ローマ人の物語 (26) 賢帝の世紀(下) (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2006年8月29日発売)
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全ローマを巡行したハドリアヌスの晩年は、しかし老害とも言われそうな醜態であった。
ときに厳格でときに愛想よく、ときに誠実でときに不誠実。
臨機応変を使い分けた結果、毀誉褒貶激しかった皇帝の機敏さは老いとともに失われ、
硬軟使い分けることが出来なくなり、厳格で気難しく、不誠実で冷酷で容赦しない一面のみが残された。

中でもユダヤに対しての苛烈さは、現代にも禍根を残すユダヤ教徒の断絶を生むこととなる。
教義の根本に関わる割礼を禁止し、聖地近くへ多神教の軍団基地を設置する。
挑発に誘われて反乱を起こしたユダヤ人には聖地イェルサレムからの離散-ディアスポラ-を課す。
こうしてユダヤの地からイェルサレムの名は消えパレスティナとなり、
以後ローマ史はキリスト教の時代へと完全に移行する。

こうして後の100年のために全国を巡り防壁を築いたハドリアヌスは、
後の1000年の禍根を残してこの世を去る。
その後を継いだのは、当時の皇帝としては珍しい軍事経験皆無の文人、アントニヌス・ピウスだった。

美男、長身、晴れやかで穏やか。演説は平易で明晰であり、一級の教養を持つ。
春の日差しのように穏やかで、何事も穏便に解決されるよう努め、バランス感覚抜群、虚栄心は皆無。
前皇帝の汚名に対してはもちろん、それに反発した元老院、激しく争ったユダヤ人にさえ慈悲深い。

まさに平和な時代にこそふさわしいピウス(慈悲深い)皇帝の業績は、
しかし記録抹消刑を受けたわけでもないのに、時代が平穏すぎてろくに記録が残っていない。
23年間の空白の平和は次代に何を残したのか。
五代しか続かない賢帝の世紀の終焉とは。次巻に続く。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2018年7月19日
読了日 : 2018年7月19日
本棚登録日 : 2018年7月19日

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