フォークナー短編集 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1955年12月19日発売)
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感想 : 56
5

私の感覚ではフォークナーは、読者を待ってくれない作家です。読者が「乗りま〜す!」と手を上げてもスピードを落としてくれないバスのよう。読者は飛び乗るしかありません(笑)。しかしこれが実に読書の愉しみを味わえるのです。
この短編集では、説明の少ないフォークナーの代わりに訳者の龍口直太朗さんが「訳注」で登場人物名が出てきたら「このような地位」などと、丁寧に教えてくれます。そのためか非常にわかりやすくなっていました。
(※私が読んだのは旧版のようですが、出てこなかったのでこちらで登録。多分内容は同じはず)

『嫉妬』
この短編最初の話は、夫が妻を激しくそしる言葉から始まる。
その様子は妻の言うように「気でも狂ったかのよう」だ。
かれらは新婚で、夫は妻を望んでいたというのに、最近は妻への疑惑と固定概念に捕らわれて、自分でも抑えられない苛立ちをぶつけている。
最近は、食堂の美男子のボーイが妻に同情を示すことも気に入らない。彼らの仲を疑っている。
夫の自分の嫉妬の行き来先を妄想する。その妄想はまさに手に届くところにあり、そして…。

『赤い葉』
チカソーインディアン首長のドゥームは黒人奴隷所有を始めた。
ドゥームの跡を継いだ二代目首長イセディベハが昨日死に、今日からはイセディベハの息子のモケタッペが三代目首長になった。そして昨日の夜にイセディベハの使用人だった黒人奴隷が逃亡した。
彼らの一族では、首長が死ぬと使用人の黒人奴隷、乗っていた馬、飼っていた犬が殉死することになっている。だから黒人奴隷は逃亡したのだった。
黒人奴隷は白人が持ち込んだ風習ですが、インディアンもそれを行い、さらには殉死という自分たちの習慣を加えています。初代首長ドゥームの時点で育ちの悪い山師で黒人奴隷を所有したと言っても開梱にも熱心ではなく奴隷売買で収入を得ていたようなもの。現首長モケタッペなどは、首長の象徴のような赤い靴をうまく履くことさえできず、逃亡した父の黒人奴隷を追うための狩りの指示も出せず、というていたらくっぷり。
 「さあ、来るんだ。おまえはよく逃げた。恥じることはないよ」
この白人、インディアン、黒人の関係がなんともグロテスク。


『エミリーにバラを』
ミス・エミリー・グリアソンが74歳で亡くなった。
父は町の中心人物で、南北戦争に従軍したサートリス大佐の友人であったため、ミス・エミリーも町では特別扱いをされていた。
だが時代は経て、彼女も年を取り、頑固で孤独で時代に取り残された老女となっていった。
そしてミス・エミリーが死んだときに、町の人たちは彼女の家に入り、みんながあると知っていた閉ざされた部屋へ入る…。
舞台はフォークナーの作った架空の南部の土地、ヨクナパトーファ州のジェファソンという町。
ジェファソンを舞台にした物語には時代に取り残された人たちが出てきます。この場合はミス・エミリーの人生を「時代が変わったのに昔の権利が守られるとして今の法令を無視する」「数日間家に安置したままの父の死体」「別れた婚約者」「ネズミ殺しのための毒」などのエピソードが散りばめられています。そしてラストでは精神的にも肉体的にも閉じこもり時間に取り残されたエミリーの哀愁と矜持が感じられます。
この題名は、フォークナーがバラの花くらい送ってやらないとエミリーがあまりにも可愛そうではないか、ということ。

『あの夕陽』
こちらもジェファソンが舞台。「響きと怒り」「アブサロム、アブサロム」に出てくるコンプソン家の長男クエンティンがみたある日々。この時クエンティン9歳、妹のキャディー7歳、弟のジェイソン5歳、そして末子で精神薄弱のベンジーはまだ生まれていない。
コンプソン家もこの時には広い土地屋敷を持っているが、その後没落してもうすぐ消えてなくなる命運。(「響きと怒り」で描かれている)
話の中心は、コンプソン家の洗濯女のナンシー。奴隷開放例が制定されたといっても黒人元奴隷たちは教育もなく立場も弱い。町の白人の男たちはナンシーを性欲対象として都合よく使用し、ナンシーは夫ではない子供を妊娠している。ナンシーの夫シーズアスは白人男たちにはぶつけられない怒りをナンシーにぶつける。そしてナンシーは、シーズアスに命を狙われていると思っている。
しかしコンプソン家の父は、そんなバカなことをそれがどうした、とばかりに気にも止めない。
時代に乗れず零落するコンプソン家、開放されたと言っても権利はないままの黒人たちの姿が描かれる。

