生きて、語り伝える

  • 新潮社 (2009年10月31日発売)
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感想 : 11
5

ガボさんの自伝。
この本の書き方自体がいかにもガボさんの文章で構成なんです。時系列が混じったり、それでも文章には惹き込まれるばかり。
ああ、作家だ。作家の文章だ。素敵だ。
ガボさんが語る親族のこと、政治活動などを通して、ガボさんが「事実」をどのように小説に落とし込んだかが感じられます。
ガボさんの本を読んだ皆さまはぜひこちらもお読みください!


さて、私は今までレビューではガルシア・マルケスを「ガボさん」と書いてきたのですが、家族が呼ぶ渾名は「ガビート」だそうです。生まれたときからそう呼ばれているのでガビートが本名でガブリエルが愛称という感覚とのこと。
「ミスター・ガボ」という愛称は、出版のためにある人が言い出して広まったもの。
…私はこのまま「ガボさん」でレビュー書きます。。


❏事実と小説
ガボさんは「百年の孤独」について「すべて事実が元」と言っている。日本人読者としては、ラテンアメリカと日本では、事実に対しての表現方法が違うんだな、という風に受け取っていたのだが、この自伝を読むと、ガボさんが書いているマジック・リアリズムは本当に本当の出来事だった。
まずは冒頭に書かれるガボさんのご両親の馴れ初め話。これは「コレラ時代の愛」そのもの。書き方が美しい。
他にも、退役軍人年金を待ち続ける大佐(大佐に手紙は来ない)、猫に入りたいと言う女性のつぶやき(エバは猫の中)、射殺された泥棒の母と妹が墓参りに来るエピソード(火曜日の昼寝)、街中に飛び交う中傷ビラ(悪い時)、などは実体験を小説にしたもの。特に死んだ泥棒と母親と妹とが墓参りに北場面はずーっっと忘れられず「火曜日の昼寝」を書いてやっと悪魔祓いする事ができたのだそうだ。
また実際の殺人を小説化した「予告された殺人の記録」は、関係者を知っている母親からは出版を嫌がられていたのだそうだ。<「実人生においてあれほどひどい展開になったものが、本になってうまくいくはずがないじゃないの」P531>
「百年の孤独」に生きているエピソードも大変多い。マコンドという名前はどこから来たのかということ、予言通りに死んだ伯母、バナナ農園でのストから軍による三千人の虐殺と誰もそれを覚えていないということ(祖父が関わった)、土や土壁を食う女、戦地の先々で子供を作る大佐、大量の学友が来るために用意された70個のおまる、愛する男を断ち切って孤独の長い人生を送る女…、これらは百年の孤独の内で現実と幻想を入り混じえて書かれるのですが、元となる人物がいたり、実体験や事件があったというのがすごいですね。

❏バナナ農園の虐殺について
・元の事件は、1928年11月12日から始まったバナナ農園の待遇改善ストライキが、12月6日に軍隊による多数の労働者射殺になったというもの。
・ガボさんの祖父のニコラス・マルケス大佐は、ストライキの調停役だった。
・ガルシア・マルケスが母と現場を見たのだが、200人くらいしか入れないよね、という広場だったそうだ。
・<「見てごらん」と母は私に言った。「あそこでこの世の終わりがあったんだよ」P28>
・後年、ガボさんは事件の目撃者に話を聞いたり、記録や報道を確認した。<その結果、真実は誰の側にもないと気づくに至った。P95>
・被害者の数ははっきりしない。記録により百人とも、三千人とも。三千人というのは、祖父が語った数。「百年の孤独」で、死者三千人にしたのは、ドラマの叙事詩的な壮大さを維持するためだったんだが、さらに後年ある上院議員が「三千人の殉教者のために黙祷」と演説したため、その犠牲者数はあながち嘘でもなくなった。
死者の数が、記憶する人により大きく乖離するというのは、我が国の歴史においてはままあることだ。<矛盾した語り伝えがいくつもあるということこそ、私がいろんな偽の記憶を抱くようになった原因である。P97>
<唯一動かしがたい事実は、全てが持ち去られたということだった。金はもとより、12月の涼風も、バター・ナイフも、午後三時の雷鳴も、ジャスミンの香りも、そして、愛すらも、持ち去られて残っていなかった。残ったのは土埃にまみれたアーモンドの木、眩しく照らす街路、木造の家、トタン葺きの屋根、そして、その下に暮らす、思い出に苛まれ沈み込んだ人々。P47>
<夜になるともっと酷いんだ。死者がそこらの通りを思い思いに歩き回っているのが聞こえるんだから。P47>

