鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1968年10月29日発売)
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感想 : 84
5

「鍵」
 こんなすごい小説があったとは…。
エロくて、且つエロを極めすぎていてエグイ。エロの極北をも越えてゆく。凄絶である。
 通勤電車内で読んでいたのであるが、私が電車内で読んでいるこの文庫がこれほどエロい内容だとは、よもや誰も思うまい、などと密かに北叟笑むのであった。

 舞台は京都。夫は、大学の教授らしい56歳の男。妻・郁子は45歳。ふたりの間に、奇妙な「交換日記」のようなものが始まる。のような…と云うのは、夫は、その内容を絶対に妻に読まれてはならない、として鍵をかけて厳重に保管している。のだけれども同時に、妻がこっそりこの日記を開くことを誘導する策を弄する。妻もまた同様に、夫に読まれることを意識しつつ、赤裸々な内容を日記に書き続ける。

 赤裸々である。ふたりの夫婦生活の内容は、とても赤裸々である。しかも、赤裸々の度合いがどんどん深まってゆく。

妻は、ブランデーを深酒するたびに、前後不覚となり昏睡するようになる。この点だけは、劇的な展開を促すために好都合な設定に感じる。だが、面白いので許す。

妻がたびたび意識を失うのをいいことに、夫は、ポラロイドカメラでの撮影を開始。妻のあられもない姿をバシバシ撮影する。さらにはフィルムで撮って、木村という男に現像させる。妻が深く昏睡状態なのをいいことに、夫はいろんな行為をやらせる。

木村という男と妻の浮気が疑われるようになる。妻と木村の関係も、日毎に怪しくなってゆく。一応貞淑を装っていた妻も、何やらいろんな技を身に付けて、開発されてゆく。
あげく、妻は日記に記す、木村とは一線を越えていない。だが「汚サレルヨリモ一層不潔ナ方法デ或る満足」なんて、言葉も出てくる。

 だめだ。これ以上は書けない。あまりに赤裸々で、ここでは詳しくは書けない。

「 性生活の闘争 」という語が、中盤、妻の日記に記述されている。読み進めるうち、これほど迄に淫蕩な人妻が実際に居るだろうか、ここまで一途に妻の肉体を求め続ける夫が居るだろうか… という疑念も感じ始め、ふたりの“闘争”が戯画のようにも思えてくる。

想像を越えるすごい展開が続き、終盤に向かい、破滅の気配が漂いはじめる…。

終幕、“闘争”の果てに、妻はほんとうの真相を詳らかにする、さらなる“深層”を告白する日記の筆を取る。そこには、性生活の闘争の裏に秘められた残酷なエゴ、捕食獣の姿も浮かぶのであった。

* * *  

さて、ところで、妻郁子は、淫乱な女だということだが、「病的二絶倫ナ妻」という表現がある。(54p)。女性にも絶倫という表現を使うのだな、と妙なところが気になった。

* * * * * 

・『瘋癲老人日記』

これまた、面白い。痛快なヘンタイ小説である。

 卯木督助は77歳。息子の嫁、颯子を好きでたまらない。老人(文中「予」)は、シャワー室の颯子に、足をなめさせてくれ、とせがんだりする。

あげく颯子から
「始末に悪い不良老年、ジジイ・テリブル!」と云われる始末。(↑踊り子出身のちょっと蓮っ葉な颯子だが、教養というかウイット、センスが伺える。)
さらには、老人は、

「颯チャン、颯チャン、痛イヨウ!」と、
 (神経痛らしき)手の痛みを訴えつつ、颯子の接吻をせがむ。 笑った。77歳のだだっこである。

圧巻は、自身の墓石のために、颯子の「仏足石」を準備するプロジェクト。京都のホテルの部屋で、颯子の足に朱墨をつけて、足拓をとることに夢中になる。死後も永遠に颯子の足に踏みつけられる悦楽を願う、のだ。

作品の時代は意外と現代に近いようで、颯子は映画「太陽がいっぱい」を観に出掛けたりするので、1960年ころのようだ。新幹線はまだ開通していない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説・文学 (国内・戦後)
感想投稿日 : 2020年8月14日
読了日 : 2020年8月14日
本棚登録日 : 2020年8月8日

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