暇と退屈の倫理学

著者 :
  • 朝日出版社 (2011年10月18日発売)
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私たちは「退屈」とどう付き合って生きていけばいいのか。古来、哲学者たちが挑み続けてきた難題に向き合う一冊。
確かに私もよく「暇だなぁ」と口にするし「退屈だなぁ」と感じる。二つの概念を区別せずに欝々とした気持ちを表していたけれど、よくよく考えてみたことはなかった。身近なクセモノの正体を明かしたい、と手に取ってみた。

結論、衣食住であるとか、芸術作品であるとか、人付合いのための会合であるとか、嗜好品であっても構わないんだけど、きちんとその“モノ”自体を丁寧に受け取り、考えて(勉強して)楽しむことが、「退屈」と付き合うコツなのだと。その繰り返しによって、自分がズッポリと絡めとられる、嵌り込める対象がなんであるかが分かるようになると。

なるほどなぁ。
本書にあるように、私たちは本当の「贅沢」からは程遠い、「消費」活動を強いられていると思う。やれ有名店でランチだの、やれ人気ブランドの財布だの、やれ隠れ家的スポットだのを求めて、そのものの価値は分からずに「意味」だけを受け取り、発信しては受け流す。“満ち足りた”とは程遠い気持ちで。
理想は本来の「浪費」つまり「贅沢」を通して満足すること。私はまだその感覚を掴めていないだろう。その感覚を知りたい、分かりたい。“モノ”自体を受け取って楽しむって具体的にどうすることだろう。例えば私は読書が好きだし、お菓子やワインも好きだけど、それらを本当に楽しむって?それらを研究し、精通するってこと?もしかして、“それらを好む私”という自意識から離れるってこと?
思考は続く。

だけど間違いなく言えるのは、今後「あぁ暇だなぁ」「退屈だ」と感じたとき、私はきっとその暇と退屈さを“楽しめる”だろうということだ。


以下、本書の“私なりの”要約。
●人類はいつ「退屈」に出会ったか
そもそも私たち人類が「退屈」と生きねばならなくなったのは、定住生活を送るようになったからだ。気候変動による環境変化で狩猟が困難になり、貯蔵が必須になったため止むを得ず定住化が進んだ。遊牧生活では優れた潜在的な探索能力を存分に発揮できたが、定住生活では探索能力は行き場をなくした。それが「退屈」の始まりだった。私たちは「退屈」を回避する必要に迫られることになる。

●「退屈」とはなにか
パスカルが、人間は部屋の中にじっとしてはいられない、気を紛らわせてくれる騒ぎを求める生き物だ、と言ったように「退屈」は私たちにとって身近な存在だ。

そして「退屈」は否定的な概念として捉えられる。
ラッセルは『幸福論』の中で革命の只中にある国に暮らす若者は世界中のどこよりも幸せだろうと論じた。打ち込むべき仕事を外から与えられているからだ。つまり「退屈」ではないからだ。「幸福である」とは“熱意”をもった生活を送れることらしい。

では、表題にもある「暇」と「退屈」の関係性とは?「暇」とは何もすることのない時間。客観的な概念である。一方「退屈」とは何かをしたいのにできないという感情。主観的な概念だ。
この2つの概念の関係性を、本書では4象限で説明している。すなわち、
①暇であり退屈である
例:資本主義の展開により労働階級が裕福になり(ブルジョワジー)、時間的金銭的に余裕が生まれ、いきなり「暇」が与えられた。
→何をして気晴らしをすれば良いか分からない。そこでレジャー産業が出現した。何をしたらよいかわからない人たちに、やれ旅行だの、やれ映画だの、やれかっこいい車だの、生産者主導で「したいこと」「欲望」を与える。消費者は「モノ」そのものではなく「気晴らし」を与えられることに慣れきってしまう。
②暇であり退屈ではない
例:かつての“有閑階級”のように代々裕福で暇との関わり方を知っている人たち。
③暇ではなく退屈でもない
例:四六時中やるべきことに追われている人たち。
④暇ではなく退屈である
★こここそ、私たちが苦しめられている象限。

そのうえで、「退屈」とはなんなのか。
ハイデッガーは退屈を大きく三形態に分けた。
【第一形態】は「何かによって退屈させられている」状態。例えば駅舎で何十分も遅れている電車を待っているようなときは、遅れている電車によって退屈させられている。他にやるべき事(仕事)があり電車を待っているが、周りの物がわたしが期待しているものを提供してくれず、時間がぐずついている。そのため、いくつも“気晴らし”をしながらやり過ごす。
これはやるべき事(仕事)の奴隷になっている状態である。例えば、内戦や対外戦争の只中にいる国民もこれだ。やるべき事に戻れば、退屈からは逃れられる。
【第二形態】は「何かに際して退屈である」状態。何かを待っているわけではなく、自分で選択して何かを行なっている(例えば飲み会に参加している)。楽しく会話して美味しい食事もとり笑っているが、帰宅してみると「何だか退屈だった」と感じるような。こんなとき、実はその飲み会自体が“気晴らし”であり、“気晴らし”そのものが退屈だったと言うことに気付く。
革命や強制労働などに隷属しているわけではなく、自分と向き合う余裕はあり、普段の私たちはこの状態といえる。イベントを企画してみたり形式を重んじてみたり。やることを選べて「暇」は回避しているけれど、「退屈」を感じる状態。
【第三形態】「何となく退屈」という状態。第二形態のような“気晴らし”が行われたのは、この「何となく退屈」という状態に定常的になっているからだ。そして「何となく退屈」だと気付いてしまったら、そこから逃れるべくわざわざ日々の仕事の奴隷になることを決断し、やるべきことを作ってしまうことも。すると第一形態に陥る。

