ソロモンの偽証: 第Ⅲ部 法廷 下巻 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2014年10月28日発売)
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感想 : 539
5

2002年から2011年まで足掛け10年の連載を経て2012年に刊行、2014年に文庫化された、宮部みゆきの大長編です。

中学生たちが、同級生の死の真相を学校内裁判という形を通じて究明しようとする法廷劇なのですが、裁判に参加する中学生一人ひとりを丹念に追い、その成長を描く群像劇だったり、中学生が主人公の探偵役を務めるジュブナイルだったり、もちろん丁々発止のやり取りが楽しめる緊迫のリーガルサスペンスだったり、そしてラストにどんでん返しが待っている上質なミステリだったりと、いろいろな味わいが1冊500ページを超える文庫が全部で6冊という膨大な頁数にたっぷり盛り込まれています。

中学生の学校内裁判という突飛な設定を不自然に感じさせず、50人を超えて各巻の巻頭に相関図が掲げられるほどの登場人物を見事に描き分ける筆力は驚嘆に値するもので、爽やかな読後感と相俟って、この作品こそ宮部みゆきの代表作と言ってよいのではないかと思います。


以下、ネタバレあります。
気を付けるつもりですが、でもこの巻を語ろうとすると、ある程度のことは書かざるを得ません。どうかご容赦ください。


学校内裁判が佳境に差し掛かりました。

この巻は裁判3日目の橋田祐太郎の証言の続きから始まります。
偶然柏木卓也と二人で話す機会があった橋田は、卓也の内心を見抜いていました。
「誰かを殺してほしかった、身近にいる人が死ねば、死ぬってことがどんなことかわかるから」
身近にいる人なら誰でもいいというその気持ちはもしかしたら兄柏木宏之に向かっていたかもしれません。不穏さを感じ取って卓也から遠ざかった宏之も、卓也の内心を恐れた橋田も、卓也の危うさをきちんと言葉にして周りに伝えることはできませんでしたが、それでも距離を置くことで自らの身を守ることができました。
本能の発する警告を敢えて無視して犯人の毒牙にかかる被害者が宮部作品、例えば「模倣犯」などに度々出てきます。小賢しい小理屈などより、本能――「世間知」を持って地に足を付けて生きることを、そうやって生きている人を作者が好きなのは、ずっと変わっていないようです。

4日目。
重要な証人調べが二つ、この日に起こります。

一つは、大出俊次のアリバイが証言されたこと。
地上げの一環として大出家に放火をした犯人「花火師」は、12月24日の深夜24時過ぎに俊次の自宅で俊次本人を見たというのです。
収監され、裁判を待っている「花火師」――派手に炎が上がるけれど、人には被害が及ばないように注意していることからついた呼び名だそうですが――の弁護士が、本人の意思を確認したうえ、本人の代理で証言したという、ある意味「あり得ない」展開ですが、「学校内裁判」という舞台設定同様、不自然であってもそれが気にならない作者の筆力はお見事です。

もう一つ。
とうとう大出俊次が証人として証言します。
皆が固唾を呑む中、神原弁護人の質問は、大出俊次の行状をいちいち本人に突き付けて糾弾するという過激なものでした。

それは、告発状は偽物で俊次はハメられただけ、という弁護側のストーリーに沿って「では、なぜ俊次はハメられたのか」を説明するためであると同時に、誰にでも告発状を書く動機と機会はあり、誰が書いたかは問題ではないという三宅樹里への赦しでもあり、それなのに法廷に引っ張り出してしまった詫びでもありました。
自らの意思で出廷して質問に応じている俊次に、事実という刃を突き付け続けるこの一幕は、この裁判の一つのハイライトです。

大出俊次にかけられた疑いを晴らすためには、彼を卓也を殺した容疑で告発しなければならなかったのと同様に、誰にハメられても不思議ではないような人間だったことも言葉にして残さなければなりません。自分のしてきたことを認めなければ先に進めない。
それはまた、ハメた側も同様です。

三宅樹里が傍聴席で倒れ、この日は閉廷となります。

そして、この日、藤野涼子は事件の真相に気付きます。

翌五日目は休廷となります。
丸一日という時間を利用して、検事側と弁護側で翌日の筋書きが書かれたようです。
彼らが何をしていたのかは文字にされてはいませんが、再読してゆっくり振り返ってみると、誰に何を頼み、彼らの中で何が語られたのか、手に取るようにわかりますね。


