若い藝術家の肖像 (集英社文庫 ヘリテージシリーズ J 1-5)

  • 集英社 (2014年7月18日発売)
4.06
  • (6)
  • (6)
  • (3)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 194
感想 : 9
4

「ユリシーズ」寄り道中。
ユリシーズ主要人物のスティーブン・ディーダラスの幼少期から大学卒業までの、経歴や学歴と、心の動きを通して、スティーブンが「芸術家」としての生き方を決意するまで。
ディーダラス家は、父サイモン、母、子供は11人生まれたらしく(亡くなった子供もいる)、名前がわかっているのは長男がスティーブンで、他には弟モーリス、妹ディリー、ケイティ、ブーディ、マギーがいる。
スティーブンの経歴は作者ジェイムス・ジョイスとほぼ同じということ。この話はジョイスの心の動きでもあるのだろう。
スティーブン・ディーダラスという名前についても語られている。”スティーブン”はギリシア語では”ステパノス”で、冠、または花冠を表す。
”ディーダラス”とは、ギリシア語では”ダイダロス”になる。ギリシア神話で大工で発明家であり、ミノタウルスの迷宮を作り、幽閉されたときは翼を創り息子のイカロスとともに飛んで逃げた。

ユリシーズ 10挿話まではこちら。
https://booklog.jp/item/1/4087610047

「ユリシーズ」と「若い芸術家の肖像」では、政治や文化や宗教の議論が重ねられるので、そもそもこのときのアイルランドってどんな情勢かと検索してみた。
「アイルランド島は、1801年1月1日から1922年12月6日までグレートブリテン及びアイルランド連合王国の植民地だった」ということ。
ジェイムス・ジョイスが「ユリシーズ」連載を発表したのは1918年から、出版されたのは1922年というので、まさにイギリスから独立してアイルランド共和国になるその時期だった。現在アイルランドの作家と認識されているジェイムス・ジョイスは、このときは国籍はイギリス人だった。
すると「ユリシーズ」「若い…」で語られる国や宗教や議会や文化というものは、イギリスからの独立の機運が高まっていたり、アイルランド人としてのアイデンティティを見つめ直す必要があったうえで書かれたものなんだろうか。

1945年以降は飢饉が起こり、アイルランドから他国(イギリス、カナダ、オーストラリア、多くはアメリカ)への大量移民となったという。
「若い芸術家の肖像」の最後でスティーブンは外国(パリらしい)に行くことを決意する。
海外に移民する人も多かった時代に、スティーブンはアイルランド人としてのアイデンティティを持ったまま芸術家として生きる、アイルランド独自の文化を見つめ直すことを決意したってことでいいのかな。


Ⅰ 幼少期。
スティーブンは、両親や近所のお友達のもと、感受性を高めていっている。このころ家は裕福だったようで、クリスチャン名門校クロンゴーズ校の寮に入っている。
アイルランドの議会の話や、実際の政治の動きが書かれ、それに対してのディーダラス一家や周りの人達が意見を交わすのだが…このあたりは政治背景が理解できず(××)
学校では、意地悪なクラスメイトがいて幼心にショックを受けることがあったり、性への目覚めの最中の同級生がいたり、人の話を聞かずに一方的に罰を下す教師(神父)がいて戸惑うこともある。しかしその教師(神父)に不当な罰を与えられたスティーブンは、校長先生に直訴して認められたことにより、学友たちから一目置かれるようになった。
この幼少期の章は、最初は子供言葉だし、全体的に文体も簡単で感じや難しい言葉も使われていない。

