ジーン・ワルツ (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2010年6月29日発売)
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感想 : 570
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小説としての出来は星三つをつけますが、ある点について「フィクションだから」と見過ごせなかったので書かせて頂きます。ちなみにネタバレがあるので未読の方は気をつけてください。

さて、その私が「フィクションだからと流せなかった点」とは、主人公の女医・曾根崎が大学病院からの圧力に対抗するためにかけておいた「保険」です。

彼女は人工授精による不妊治療の対象であった荒木に、大学病院の准教授である清川の精子と自分の卵子を人工授精させた受精卵を「無断で」植え付け、清川の同意書を捏造する事でそれを「表沙汰になれば大学も巻き込まれるスキャンダル」に仕立て上げることで、大学病院からの圧力を牽制します。

その事を知った清川と曾根崎の間では当然ながら論戦が勃発します。
続編の「マドンナ・ヴェルデ」でも、同じくこの事実を知った曾根崎の母との間でも論戦が勃発します。

そしてどちらの場合においても論戦に勝利し、相手をやり込めるのは曾根崎の方でした。

「荒木夫妻は自分達の受精卵でこれまで何度も不妊治療に失敗してきた。今度も自分達の受精卵でだけ試していたら、今の子供を抱く喜びも無かったかもしれない」
「荒木夫妻がそんな事を知りたいと思うのか。そんな事実を暴露しようとしたら、お前の方が荒木夫妻の敵になる」
「血液型の組み合わせは同じだから通常の検査ではバレない」
「人間は血が繋がっていない子供だって愛することができる。そうでなくては里親になる人間は出てこない」
曾根崎は自らを非難する清川や母に対してこう言い放ち、荒木夫妻に対する行いを正当化します。

要は、「このまま何も知らなければ彼らは幸せでしょ?私がそうしてやったんですよ」って事ですか。何ですかその前時代的パターナリズムは!

確かに、人間は血の繋がっていない子供でも愛することはできるかもしれません。しかしながらそれは、他人が「血の繋がっていない子供でも愛することができる人はいるんですから、あなたもそうして当然ですよね?」といって勝手に押し付けて良いということにはなりません。

そもそも、他人の子供でも全く構わない人であれば最初から生命に関わるリスクのある不妊治療や出産などを目指さずに里親になるでしょう。里親になる人は、最初から血の繋がった子供でないことを知った上で、納得してその子の親となります。騙して他人の子供を育てさせるのとは全く意味が違います。

これを読んで思い出したのは、東野圭吾の「分身」です。この作品でも、人工授精によって産まれた娘が出てきますが、この娘は両親に全く似ていません。そしてある時、母親は偶然見つけた夫の片思いの相手の写真から、娘が夫の片思いの相手に瓜二つであることに気付きます。そしてその母親は、自分が騙されて夫の片思いの相手の娘を産まされたのだと気付き(実際には片思いの相手の娘でなく、クローンなのですが)、娘と無理心中を図るも結局娘を殺すことができずに自分だけ死ぬのです。

「ジーン・ワルツ」の荒木夫妻は曾根崎・清川のどちらとも面識があるので、例え血液型の組み合わせは大丈夫でも、子供が成長するにつれて曾根崎や清川に似てくることに気付くかもしれません。今の時代、いったん疑いを抱けばDNA鑑定があります。卵子提供者である曾根崎に似てくれば、曾根崎に騙されたのだとすぐ分かるのでまだ良いとして、清川の方に似てしまうと、荒木夫人が不倫の疑いをかけられる可能性すらあります。

清川との議論の中で、「自分の子供はちゃんと手に入れておいて、荒木夫妻には他人の子供を産ませるなんて許されない」と主張する清川に対し、曾根崎は「私は並行して行っていた自分の人工授精の時も、自分の夫の精子と自分の卵子でつくった受精卵の他に、清川の精子と自分の卵子の受精卵を混入した。私はフェアだ」と返します。海堂氏はよほど曾根崎を勝たせたいらしく(笑)、清川はこの反論に有効な反撃をできないのですが、私から言わせればこれのどこがフェアなのだふざけるな、といったところです。

荒木夫妻の場合は赤の他人の子供になってしまうのに対し、曾根崎自身の場合は曾根崎・曾根崎の夫ペアの受精卵にしろ、曾根崎・清川ペアの受精卵にしろ、曾根崎にとっては自分の子供ですし、相手の男もどこの馬の骨とも知れない男ではなく、夫かかつての不倫相手です。しかしそれ以上に重要なのが曾根崎自身は全てを知って納得済みなのに対し、荒木夫妻は何も知らされずに勝手に他人の受精卵を植え付けられているという点です。

海堂小説では、「正しい側」と「間違った側」が論戦し、「正しい側」が「間違った側」をやり込めるというシーンがこれまでも多く見られてきました。(たいていの場合は「正しい側」がAI導入賛成派、「間違った側」がAI導入反対派ですが)そしてこの「ジーン・ワルツ」及び続編「マドンナ・ヴェルデ」では、荒木夫妻に対する曾根崎の行為を非難する清川or曾根崎の母と曾根崎の論戦は、どちらも曾根崎が相手をやり込めて終わります。これでは「海堂氏は曾根崎の意見が正しいと考えている」とみなされても仕方ないのではないかと思われます。

これが何も知らないバカが書いている本であればむしろ問題は少ないのですが、現役医師が書いているとなると、「医師の間には未だにこのようなパターナリズムが蔓延している」「人工授精では他人の受精卵を勝手に植え付けられるかもしれない。医師はそれについて、バレなければ問題無いと思っている」という印象を与えかねません。

そうでなくとも、最近は「人工=悪、自然=善」という価値観の蔓延から、「自然なお産」なるものがやたらと美化され、そこからホメオパシーなどに走って子供が死んでしまう事例まで出ています。長くなりましたが、この作品は人工授精について良からぬイメージを与えてしまうのではないかとの危惧から、以上の感想を書かせて頂きました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2010年8月21日
読了日 : 2010年8月21日
本棚登録日 : 2010年8月21日

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