元祖「新人類」中森明夫による、「初の純文学作品」。
「初の小説」ではない点に注意。中森は1980年代に青春小説の傑作『東京トンガリキッズ』や、一部で高い評価を得た『オシャレ泥棒』をものしているのだ。
本作が版元が言うように「純文学」かどうかは、やや疑問。とくに前半のスラップスティックな展開は、純文学というより、『東京トンガリキッズ』の流れを汲むポップなエンタテインメントの趣である。
現代のパンク少年の心にアナキスト大杉栄の霊が降りてきて、少年の身体を借りて21世紀の日本を体験する物語。アナーキズムという共通項が、パンク少年と大杉の霊を架橋するわけだ。
この設定はすごく面白いと思うのだが、読んでみたら内容は期待したほどではなかった。
まず、主人公のパンク少年や彼が憧れる美少女アイドルなど、登場人物のキャラクターが紋切り型にすぎる。
少年がセックス・ピストルズのビデオを見て突然パンクに目覚める、なんて設定もひねりがなさすぎだし、雨宮処凛をモデルにした登場人物の名前が「天野カレン」だったりして、人物造型がいかにも安直(宮崎あおいがモデルの「宮崎やよい」なんてのも出てくる)。
前半にはポップにはじける笑いの要素も強い。いっそのこと全編スラップスティック・コメディにしてしまえばよかったと思うのだが、後半になると妙にシリアスだったりセンチメンタルだったりして、物語がいろんな方向にとっちらかっている。
中盤、主人公の兄(サブカル系売れっ子ライターという設定)と大杉の霊の対話などという形を借りて披露される中森流の大杉栄論は、たいへん面白い。だが、それは小説として面白いというより、小説に無理やり評論を接ぎ木したような面白さなのである。
そもそも、本作を小説にする必然性があったのだろうか? いっそストレートに大杉栄論ないしは評伝として書いたほうが、中森の力量が発揮できた気がする。
- 感想投稿日 : 2018年11月12日
- 読了日 : 2011年2月26日
- 本棚登録日 : 2018年11月12日
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