ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書 2272)

著者 :
  • 中央公論新社 (2014年6月24日発売)
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感想 : 55
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 著者はドイツ語史が専門の言語学者で、ヒトラーの演説に使用された語彙や文の形式や話し方(声の高さなど)といった言語的特徴を、政権を取るまでのナチ運動期の前半と後半、さらに政権を取ってから、でどのような特徴がみられるのか、その有意な差はどのような事情を反映しているのかを分析しているもの。ジェスチャーの分析もある。演説に焦点を当てながら、ヒトラーに対する国民感情の変化の歴史を探る。
 コーパスを使ったりして分析をする部分は、もしかすると言語学のレポートや論文を書く時に、誰かのスピーチを題材にして真似できるかもしれない、と思った。ただこの本の面白さは正直、言葉の話の部分ではなく(実際のスピーチを映像で見たり聞いたりしながらこの本を読めばいいのだろうけど)、ヒトラーにそのようなスピーチをさせた背景を辿る部分で、これまでナチスやユダヤ人の本は何冊か読んできたけれども、思いもしなかった事実が色々あった。その大きなものは、政権を掌握してからは演説をあまりせず、国民も徐々にヒトラーの演説に飽きていったという第六章「聴衆を失った演説1939-45」の部分。つまり、自分たちが見るヒトラーの巧みな演説の映像、それに熱狂する聴衆というのは政権掌握前に終わってしまったという事実だった。「ヒトラー演説の絶頂期は、政権獲得に向けた国会選挙戦において全国五三か所で行った演説(一九三二年七月)であった」(p.26)ということらしい。むしろ戦時中の演説は「戦争終結がいつであるのか行間から読み取るという限りにおいて、国民の関心事であった」(同)ということで、政権掌握後はヒトラー演説は徐々に国民から疎まれる対象となっていったというのは意外だった。ちなみに「国民を鼓舞できた演説は、これが最後となった」(p.231)という演説は1941年1月31日らしく、「ヒトラーはこの日、珍しく気分が高揚していた」(p.230)ことによって可能になったらしい。というかこの本に描かれたヒトラーを見てみると、抑うつ傾向のある激情型という感じがするのだけれど、そういうことなのだろうか。
 あとは気になった部分のメモ。ドイツの方言の話で、「北部と中部では、単語や音節のはじめで母音を発音する際、喉を緊張させて声門を閉じてから一気に息を解放することで発音され、その結果歯切れよく聞こえる。しかし、南ドイツでは、声門が閉じられずに発音されるため、穏やかな発音の仕方に聞こえるのである。」(p.55)というのは、全然聞いたことなかった。大学でドイツ語を第二外国語でやったけど、これは結構頻度が高いことだろうから重要な特徴だと思うのだけれど。そして本題のヒトラーの演説の特徴でいくつか納得できたのは、聴衆を納得させる演説の手法の部分。例えば「『仮定表現』の多さ」(p.23)という部分で、「事柄を都合よく仮定した上で、それを出発点に議論を進める」(同)という、最初の方で仮定された、という事実を忘れさせるこの議論の展開の仕方は、確かに聞かせたい話をするには効果的かもしれない。そして、「ヒトラーの選ぶ喩えは、聴衆の理解力に合わせた無骨なもので、文は息の長い構造をしていて、その終結部はわざとらしく強調されるか、または繰り返されるかのいずれかである。あたかも変更不可能な事実であるかのように、彼の見解が独裁者の確信として聴衆に投げつけられる。聴衆は、内容としては新しくないこの福音を拍手で受け入れる」(p.60)という、当時の報告書の一歩引いた分析も、納得した。あとは、要するに演説を含めた「プロパガンダ」がこの本で分析されるテーマなのだけれど、この「プロパガンダ」というのは「情報の送り手が用意周到に情報を組織的に統制して、特定のイデオロギーが受け入れられるように、受け手に対して働きかけること」(p.66)で、「プロパガンダの最終目的は、送り手が流す情報をあたかも自発的であるかのように受け手に受け入れさせることである」(同)というのは分かりやすい。そしてこれを巧みに行うことで、「無からパンを取り出す」(p.74)という、つまり「天国を地獄と思わせることができるし、逆に、極めてみじめな生活を天国と思わせることもできる」(p.75)ということだ。そう考えると、ネガティブな文脈で語られることの多い「ネットによる価値観の多様化」とか、独裁者が生まれにくいツールとしていいのかもしれない(ただそのネットを掌握すれば簡単に独裁者が生まれそうな気もする)。あとはヒトラーに演説の仕方を教えた人物というのがいるらしく、これは『わが教え子、ヒトラー』(p.127)という映画になっているらしい。これも見てみたい。
 まとめとしては「ヒトラーの演説に力があったのは、聴衆からの信頼、聴衆との一体感があったから」(p.241)で、「演説内容と現実とが極限にまで大きく乖離し、弁論術は現実をせいぜい一瞬しか包み隠すことができない」(同)という部分が分かりやすい。そして、その一体感を奪っていったものは、もちろん現実の戦局が大きいのだけれども、メディアを駆使した故に、大衆が飽きてしまった(pp.260-1)という分析は、何とも皮肉なことだと思った。やっぱり「ここでこの時間しか聞けない」、「〇〇限定」みたいなことをやる方が、貴重さが増すというか、何冊か前に読んだ『バイアス事典』にあったように、逃すことに敏感な人間の性質に訴えることが効果的である一方、広く聞かせるために管理しなければならない、ただし管理すると反発観を覚えていくというバランスのとり方が難しいと思った。ヒトラーの演説についてと同時に、プロパガンダやネット時代のメディアについて考える本だった。(21/08/11)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新書
感想投稿日 : 2021年8月12日
読了日 : 2021年8月12日
本棚登録日 : 2021年8月12日

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