蜜蜂と遠雷

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  • 幻冬舎 (2016年9月23日発売)
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読んでいる最中は、あぁ感想を書きたいと、読んで感じたことを文章にしたくてたまらなかったのに。
いざ画面を開くのももどかしく真っ白なノートを目の前にしたら。

何から書き始めればいいだろう。
良かった。月並みな言葉だけれどとても良かった。

読んでいる間、ずっとスピーカーで「蜜蜂と遠雷」のアルバムを流していたんです。物語の中で曲が始まると同時に同じ曲を再生して。
普段は音楽やテレビは騒々しく感じるのに、この物語を読んでる時にはピアノの音が全然気にならなかった。


自分がページをめくっていることも、目で文字を追っていることも忘れていた。そうだ、本を読むってこういうことだったんだ。
心が物語を追体験すること。


江國香織さんの「日のあたる白い壁」という絵にまつわるエッセイ集を読んだ時のことを思い出した。
私は絵そのものに勝る文章はないし、音楽だって同じだと思っていた。
でも江國さんの文章は絵そのものに負けていない。
恩田さんの文章もそう。こんな風に、物語を通して音楽を体験できるし、それは実際に聴くのに劣らない。



ふっと集中が切れたときに、窓の外を見やったら薄青い空が続いていて。柔らかな日光をカーテンが受け止めていた。
ピアノの音色を聴きながら、あぁ生きてるなと。この時代に日本の小さな町の小さなアパートの1室でこうして過ごせていることが嬉しい。



クラシックは気取っていて、それを好む人が自分達だけに分かることを誇っているように感じていたけれど。

19世紀、あるいはもっと前の作曲家たちも、例えば晴れた日の空や風の気持ちよさを、音楽で表現していたのかも。
新しいものも良いけど、古いものの中に自分に通ずるものを見つけることで、自分を俯瞰できる。自分もこれからも続くであろう歴史の中の1人に過ぎないこと。こんな風に音楽や物語を通じて既に亡くなった人と共感できること。

クラシックの良いところを発見できた。


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読んでいる最中やたら何か食べたくなって(お腹は空いてない)、休憩がてらちょこちょこ何かつまんでました。

映画「蜜蜂と遠雷」のアルバムの中で、ラヴェルの水の戯れと高島明石(福間洸太朗)ver.の春と修羅が気に入った。
映画も映画館で見たかったな。再上映しないかな。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2020年1月29日
読了日 : 2020年1月29日
本棚登録日 : 2020年1月29日

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