民藝とは何か (講談社学術文庫)

著者 :
  • 講談社 (2006年9月8日発売)
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感想 : 38
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『民藝とは何か』、『日本民藝館について』、『民藝の性質』いずれも似たようなことを言っていると感じた(おそらく多くの人が同意してくれると思う)。
だから、読み進むうちにだんだんと読むスピードが増していった。
そして、はたと立ち止まって、「これってホントに読書なのかな。やっていることは速読と似たようなもんで、いつの間にか『早く読み終わらせる』ことそれ自体が目的になってないかな。俺はそんな読書がしたいわけじゃない。」と思った。

しかし、その一方で速く読むことそれ自体はそれほど非難されるべきものでもないという考えもある。

高橋源一郎は「『明治の文章』は明治人の音読の速度で読まないと味わえないのではないか」という仮説を立てたという(『態度が悪くてすみません』所収の「速度と祝福 God speed you」)。
これが書かれたのが1940年前後。
ならば、リズミカルに読んでも問題ないのではないかというわけだ(昔の人は今より早口だったみたいだから。それに文章もリズミカルな漢語調だし)。

ああ、全然内容に触れてなかった(まあ、僕がやってるのはレビューという名の日記なので)。

言ってることは至極全うなことだと思う。
錯雑とした意識に捉われない、日々の健康的な生活の中から生まれる実用的な民藝品にこそ真の「美」が存在するのだと(多分こんな感じ)。

でも時々横槍を入れたくなることもありました。
僕にとって象徴的なのが、人々が在銘の品を求めるのは、「それは『銘』を愛し、『人』を愛し、『極め』を愛しているのであって、美そのものを見つめているのではない」(p.64)という部分。
これはブランドの概念にもつながってきそうな部分ですね。

宗悦さんの言っている「美」にはだいたいにおいて賛同しますが、僕はそれがいつの間にか「健康的で実用的であるといった諸々の要素さえクリアできればそれは無条件に素晴らしいものである」ということになってしまうのではないかと恐れます。
それでは在銘の品(いわゆるブランド)を盲目的に求める大衆と全く同じことではないかと思うのです。

宗悦さんがこのような反論を想定していたのかは分かりませんが、宗悦さんはそうした諸要素の拠って立つところとして、さらに「直観」というものに説明を求めました。
「直観」で諸要素を、また美を感じるのだから、そこに自身の独断の入る隙はない。「もし見誤るなら(それは)充分に直観が働いていないからです」(p.93)と。
僕は人が皆(偏見などを取っ払って)「直観」で物事を見れる、またそこで同じことを感じるであろうということを信じていない人間ですから、ここらへんの記述(この文章の核な気もしますが)には多少の違和感を感じました。

まあそんなことはどうでもいいか。
今度日本民藝館に行ってみたいと思います。
(2007年09月16日)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 批評
感想投稿日 : 2010年6月12日
読了日 : 2010年6月12日
本棚登録日 : 2010年6月12日

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