる。

自分の世界を見つけ、新たな世界を「見に」、出発しようとする夏雄に、最後にいまひとつの「世界」(=視野)を教え、鏡子の家は閉まる。

自らが鏡の中の世界に入っていくことにした鏡子の家の鏡は、これらを映すことをやめ、
鏡子の家はただの家になり、犬のにおいが充満し、人のにおいはなくなる。(かつて清一郎がここに来たときは、「人臭いぞ」と言っていた)

とにかく長かったので頭がついていけてませんでしたし、しょっちゅう三島用語がわざとらしく出てくる(ように感じた)ので、表現の豊かさの良さが若干削がれた気がしていましたが、
もう一度、全体図を掴むために眺め読みをしてみると、うまい具合に構造化してるのだなあと感じました。最初と最後がちゃんと照合されているなど、こんなに長い作品で、最初から最後まで練られた構成であることの大変さを理解しました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年2月26日
読了日 : 2018年2月26日
本棚登録日 : 2018年2月26日

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