一神教 VS 多神教 (朝日文庫)

著者 :
制作 : 聞き手/三浦雅士 
  • 朝日新聞出版 (2013年6月7日発売)
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感想 : 4
5

~人が前に進むためにはポラリス(北極星)が必要である~
人間は本能が壊れてしまった動物であり、自我が必要になる。自我自体が必要悪なので、良い自我、強い自我などの有用性といった議論に意味はない。
一方で強い自我と弱い自我が対峙した場合は、間違いなく強い自我が勝つ。
そもそも人間はまとまらない。まとまらないからまとめる求心力がいる。それが後ろ盾。
一神教は多神教の発生と違って抽象的
一神教は、迫害されて恨んでいる人たちの宗教である
世界の災禍は一神教によってもたらされている。
「宗教的である」という時、それは一神教的な考えを指すだろう。
(企業を含む)組織が拡大成長したいなら、一神教という覇道が必要となる。
一神教は父性(抽象的)、多神教は母性(即物的)
文化的にも、ゲゼルシャフトとゲマインシャフトと言っても良いかも。
(一方でキリスト教は生きる意味とかあり方も説いている。だとしても、か)
カール・ポパーの反証可能性
「歴史が証明している」は科学ではない。再現性がないものは科学ではない。
したがって、企業の成功(失敗)は各々一回限りの歴史的事象。
そこに法則はないのか?という考えは、「宗教に法則はないのか?」という問いに等しい。意味のない問いかけ。
※だからこそ、実践知(フロネシス)が必要になる(ここで野中郁次郎とつながる)
「個別具体的な場面のなかで、全体の善のために、意思決定し行動すべき最善の振る舞い方を見出す能力」
戦い続けるには、一神教しかありえない。「苦難をどう意味づけるか」
キリスト教は世界征服の道具→チェーンストア理論は世界征服の道具
一神教における中心(ドグマ)に対しては絶対的な悪が必要。悪があるから自分たちを正義と位置づけ、そのドグマを自我(後ろ盾)として進むことができる。
**自我が等価交換を要請する。**
誰かがひどい目に会った場合、それは回復されなければならないと考える。
例えば成功している経営者の本は、必ず過去に苦労していた。これは実際に苦労していたかどうかは関係なく、読者が「あなたは成功しているんだから、過去は苦労していなければならない」という自分の中の直と折り合いをつけるためである。
だから過去の成功とか失敗とか、そこ自身に固執する事は違うのではないか?
自我はどこかに所属しないと安定を保てない。帰属意識。
部下の自我に、上司は存在するか?後ろ盾(背中)部下と対峙しない
自我の構成要因の円グラフ(右肩に愛を乗せて、左肩に国を乗せて・・)
「向き合う」という考え方。
向き合う時、それはその存在について疑問を感じている時である。
自分と向き合う、過去と向き合う、他人と向き合う。それはこれまで自分の背中を支えてくれたものを改めて確認する行為。
エルヴィン「敵は何だと思う?」
内ゲバという醜さ。企業の中にも存在するだろう。ウチソト問題

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 図書館
感想投稿日 : 2021年2月17日
読了日 : 2021年1月3日
本棚登録日 : 2020年5月23日

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