Ⅱ 少年期から思春期ころ。
父の失業により(父は徴税署の収税史だったが、仕事が市営化されたことにより失業したっぽい)一家は困窮する。一家はダブリンに引っ越した。父サイモンの叔父のチャールズ老人は、スティーブンには良い話相手だった。またエマ・クラーリーという女の子のことが好きになって、色々考えたりお喋りしたり。
経済的理由でスティーブンは元の名門クロンゴーズ校へは戻れないが、弟のモーリスとともに、別のクリスチャン学校のベルヴェディア校に奨学金で行けることになる。
たぶんここの校長先生が「ユリシーズ」のコンミー神父です。
当初スティーブンが好きな詩人として当時は不道徳詩人とされていたバイロンを上げたため、いじめの対象になったらしい。
それを思い出したのは、入学して2年目くらいで、真面目で出来も良く評価も上がったころ。そのときは悪友ヘロンとともに後輩たちの監督のような立場になって、聖霊降臨祭の劇では主役(滑稽な学校教師役)に選ばれた。
家族とは、父親に付き添い一家の資産処理に同行する。そこで父との距離を感じる。
文才のあったスティーブンは、作文で賞を取り賞金をもらう。だがスティーブンはこの賞金を散財し、娼婦と関係も持つ(このとき15歳くらい?)。


Ⅲ 思春期。
前の賞から娼婦通いが続いている。しかし敬虔なクリスチャン家庭の元で育ったスティーブンは罪悪感を持ち続ける。そして神父への懺悔を行い、肉体的に自分を律する痛悔というものを自分に課す。
また学校では神父先生が神父が生徒たちに行う数日間に渡る説教を行う。
この説教は、哲学的思考的思想的宗教的にかなりの深いことが書かれているはずなんだが…ごめんなさい、ほぼ流し読みです(ーー;)
最初の幼少期の章では簡単な言葉を使っていましたが、徐々に難しくなってますーー。


Ⅳ 思春期
スティーブンは成績優秀品行方正(娼婦通いはバレてない?懺悔したから良いのか?)だったため、校長先生(「ユリシーズ」のコンミー神父ですよね)からはイエズス会の神父になるように誘われる。
神父になるからには、人品卑しからず成績優秀信仰を貫き自分が神父でいることを迷ってはいけない。その信念を持つものとしてスティーブンに声がかけられたのだ。なお、ここで素晴らしき先人として例に挙げられたのが、日本にも布教に来たフランシスコ・ザビエル(バスク地方出身)だった。

スティーブンも、いままで神父として生きる気持ちがなかったわけではない。しかしそれなら自分からその道に進んでいただろう。そうはならなかったのは、自分が芸術家でありたいという気持ちがあるからだ。
迷うスティーブンは(迷ってる時点で神父への道はないはずなんだが)、学友が自分の名前をギリシア発音で「よお!ステパノス・ダイダロス!」とからかわれたことをむしろ何かの予言のように聴いた。そして浜辺でスカートを尻までたくし上げて水に入る(この頃の女性の水浴びはくるぶしくらいまでしか出さないのでかなり扇情的)少女の美しさを見る。ギリシア神話のダイダロスが翼で天を目指す姿、その息子の失墜。世俗の美しいもの。スティーブンは、俗世間で美しいものに触れて芸術家として生きたいという気持ちの強さを自覚する。

Ⅴ 青年期
スティーブンは、ユニヴァーシティ・コレッジ・ダブリン大学で芸術を学んでいる。学友と議論の日々。社会主義者のマッキャン、民族主義者のデイヴィン、学監とは言語の議論を交わし、リンチとは芸術論、クランリーとは宗教についてなど。
この頃のアイルランド社会議題に「禁酒法と女性参政権」が出ている時期らしい。
そして思いを寄せるエマ・クラーリーも大学に行っているらしく、道ですれ違って話をする程度の関係が続いている。ある朝目覚めたスティーブンは、エマ・クラーリーとの10年くらいの出来事を思い出しながら詩を作る。
芸術とは、自分が信じる神とは、アイルランドとは。考えを深めていったスティーブンは、アイルランドを出ることを決意する。
(この後ユリシーズまでの間に、パリに行き⇒母の死の知らせが届き⇒アイルランドに戻り⇒とりあえず大学で教えている、ということらしい)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ユリシーズ
感想投稿日 : 2022年3月26日
読了日 : 2022年3月26日
本棚登録日 : 2022年3月26日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする