様式美。
五人の美人姉妹と、その死に至る経緯を淡く可憐な映像表現で切り取ったソフィアコッポラの処女作。
題材は良い。
儚げな映像、斜がかかった色褪せたペールトーンの色彩に思春期特有の少女が見せる不機嫌な表情がシニカルで蠱惑的な魅力を放つ。
姉妹の衣装、家具、小物から装飾品やすべてのディテールに至るまでそこかしこに「少女性/処女性」が散りばめられまるで匂い立つよう。
「先生は13歳の女の子だった事なんてないでしょ」
初めに命を絶った末娘の台詞にこの映画の総てが集約されている。
少女、取り分け女とは非常に曖昧かつ漠然とした生き物だ。
生まれた時から「女」である事を意識し意識され、「女」に支配され「女」である事に隷属し、「女」である事に絶望し「女」である事を利用する
処女性の喪失とそこから大人になっていく事の恐怖。
その過渡期に訪れる様々な心理的背景が、一種妖しくも、うつくしい死の演出を手伝った。
彼女らは彼女らであるがゆえに、また自分達が何も出来ない無力な少女である事に絶望し、諦観しながら死を選んだ。
死にたいから死んでみた、と言わんばかりに。
それら一連の事件も思春期の男子という目線で描かれる為、視聴者である我々の目線も同様にフィルターを通り、本来血なまぐさい出来事も神秘的で儚く謎めいた雰囲気へと濾過される。
それだけ処女、少女とは神聖で崇高なモチーフなのだ。
少女達はいつの日も死を恐れない。
死はいつでも少女達を優しく包み込む。
少女は生きていても一度死ぬ。
少女から女になる時、彼女らの中の「少女」は確実に死んでいるのだ。
- 感想投稿日 : 2012年11月6日
- 読了日 : 2012年11月3日
- 本棚登録日 : 2012年11月3日
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