伊藤計劃の絶筆、『屍者の帝国』は長編のプロローグのみであるが、頗る魅力的な設定が示されている。19世紀後半のロンドン、優秀な医学生の「わたし」ジョン・ワトソンは、指導教官セワード教授と、特別講義にやってきたヴァン・ヘルシング教授に軍の仕事に就くことを誘われる。そこで会った特務機関のMは諮問探偵を弟に持つという。まずはシャーロック・ホームズとストーカー『ドラキュラ』の登場人物が出てくるわけである。
そしてこの時代、フランケンシュタイン博士の開拓した方法により、死者を蘇らせ、ロボットのように使役するテクノロジーが一般化している。それが「屍者」だ。すなわちある種のスチーム・パンク、もっと言うならネクロ・パンクが、この小説なのだ。
ワトソンの任務は中央アジアにおけるイギリスとロシアの覇権争い「グレート・ゲーム」に諜報員として参加することだ。彼の向かう先はアフガニスタン。
この未完の長編を盟友・円城塔が補筆というか、書き継ぐことになったのだが、伊藤の構想を聞いていたのか、あるいは伊藤の残したマテリアルから新たに構想したのかといった解題はついていない。
屍者は霊素を注入することで蘇るのだが、円城の書き継いだところでは、屍者技術とはITのアナロジーとなっている。霊素は屍者を駆動するソフトウェアであり、ネクロウエアと呼ばれる。ワトソンはさまざまな知識を頭にかき込まれた屍者フライデイを伴って出かけるが、フライデイはいわばポータブル・コンピュータであり、この本自体はフライデイが記録したものなのである。さらには多数の屍者をモールス信号のキーパンチャーとして使った大規模コンピュータに大陸間をつなぐネットワークまで登場するのである。
アフガニスタンでは新型のネクロウェアをかき込まれた屍者たちを連れ立って屍者の王国を作っている男のもとを目指す。その男の名はアレクセイ・カラマーゾフ。同道するのはクラソートキン。何ともまあ大変なメタフィクションになっている。
『カラマーゾフの兄弟』後日譚は第1部で終わり、舞台はさらに日本へ、そしてアメリカへと移っていく。
そこで問題となってくるのは、自分の意志を持たない屍者と、最初の屍者なのに自分の意志を持っていたフランケンシュタインの怪物との対比であり、話は意識とは何かといった哲学的問題を巻き込んで進んでいく。
伊藤計劃は死者である。しかし屍者となって、円城塔を名乗り、この小説を書いている。などと言ってみたいが、クールな伊藤計劃の文章と円城塔の饒舌はいささか異なっているという印象も確かである。これが伊藤計劃の計画した物語だったのかというと疑問も感ずるのだが、伊藤の蒔いた種を見事な1冊に育ててくれた円城塔に拍手を送りたい。
- 感想投稿日 : 2016年2月3日
- 読了日 : 2016年2月3日
- 本棚登録日 : 2016年2月3日
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