最後の喫煙者 自選ドタバタ傑作集1 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2002年10月30日発売)
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本棚登録 : 2280
感想 : 190
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シュールかつスラップスティックな短篇を集めたドタバタ短篇集。荒唐無稽なネタに合わせて世界を自在に捻じ曲げてしまう悪夢の如き短篇のオンパレードである。「急流」は時の流れが加速してもそれに辻褄を合わせようとする愚直さを笑った短篇で、特に細部のギャグが面白い。工場努めの人間が加速する時間とベルトコンベアに合わせて加速した結果、日常生活で必要以上に力を込めてしまい、手の骨を折ったりドアノブをねじり切ったりする様は、チャップリンの喜劇を思い出す。時報を延々と喋るうわ言のようなラジオなど、五感に伝わるリアリティのある描写もさることながら、突拍子のない設定を大真面目に考察し、それに応じて世界の細部まで作り変えてしまう手腕こそ筒井康隆の真骨頂といえよう。「問題外科」は倫理観の欠如した医者が患者を弄ぶエロ・グロなコメディで、直腸をしごくシーンはえげつないながらも、子どもが虫を残酷にいたぶるブラックな笑いを感じる。表題作の「最後の喫煙者」は名作と言っても過言ではない出来で、国会議事堂の上で煙草を吸うという絵になる冒頭、そこからの回想と構成に一切の無駄がない。禁煙ファシズムが極限にまで達した世界というのは今の社会を端的に表しており、その先見性には脱帽するばかり。特に人権擁護委員会とのやり取りは秀逸で、この会話に込められた人権派の欺瞞や胡散臭さなどは音読したいレベルである。また弾圧から一転して最後の喫煙者として保護されるという流れもブラックユーモアに溢れている。「老境のターザン」は老いたターザンが狂い咲いて悪の道の進む話だが、軽快なテンポの裏には、老いた人間の存在価値や報いのない正義が悪へと転じるという重いテーマが隠されている。「こぶ天才」は虫を寄生させることでこぶ天才を作り出す物語だが、協調性のないこぶ天才が増えすぎた結果、単なるIQではどうにもならない人間社会の壁にぶち当たり、社会にひずみを生み出して権力からそっぽを向かれるというのがたまらなく斬新で面白い。こぶ天才が増えすぎたことによってこぶ天才の中から脱落者が出たり、かえってこぶのない人間がもてはやされたりという逆転現象を描いている。また周りと衝突するぐらいなら天才でなくてもいいというのは一種の真理であろう。「ヤマザキ」は一番の問題作である。最初は時代劇なのだが、途中でいきなり電話が出たかとおもいきや、新幹線やホテルなど急に時代が狂いだしていく。圧巻なのはオチであり、「説明は何もないのじゃ」という言葉を残して読者の理解すら置き去りにしてしまうのだ。執拗に説明を欲する心理を逆手に取った短篇ともいえるし、またオチのないことがオチになっているという極めて稀有な短篇である。この言葉を言わせるためだけにこの話があったともいえる、一度読んだら忘れられない迷作である。「喪失の日」は大仰なタイトルに見せかけて中身はエリート社員の童貞喪失の話であり、童貞の妄想が先行する様は昔も今も変わらない。「平行世界」は地平がねじれて一続きになった平行世界の話で、自分の弱さを見たくないあまりに駄目な自分を見るために上から降りてきた自分というのが色々と興味深い。「万延元年のラグビー」はタイトルこそ大江健三郎のパロディだが、桜田門外の変の後日談を描いた話で、井伊直弼の首をめぐって忍者がラグビーをやったりイギリスからの助っ人外国人を雇ったりという奇想天外な物語である。ネタに走った一本かと思いきや、万延元年とラグビーを組み合わせた描写は時代が符合するせいか内容に妙に真実味があり、前述の「ヤマザキ」と違い文体も歴史小説のそれである。雪を踏むぽっぽっという音や、切り捨てる、ずべらぼ、という擬音はセンスの塊でしかない。総じてどの短篇も面白く、筒井康隆の短篇を勧めるならまずはこの一冊であろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: SF
感想投稿日 : 2019年5月28日
読了日 : 2016年6月16日
本棚登録日 : 2019年5月28日

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