本など読めないものだから心配するな。そうは言われても手に取らずにはいられない性。たとえ、大半の本が、自分に取って読む前と同じ状態になってしまうのだとしても。自分というザル以下の目の粗いフィルターを通してみたいという欲望を抑えきれないから。そうは言っても。/以下、備忘録的に。/過去とは記憶に残る心像と言語によって構築された何かであり、未来とは過去を素材として想像力と言語によって構築された何かであり(したがって未来はすでに一種の過去としてしか存在せず)、人の意識にとってはただ「現在するものの現在」があるだけで、それは五感のすべてをまきこみながら「いまここ」で体験され、刻々と姿を変えてゆく。p.33-34/田村隆一からの引用。「言葉なんかおぼえるんじゃなかつた」「言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかつて」「魂は形式/魂が形式ならば/蒼ざめてふるえているものはなにか」。/でも、ただひとりになったとき、どうにもごまかすことができず、自分と自分との関係をむすびなおすための言葉は、自分で準備してゆくしかない。そのやり方を教えてくれるのは、陽気な孤独のうちにつむがれた、すべての先行する詩の言葉だけなのだ。p.49/田村隆一の現代詩文庫、上野清士「南のポリティカ」、工藤庸子「ヨーロッパ文明批判序説」。/エイミーは浴衣姿で、ぼくらは前から二列目。音が鳴り始めるととたんに東京在住のセネガル人全員が舞台前で踊りだし、あとは狂熱のダンス・パーティーになってしまった。その上を響き抜ける、ユッスのきらびやかな声がすばらしい。p.105/追憶は、人生には、たぶん修辞学的にしか役立たないと思うようになっている。p.107/水村美苗「日本語が亡びるとき」からの福沢諭吉の引用。教育とは家庭環境が与えないものを与えることである。教育とは、さらには市場が与えないものを与えることである。p.223
- 感想投稿日 : 2013年1月12日
- 読了日 : 2013年1月12日
- 本棚登録日 : 2013年1月12日
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