❏大雨
新聞記者時代に、三時間の集中豪雨に合い、「この大雨こそがニュースだ!」(政治とか怪奇話でなく、人々の日常にニュース性を見出した?)という経験をした。
「百年の孤独」で、四年と十一ヶ月と三日続くことになる大雨に繋がっているのかな。

❏家族
父親は色々な仕事を点々としていた。
ガボさんは両親と離れて祖父母を始めとする多くの親族の元で育つ。退役軍人の祖父、魔法や精霊の話をする祖母との生活は、ガボさんの性格にかなり影響を与えている。
兄弟姉妹は11人でガボさんは第一子の長男。学校に通うために家を出たガボさんにとって弟妹たちとは休暇の時にしか合わず、誰が誰かわからなくなっているんだって。

❏数多くの親族たち
まだ幼いガボさんの前で本音を言ったり、符牒に言い換えたりしていた。しかしガボさんはそんな親族の噂話をしっかり自分に取り込んでいつでも取り出せるようになっていた!

❏祖父母について
<男は、家の絶対的な王なのだが、そこを統治しているのは彼の妻なのである。単刀直入に言えば、彼は生粋のマッチョだった。つまりこういうことだー彼は私的な場面においては細やかなやさしさをもった男だったのだが、公的には自分のそのやさしさを恥に思っていて、その傍らで、妻はそういう彼のことを幸せにするために身を粉にしていたのである。P120>

❏大黒柱。でも本人もビンボー。
家族は貧しかった。<全員が結局溺れ死ぬことになるなら、僕一人だけ脱出させてくれ。手漕ぎボートかもしれないが、なにか救いを送る方法を探してくるから。P555>といって、働いて家族に仕送りをした。だがガボさんも貧困であり、手漕ぎボートが必要なのは自分自身という有様だった。


❏学校も仕事も
ガボさんは、学校も仕事もそんなに合わなくて、マイペースにやりたいことやってる印象。
しかしジャーナリストになってからも、検閲とかで本当のことを書けなくて、伝奇伝承を書いていたとなったら拗ねてもしょうがないか。

❏女性たち
奥さんのメルセーデスさんとは彼女が13歳のときに出会い、後に結婚した。
しかしガボさんは生涯通じて多くの女性と関わりがあった(笑)
そこまで言っちゃっていいの?ってくらいに、愛人のいる男のところに通った様子とか、馴染みの娼婦のこととかが書かれている。
そんな女性の中の一人から、12年ぶりに連絡が来た。新聞に掲載された小説を読んだらしい。ガボさんは緊張しまくっていたが、女性の方は「あなたは息子みたいなものだから」と澄ましたもの。<「もう我慢できなくなって見に来たのよ、文章はたくさん読んでいるのに、どんな人になっているのかわからないでいるのが」「で、どんな人になっているの、僕は」「それはダメよ!」と彼女は心の底から笑った。「それは絶対に言わないわよ」>

❏ガボさん同人作家だった!?
印刷所で働いていた頃、新聞に掲載されている、漫画の続きを買ってに書いたら近所からウケて、ついにたくさん書いては売るようになった。なにこれ、今で言う同人誌というか二次創作?大作家の根源がそこだったとはーーー(ノ゚ο゚)ノ
(この頃は著作権問題も緩かったというのはあるだろう。日本でも江戸時代には二次創作あったらしいし)

❏音楽と小説
「族長の秋」を読んだ音楽家から「バルトークの『ピアノ協奏曲第三番』との間に驚くべき親和性がある!」と指摘されたという。そしてガボさんは実際に執筆しながら<この曲を容赦なく聴き続けていた>のだそうだ。しかしガボさん自身も、まさか読者から指摘されるほど影響を受けていたとは思わなかった、ということ。
小説に音楽が落とし込まれるとはすごいな。
https://www.youtube.com/watch?v=1esPHLSdPtg&ab_channel=eijuwara

