折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)

  • 講談社 (2013年6月11日発売)
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感想 : 2
5

小林秀雄や鈴木大拙との対話があることを知り、いったい彼らがどんな対話を繰り広げるのか、その有様を感じてみたくて。
編集の都合もあって、純粋な会話では決してない。その場にいなければ、わからないような雰囲気だってある。文字だけ見れば、折口はあまりしゃべらず、会話の噛み合わなさのようなものが見られるかもしれない。
しかし、それこそ、これが想像された会話ではなくて、純粋に対話されていることの表れなのだと思う。互いに相手の立場を痛いほどにわかっているから、決して相手のことばを打ち崩すのではなく、自身の立場を守っている。わかりあえないからこそ、相手を尊重して耳を傾けられるし、自分の主張もできる。そうして、語られないところで、相手のことばを吸収して、自身のものとして生きているのだ。
対話時期が戦時中~戦後にかけてと思想も偏り過激な様子が見えるが、そんな中にあっても静かに耳を傾け、けれども流されることなく、自分の主張をする。どちらかといえば、折口は会話の得意な方ではないと思う。しかし、その分思考の飛躍は、他の対話者も驚くほどのものである。習俗からことばの語源へと至る過程は、折口の成し遂げたひとつの発見である。柳田國男は、早くもその才を見ぬき、それをミンゾク学へ持ち込ませたのだ。柳田はその創造性から新たな物語を紡いでいき、同時に、科学的手法のために、折口の飛躍を御す。折口も自身のことをよくわかっているから、柳田の限界と慎重さの意味をよく守っている。
今まで、柳田がどうしてこんなにも抽象化を嫌い、収集にとどまったままにあったかわからずにいたが、ふたりの対話を追っていくと、柳田が折口のような後進の者のためを思い、またその科学的手法を徹底して学問をしていたことが伺える。柳田にとってミンゾク学は物語ではなく、学問だったのである。
折口からしても、小林秀雄の言うような歴史の再考はきっと考えていたはずである。しかし、それをすぐにことばにするにはあまりに、収集が少なすぎたのであろう。若い頃の折口なら、すぐに小林のことばに反応しただろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 詩集・句集・書簡集・対話集・エッセイ
感想投稿日 : 2017年7月30日
読了日 : 2017年7月30日
本棚登録日 : 2017年7月30日

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