そして最終日。

真犯人を自認する人が最後(のはずだった)証人として証言台に立ちます。黙って知らん顔をしていることもできたのに
――それがどんどん苦しくなって。首に見えない輪っかをはめられたみたいだった。毎朝目を覚ます度に、柏木君のことを思い出す度に、その輪っかが絞まってゆく。一度にたくさん絞まるわけじゃない。一ミリとか、三ミリとか、五ミリとか。でも確実に絞まってゆくんだ、と長い長い自白をすることを決意したのでした。


タイトルについて。
読んでみる前にはピンとこなかった「ソロモンの偽証」というタイトルですが、読後にはじんわりとこの作品に馴染んだものだと思えるようになりました。

作者は、インタビューでこう語っています。

敢えて説明してしまうなら、そうですね、最も知恵あるものが嘘をついている。最も権力を持つものが嘘をついている。この場合は学校組織とか、社会がと言ってもいいかもしれません。あるいは、最も正しいことをしようとするものが嘘をついている、ということでしょう。
(https://www.shinchosha.co.jp/solomon/interview.html)


宮部みゆきの作品には、これと対になるようなタイトルの作品があります。「ペテロの葬列」です。
逆十字架にかけられて殉教するような苦行を強いられるとしても、嘘の重荷に耐えられず「できれば正しく生きたい、善く生きたいと思う」誠実な人たちが、真実を語るさまを描きます。

真犯人を自認する人の振る舞いがまさにこれです。

一方で、最後まで偽証を続けた人がいます。
三宅樹里です。

彼女は最初の証言の後、気付きます。

「あれは嘘つきの顔だ。嘘をついて他人を傷つけ、自分も傷つく人間の顔だ。そして何もかも取り返しがつかないと、絶望している人間の顔だ。
――それがあたしの判決だよ、藤野さん」

誰もが告発状を書いて、学校から俊次を追放しようとする動機があった。俊次の行状はそうされて当然のものだった。だから、誰が告発状を書いたのかは問題ではない。そういう神原和彦の意図と赦しを完全に理解し、さらに嘘をつきとおすことのみじめさを自覚しているにもかかわらず、彼女は最後にもう一度偽証をします。

それは、大出俊次を追放するためのものでも、自分の魂を守るためのものでもない、自分を理解してくれた人を守るためのものです。最も正しいことをしようとしている者の嘘です。

若しくは、神原和彦が最後に語っています。
「累積したいじめや暴力行為の帳尻を合わせるために、被告人を殺人者と指弾するのは正しいことでしょうか。それが正義でしょうか」
「皆さんが被告人を有罪とすることは、大きな嘘を認めることです。それは、この六日間に法廷で繰り出されたどんな嘘よりも罪深い嘘です。真実に背を向ける偽証なのです。ほかの誰でもない、陪審員の皆さん一人一人が、皆さんそれぞれの心のなかにある法廷で偽証することに等しいのです」

例えそれが「ソロモンの」であっても偽証は辛いことであって、例えそれが「ペテロの葬列」を招くことになっても真実を語るほうが楽だとの作者の思いであり、一方で、自分のためではなく、自分を理解してくれた他人のために偽証を貫くことを選んだ三宅樹里の決意を語るものだと思います。


真犯人について。
陪審員たちは判決の前提として、一つの事実認定をしています。
柏木卓也は、卓也本人に殺されたのだというのです。

死がどういうものか知りたくて身近な人を殺してみたかった卓也は、すんでのところで彼の毒牙から逃れた真犯人を自認する人や兄柏木宏之や橋田祐太郎と対比されて描かれています。卓也の悪意は、結局卓也本人に向かったのでした。
幼稚で独りよがりな思いだけで行動し、日常の縁を踏み外して墜ちていく彼に差し伸べられた手はいくつかありましたが、なかでも滝沢先生の手がつまらない事情でもぎ放されたのが痛恨のできごとでした。

けれど、常識や世間知や、それらをもった友人や、そんなものとほんの少しでよいから、どこかでつながっていれば。
向坂幸夫や倉田まり子や、そして浅井松子。カッコいいわけではない、つまらないかもしれない人たち。「模倣犯」で言えば有馬義男のような人。
一方で、真犯人を自認する人を救ったのはそういう人たちと送る平穏な日々であり、そういう人たちが必死の思いで踏み出した一歩である、野田健一の「正当防衛」であったり、陪審員たちの事実認定だったりしました。