❏政治との関わり
ガボさんは1948年4月9日の「ボゴタ騒動」(自由党左派指導者ガイタンが暗殺された。指示者は保守党大統領ペレスだという流言が飛び交い、ボコタだけで3,000人の死者を出したという)の場にいたという。その後新聞記事や記録を読んだ。しかし自分が鮮明に記憶している光景はどの記録にも出ていなかった。自分が見たのは自分の記憶だけだったのか、いや確かに本当のことだった。 また、そのボゴタ騒動の場には、当時20歳だったキューバのカストロもいたという。そのことをお互いに知ったのは、ずっと後のガボさんとカストロが親交を深めてから。
ラテンアメリカ作家たちは、最初はカストロのキューバ革命を歓迎したがその後の政権で批判に回った人が多い。ガボさんはカストロの人格をずっと褒めて続けている。個人的にも親しく尊敬できる人だとしてずっと友情を持っていた。

❏ラテンアメリカ作家と政治
知識人として国を善い方に変えようとするのは当然の義務であり(あくまでもその人個人にとっての善い方だけど)、国際人なので海外への影響力もある。
ガボさんに関しては、キューバのカストロとお友達ということは有名であり、そのことで他のラテンアメリカ作家から非難されることも多いんだが、ガボさんの文章を読むと、政治との関わりはもっと根本的なものだと思った。まずコロンビアがまさに「百年の孤独」の内乱時代そのもの。家族には保守党も自由党もいる。ジャーナリスト時代は政治家への取材も行った。南米テロリストと欧米政府との調整役になったこともある。
カストロとの友情だけだ取り沙汰されるけれど、コロンビアに生まれた以上生まれたときから内乱の最中であり、そのなかでごく自然に政治に関わっていったということがよく分かった。
<「戦争戦争って、どの戦争のことだよ!」「しらばっくれるなよ、ガボ」と彼は突如、真実を解き放った。「あんた自身がしょっちゅう言っているじゃないか、この国は独立以来ずっと戦争状態だって」P615>

❏PDSD
内乱、戦争、海外出兵が続くとやはり人の心は荒む。
戦場帰りの兵士が、国に帰って人を殺したり、自分たちが襲撃されたり。
戦争で百人殺したんだからボコタで十人殺して何が悪いんだと殺人を犯した兵士も、兵士と見たら襲撃して殺す住人たちも、どっちも被害者だ。

❏亡命
ジャーナリストとして、海軍難破船の生存者についての記事を発表したところ、内容やら権利問題やらでスキャンダルに。命の危険もありジュネーブに亡命することになった。母には「二週間ほどジュネーブに行く」と言ったが結局二年以上滞在した。<「ガビートは人を騙したりしないよ。時には神様だって、二年間続く週を作らなきゃならない時があるんだよ」P663>

❏国籍、市民権!?
これだけ政治に関わっているのに、ガボさんは市民権証明書を持っていなかったので、投票すらしたことがないし、懲役も逃れ続けていた。
ジュネーブに出発するときにやっと各種証明書を作ったり偽造!?したりした。(予防注射証明書は、偽造証明書のために、毎日でも身代わりで予防接種受けるというアルバイトがいるらしい!?
<「わからないのはさ、ドン・ガブリエル、どうして自分が何者なのか、おれに教えてくれなかったのかということだ」「そんなこというな。言えるはずがないじゃないか、今だって自分でも自分が何者かわからないんだから」P665>
物語の最後。空港に向かうガボさんが、後に奥さんになるメルセデスさんの家の前で彼女を見る。その時は声を掛けずに空港で手紙を書いた。するとジュネーブのホテルに返事が届いた…。
両親の愛情物語で始まったこの自伝は、自分の愛情物語で終わる。美しい。
「百年の孤独」において「誰も愛さなかった」ブエンティーア一族の孤独を書いているが、読者としてはブエンティーア一族からも「愛」を感じるんですよ。やはりガボさんが愛情深い人だからなのだろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ、自伝、インタビュー
感想投稿日 : 2021年11月20日
読了日 : 2021年11月20日
本棚登録日 : 2021年11月20日

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