瞬時に二択を迫られる。そのどちらかには「ガス室」が待っている。生き延びることができたと思ったのもつかの間、またしても二択。とりあえずセーフ。ほっとするまもなく、また二択。究極の選択の連続が待ち受けるナチスの強制収容所内の生活を想像するにつけ、どれだけの人が自分を見失わずに先の見えない日々を過ごすことができるだろう。私にそれができる自信はない。この本の中で語られる、多くの被収容者と同じく心が鈍磨し、絶望と恐怖の生よりも安楽な死を選んでしまうかもしれない。
強制収容所内での虫けらのように扱われる過酷な生活が描かれることはもちろんだが、筆者は心理学の臨床医だ。自身が入所することになった強制収容所の日々を、できる限り客観的に、自分を実験台にして、心の移りゆく過程を描くこの作品を読んだ後は言葉が出ない。
どんなに過酷な人生であろうと、その生に意味があり、人は成長していくことができると著者は説く。
「(収容所で死んでいった)人びとは、わたしはわたしの『苦悩に値する』人間だ、と言うことができただろう。彼らは、まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ、ということを証していた。最後の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。(中略)およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は初めて完全なものになるのだ」
苦悩にまみれた人生の連続だった、かのニーチェがツァラトゥストラの中で語った、「これが人生だったのか、よし、それならもう一度!」という台詞。
あまりにも自分の境遇と隔たりがありすぎて、どういう意味かわからなかった。しかし、本書を読んだ今、その意味が輪郭をもって迫ってくる。
この本の記憶は私の一生の宝物になるだろう。
- 感想投稿日 : 2014年4月26日
- 読了日 : 2014年4月26日
- 本棚登録日 : 2014年4月26日
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