宮部みゆきの軍配はいつもそういう人たちに上がるようです。

余談ですが、真犯人を自認する人の「未必の故意」について「決意」の真ん中あたりできちんと触れていることにも感心しました。


成長と物語の構成について。
中学生たちの群像劇だったこの作品で、登場人物たちはみな成長を見せます。
自分のしてきたことと向き合わされながら、最後はそれを仕掛けた和彦と握手を交わした大出俊次。
松子を喪ったことを心から悔やみ、おそらく初めて「他人のため」に偽証を貫いた三宅樹里。
生きている理由なんていらない、日々を平和に送っているだけで十分と思えるようになった神原和彦。
自ら考え、声を上げることができるようになった向坂幸夫、倉田まり子、蒲田教子、溝口弥生ら。
そして野田健一には、彼が教師になって城東第三中学に赴任し、この話を語るというこの物語の構成が最後に明らかになることで、彼の頭抜けた成長ぶりが目に見えるとともに、舞台がバブル真っ盛りのころだった種明かしもされる心憎い仕組みになっています。

さらに、成長の余地がないほど出来上がっていた藤野涼子には、特別な舞台が最後に用意されていました。

「負の方程式」について。
「ソロモンの偽証」文庫6巻刊行時に書き下ろしで追加された100ページほどの中編。

中学生たちが、彼らの上に君臨し圧制を敷き抑圧することで彼らの魂を殺そうとする暴君、担任教師である日野岳志をハメる話。
いろいろな点で「ソロモンの偽証」をなぞる構成となっています。

日野岳志は楠山先生を思わせる「声の大きい」教師です。大出俊次を追放しようとした三宅樹里のように、日野先生をハメて追放しようと考えた中学生たちと、俊次のように自らの行状と向き合うことができなかった日野先生の行く末を描きます。

ハメられようとしていることを自覚した日野先生が依頼した弁護士が藤野涼子(藤野姓のままなのは、夫が神崎姓を捨てたかったからかもしれませんね)、そしてハメようとしたメンバーの中にいた「嘘をつきとおすことができなかった」生徒の保護者に依頼されたのが、私立探偵杉村三郎でした。

「ソロモンの偽証」の続編は望むべくもありませんが、杉村三郎のシリーズに藤野涼子が絡んできそうな気配があって嬉しくなってしまいました。

かつてシリーズになるかと期待させては舞台とキャラクターを書き捨て続けてきた宮部みゆきでしたが、時代物のほうでは「きたきた捕物帳」で世界観の統一を目指しているようですし、現代ミステリのほうでもいろいろなキャラクターたちとほんのり再会できると嬉しいなあ…。

最後に。
自分にとって、近年にない読書体験となりました。今にも3回目を読み始めてしまいそうな気持を押さえています。
文庫6冊というボリュームを恐れず、手に取ってみてください。ぜひ。絶対後悔しないはず。

そして大物を読破して、ようやく宮部みゆきを「読破」する野望に手がかかったような気がします。積読あと6冊を崩すところから。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 宮部みゆき
感想投稿日 : 2021年4月1日
読了日 : 2021年4月1日
本棚登録日 : 2020年11月8日

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コメント 2件

きのPさんのコメント
2021/05/10

6巻をさっき読み終えましたので、こちらのレビューも拝見させて頂きました!
素晴らしいレビューいつも有難うございます!

タイトルの意味が読んでいるうちはよくわからなかったのですが、貴方のレビューでようやく理解できました(^^)
最も知恵があり最も権力を持つ「ソロモン」が誰に該当するのか?
これについてどう考察するのか、読後の課題を筆者が読者に投げかけているかに思えますね。

杉村三郎!
杉村シリーズは読んだことがないんですよね。。。「名もなき毒」っていうタイトルとかは知ってるのですが。
なので、これが宮部みゆきの他作品の登場人物であることに本レビューを読むまで全く気づきませんでした!!笑
杉本シリーズにも挑戦しなくては…

宮部みゆきの全作品読破を目指し、精進したいと思う今日この頃です(^^)

hanemitsuruさんのコメント
2021/05/10

きのPさん
コメントありがとうございます。きのPさんのレビューもよく拝見しています。

「ソロモンの偽証」は読んだ人の数だけ解釈の数があるんだろうと思います。

杉村三郎シリーズはぜひご一読ください。レビューを拝見したいのでw。

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