●「退屈」は人間だけのもの?
ユクスキュルは「環世界」という概念を説く。人間の環世界、犬の環世界、かたつむりの環世界…それぞれの種は異なる環世界を生きている。例えば、ダニは木のような高いものに登り、哺乳類が近づくと飛び移り血を吸う。…と、人間は人間の環世界を通してそう解釈するのだが、ダニの環世界を通すと違う。視力も聴力も保有しないダニは、哺乳類が発する酪酸を嗅覚で捉えるとそれを合図に飛び、摂氏37度を感じとるとそれを合図に吸血行為を行う。「哺乳類」ではなく「酪酸」や「摂氏37度」をシグナルとして衝動を停止したり解除したりして行動を制しているらしい。人間とダニの環世界は違い、環世界ごとに時間の流れ方も違う。
では、人間と動物の違いは何かというと、「環世界間移動能力」の差だ。人間は他の動物よりも格段に高くこの能力を有し、容易に他の環世界との間を行き来する。ときに科学者の目線で、上司の目線で、母親の目線で、周囲の環境を生きることができる。そのことゆえに人間は「自由」である。ただ、新しいもの全てに反応するのは疲れてしまう。フロイトの「快原理」によると生物にとっての「快」状態は安定した状態である。興奮状態は不快だ。(だからこそ、興奮したら最大限度まで高めて解消させる。)だから、いちいちショックを受けて考えないで済むように、習慣を獲得し、安定を得る。

でも、想像できるように、習慣を作り出すとマンネリ化して「退屈」が首をもたげる。
人間は快状態(安定した状態、考えなくていい状態)を作るために習慣を作るが、それゆえ退屈が生まれ、それをごまかすために気晴らしを行う。

●ところで「贅沢」とは?
「贅沢」は“不必要なもの”と関わる。私たちは“必要なもの”だけでは有事にあたってのリスクが大きく、生きていけない。人が豊かに生きるには「贅沢」が必要だ。
「浪費」と「消費」の違いも「贅沢」の概念で説明できる。「浪費」は必要以上に物を受け取り吸収すること。例えば、腹十二分に食べるなど。物自体を受け取るのでどこかで満足が訪れる。これが「贅沢」をする、ということ。
一方、「消費」は対象が物ではない。概念や意味。ブランド品を買うとかSNSで話題のお店に行くとか。物自体を受け取らないので満足が訪れない。
現代の消費社会は生産者主権のため売りたい物しか市場に出ない。まだまだ利用できる旧型のPCも車も市場から消えていく。物が足りない。私たちに新型モデルの“カッコよさ”“今風さ”を買わせ、浪費家ではなく消費者にして、浪費によって満足すること(贅沢)を妨げている。

●退屈とうまく生きていくために
①退屈の【第二形態】=”人間であること”を楽しむ
【第三形態】の「何となく退屈」という声に絡めとられて、【第一形態】である「仕事などの奴隷状態」に逃げることを決断することなく、【第二形態】の気晴らしを存分に享受する。お菓子作りであるとか、芸術鑑賞や旅行であるとか、気の合う友人との飲み会であるとか。それらを“きちんと”楽しむ。
そのためには、消費ではなく、ものを受け取りちゃんと浪費し、その物について考え楽しむこと(=贅沢)を取り戻すべし。食べ物のおいしさ、民芸品の素晴らしさ、景色の美しさ。生活に根ざしたものから教養を求められる娯楽に至るまで。

②“動物になる”
自らの環世界に侵入する何か(おかしいな、あるべきではないな、とら感じること)を待ち構え、受け取り、新しい環世界を作って浸る。とりさらわれる。

自分がとりさらわれる対象は何か?
それは①の過程で何ものをも楽しみ、そして待ち構えることで出会える。

○その他心に残ったこと
スピノザ
何かを理解した時、自分にとって“理解するとはどういうことか”も同時に理解する(反省的認識)
→本を読むとは、その論述との付き合い方を読者が発見していく過程。結論だけ読んでも、その結論の奴隷になるだけ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年5月11日
読了日 : 2020年5月11日
本棚登録日 : 2020年5月11日

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