『乾燥の九月』
ジェファソンで最近囁かれる噂。40歳に近いミニー・クーパー嬢が、黒人のウィル・メイズに襲われ陵辱されたという。
ミス・クーパーはお洒落で社交的な娘だったが、同年代のさらには年下の娘たちが家庭を築いてゆく姿を見て交流の範囲を狭めるようになっていた。
暴行の噂をウィルは完全に否定するが、町の男たちはといきり立ちウィルに暴力を振るう。彼の味方をする男は「この黒人びいきが!」と相手にされない。男たちにとっては「黒人どもを勝手にほったらかしておいてほんとにそんな事件が起きるのを待っていられるか」ということだ。
…これも開放されたと言っても差別される黒人と、時代に取り残された人物の話。
黒人リンチに関しては直接は書かれていませんが、ところどころの言葉から乾いた残酷さが読み取れます。

『孫むすめ』
こちらは「アブサロム、アブサロム」の中心人物、流れ者で土地所有者となったトマス・サトペンの死の物語。「アブサロム、アブサロム」でも語られているが、これは殺人者の心情に沿った話となっている。
ワッシ・ジョーンズは白人といっても、黒人にも馬鹿にされるような“白人の屑(ホワイト・ラッシュ)”と言われる階級。
トマス・サトペンの丸太小屋に住ませてもらっている。しかしサトペンは、ワッシの孫娘のミリーに手を付けて妊娠させた。このときに町では「ついにワッシがサトペン爺さんを抱き込んだぞ」と言われ、ワッシも自分がサトペンと同等になったような気がする。しかし生まれた赤ちゃんが娘と知るとサトペンは雌馬が仔馬を産んだことよりもつまらないことだと扱う。ワッシは大鎌を手に取り…。
(サトペンは最後に息子が欲しかった、ということは「アブサロムアブサロム」にも書かれている)
時系列や心情と現実が入り交じる手法で、底辺人生を送った白人男の悲壮感が出ています。いくつかの暴力や殺人ははっきり書かないのですが、行間から読み取れる一瞬の殺意が感じ取られます。

『バーベナの匂い』
ジェファソンの名家サートリス家の当主、ジョン・サートリスが商売敵のレッドモンドに殺された。
大学で知らせを受けた息子のベイアードはジェファソンに戻る。ベイアードが望まれていることは、銃を持ってレッドモンドを殺すことだった。
ジョンの若い妻のドルーシアは、強い匂いを放つバーベナを髪に指す男勝りの女性だった。彼女も女の自分ができない復讐をベイアードが果たすことを望んでいる。
昔ながらの風習を持つジェファソンでは、血には血を、自分のやるべきことを実行し、女を愛すれば根の限りに愛し、それらのために若く死んでも後悔はしない、という生き方が男らしいとされている。
しかしジェファソンを出ていたベイアードは、血の解決よりも別の方法をとるためにレッドモンドの事務所へ向かう。それがジェファソンでは卑怯とされるやり方であっても。

『納屋は燃える』
スノープス家は一つの場所には留まらずに、トラブルを起こしては次の町に行く引っ越し生活だ。
スノープス家の父親のアブナーは、トラブルが起きた相手の納屋に火を放つならず者の性質。この物語の主人公は、次男のサーティ。父のために裁判所で偽証をしなければいけないという家族の繋がりと、放火や怠惰は悪いことだという人間としての本能で苦しんでいる。

最後の2つの話では、暴力が男らしいという風習の残る町で、そこから新たに別の解決を臨もうとする新しい世代が書かれている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ●米国文学
感想投稿日 : 2020年1月28日
読了日 : 2020年3月12日
本棚登録日 : 2020年1月28日

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