慈しみの女神たち 上

  • 集英社 (2011年5月26日発売)
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感想 : 6
4

一人の元ナチス親衛隊の回想録という体裁をとった、歴史小説。
1941年から1945年までのナチス従軍時の回想と、自身の生立ちや家族との関係とを折り重ねながら、重厚で長大な「あなたがたと同じような一人の人間」が見聞し、あるいは自らも手を染めた「悪」を語っていく。
語り口はどちらかといえば淡々としている。法学博士でもある主人公はいわゆるインテリで、極力客観的に事態を回想しようと努めているようである。
一歩間違えれば冗長ともなりうるような克明さで、過去の自分に一定の距離を取って語ることで、自分の身に起きた「悪」は、読者にとっても他人事でないことを示そうとしているかのようである。

本書で感心したのは2点。
1点は解説にもあるように、恐らく非常に大量の史料に支えられているであろう、事実関係の詳細さである。本作にはしばしば実在の人物が登場するが、彼らの言動の骨子は数々の証言や回想録から再構築されていると思われる。
また物語の舞台になる東方戦線や、その支援部隊で起きていた出来事にも、迫真のリアリティがある。
ユダヤ人の虐殺や、それによって壊れていくドイツ兵士の精神であったり、スターリングラードの過酷な激戦や、一方でそれと対照的に意外と平穏な銃後の生活、国防軍とナチスとの反目、巨大すぎる官僚機構と仕事のための仕事、敗北が決定的となっていく中でのベルリンの雰囲気等々、展開される場面の多くに非常に説得力がある。

もう一つ面白い点は、大変克明に出来事や会話を記録している一方で主人公は自分自身の心理描写はあまり行っていないにも関わらず、時の経過とともに主人公の精神も変容し、壊れていく様がまざまざと描かれている点である。
法学博士でインテリである主人公は、物語の前半では理知的で明晰な思考を行うし、音楽や文学などを楽しむ教養も豊かな人物として見受けられる。ユダヤ人の殺戮に初めて遭遇した際は吐き気を催しとても直視していられず、やがて精神に支障をきたし傷病兵として銃後に送られるという、ある意味真っ当な反応を起こしていた。
その彼が、戦争の過程で数々の破壊と殺戮を目の当たりにし、自らも命を落としかけ、収容所での任務にも加わってありとあらゆる異常を経験していくことで、徐々に徐々に元の自分ではなくなっていく。最後には無気力と情緒不安定に襲われ、元々持っていた倒錯的な性癖とも相まって何度も幻覚や悪夢を見、ついには友人をも平然と殺害するようにまで落ちていく。
起こった出来事と会話だけで組み立てているにも関わらず、彼の精神が徐々に蝕まれていく様はなかなかに読みごたえがある。

一方で、本書の長所でもある克明さには、不自然さもある。
それは本書が一人称による語りという体裁を取っていることに起因する。
つまり、昔のことを思い出して書いている割には、克明すぎるのだ。
彼が関係した数々のナチス将校たちの言動や役職、党の方針や軍事行動といったことは、数々の証言や史料と記憶とを突き合わせることである程度正確に描写できたのだと説明できるだろう。
ただ、会話の内容や、一日のうちいつ、どこで、誰に会い、何をしたか。何を食べたか、そこに誰がいたか・・・、等、先月のことであっても日次で思い出すことが不可能なことも克明に書きつづられていることには、「回想録」としてはかなりの違和感を覚えさせられる。
膨大な史料に基づいたリアリティある描写が、回想録という体裁を取ったことによって、回想録としてのリアリティを毀損してしまっている。
何となくこのことがずっと気になり、結局はここに書かれていることは主人公の作り話だというような、徹頭徹尾彼の思考の中で繰り広げられたフィクションにすぎないのではというような感を抱いた。
小説という体裁は、実に難しいものだ。

本書を読む前に、ローラン・ビネの『HHhH』を読んだからこんなことを考えたのだと思う。
彼が本書のことを作中で批判的に(何度も)取り上げていたので、本書が歴史的事実を小説でどう取り扱うかという問題について『HHhH』とは対極にあるのは当然のことなのだが・・・。

歴史的事実をどう取り扱うかについての著者の見解を探すために、また冒頭の第一章(「トッカータ」)を読み返したくなった。
そういう意味で、やっぱり本書には強烈な魅力があるのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: アメリカ・カナダ文学
感想投稿日 : 2015年2月26日
読了日 : 2015年2月26日
本棚登録日 : 2015年3月19日

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