【感想】
10年ほど前に一度読んだ小説。
昔読んだときはあまり面白いと感じなかったが、再読してみるとめちゃくちゃ面白かった。
物語は一人の女性の失踪から始まる。
そしてその女性を追っていくにあたり、もう一人の女性が出てきて、その人の人生を見事にトレースしていく事で物語は進んでいく。
最終的に、その女性をついに突き止め声を掛けるところで物語は終わるが、それも含めて本当に面白い1冊だった。
そして、「火車」というタイトルが逸脱すぎる。
いやー、本当に名作だった!!
【あらすじ】
休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。
自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか?
いったい彼女は何者なのか?
謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。
山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。
【引用】
火車(かしゃ)
火が燃えている車。生前に悪事をした亡者をのせて地獄に運ぶという。ひのくるま。
p42
若い女性の失踪は、それ自体は珍しいものではない。
だが、若い女の単独での失踪に「自己破産」がからんでいるケースというのは、あまり耳にしたことがない。
一家そろって夜逃げということならあり得るが、女が一人で、男からではなく借金から逃げるとは。
いや違うか、と思い直した。
関根彰子は自己破産しているのだから、借金は消えてなくなっているわけだ。
それとも、破産しても借金は借金として残るんだろうか?
p104
「違います」
ゆっくりとかぶりを振り、にわかにそれが汚いものに変わったとでもいうかのように、履歴書を本間の手に押し返しながら、弁護士は言った。
「この女性は、私の知っている関根彰子さんではありません。会ったこともない。誰だか知らないが、この女性は関根彰子さんじゃありませんよ、別人です。あなたは別人の話をしている。」
p158
他人の戸籍。他人の両親。他人の身分。
金で買い取ったのか。それとも…
(なんらかの方法で乗っ取ったか)
どちらにしろ、あの「関根彰子」は、周到な手を打って本物とすり変わったのだ。
p201
「火車の、今日は我が門(かど)を、遣り過ぎて、哀れ何処へ、巡りゆくらむ」
巡り来る火の車。それは運命の車だったのかもしれない。関根彰子はそこから降りようとした。そして、一度は降りた。
しかし、彼女に成り代わった女は、それと知らずにまたその車を呼び寄せたのだ。
今どこにいる?
夜の闇の向こうに、心の内で、本間は問いかけた。
彼女はどこにいる?
そして、何者だったのだ?
p231
個人破産でも、持ち家などの資産があって、ある程度の配当を見込むことができる場合は、破産宣告がおりると、企業破産の時と同じように、裁判所の委託を受けた破産管財人が、債権者の調査・整理・配当の手配に取り掛かります。
この間、破産者は、裁判所の許可なく引っ越したり旅行したりすることはできないし、郵便物も管財人のもとに転送される。
悪質な資産隠しをしたり、破産申立ての準備をしながら債権者には嘘をついて借金を重ねるなどの詐欺行為をすると、免責不許可の原因となる。
p238
銀座四丁目の交差点のところで別れた。
挨拶を交わしたあと、もう一度年を押すように、溝口弁護士は言った。
「私の言ったことを、どうか忘れんでください。関根彰子さんは、何も特別にだらしのない女性ではなかった。彼女なりに、一所懸命に生活していました。彼女の身に起こったことは、ちょっと風向きが変われば、あなたや私の身にも起こり得ることだった。彼女を取り込んでいた状況を、いつも頭に入れておいてください。そうでないと、彼女も、彼女に成り代わっていた女性を探すこともできないですよ」
p488
「蛇が脱皮するの、どうしてだか知ってます?」
「皮を脱いでいくでしょ?あれ、命懸けなんですってね。すごいエネルギーが要るんでしょう。それでも、そんなことやってる。どうしてだかわかります?」
富美恵は笑った。
「一所懸命、何度も何度も脱皮しているうちに、いつか足が生えてくるって信じてるからなんですってさ。今度こそ、今度こそ、ってね。」
「足があるほうがいい、足があるほうが幸せだって。で、そこから先はあたしの説なんだけど、この世の中には足は欲しいけど、脱皮に疲れてしまったり、怠け者だったり、脱皮の仕方を知らない蛇はいっぱいいるわけよ。そういう蛇に、足があるように映る鏡を売りつける賢い蛇もいる。そして、借金してでもその鏡を欲しいと思う蛇もいるんですよ。」
p518
「喬子の家族は、昔、借金で一家離散してるんです」
倉田は言った。かすかだが、声の調子が狂っていた。
「住宅ローンが払えずに、一家で故郷の郡山を夜逃げしたんですよ。喬子が僕と離婚したのだって、そのせいです。」
君たち二人は同類だった。
本間が思ったのは、そのことだった。
関根彰子と新城喬子。君たち二人は同じ苦労を背負っていた人間だった。
同じ枷をかけられていた。同じものに追われていた。
なんということだ。君らは共食いしたも同然だった。
p537
「喬子が図書館の机にかがみこんで、目を血走らせて官報のページをめくってるんです。お父さんに似た人間が死んでないか確かめるために。。。いや、そうじゃない。」
倉田の声に、鞭で叩かれたかのような、苦痛の色が混ざった。
「死んでてくれ、どうか死んでてくれ、お父さん。自分の親ですよ。それで、僕の中の堤防が崩れちまったんです。」
彼女の肘のすぐそばで、新着図書の推理小説を読んでいた若い女性は、雑誌の暴露記事に目を丸くしていた老人は、そういう喬子の立場を理解できただろうか。
肘の触れ合う距離に、声の届く範囲に、そういう生活があることを想像できたろうか。
「自分の顔を見てみろよ、と言ってしまったんです。まるで鬼女だって」
本間の想像は当たっていた。新城喬子は孤独だった。
過酷なほどに独りぼっちで、骨を噛む冷たい風は、彼女にしか感じることのできないものだった。
入籍後、わずか三ヶ月のことだ。これがのちに新城喬子が説明した結婚の正体だった。
p594
まともな生活をしたい。
終われる不安から解放されたい。
平凡に、幸せな結婚をしたい。
求めるものは、ただそれだけだ。喬子はそう考えていたのだろう。
そして、自分の身を守るためには、自分で闘うしかないと悟ってもいただろう。
父親にも、母親にも、彼女を守ることはできなかった。
法も守ってはくれない。
頼れる人だと信じ、庇護を与えてくれると思っていた倉田康司も、彼の家の財力も、いざというときには彼女を見捨てた。
彼女の存在は、社会にとってその程度のものなのだ。誰もすくい上げてはくれない。
這い上がっていかないことには、生きる道はないのだ。
p685
やっと捜し当てた。そう思った。やっとたどり着いた。
こっちから何を尋ねるかなどは問題じゃない。俺は、君に会ったら、君の話を聞きたいと思っていたのだった。
これまで誰も聞いてくれなった話を。
君がひとりで背負ってきた話を。
逃げ惑ってきた月日に。隠れ暮らした月日に。
君がひそかに積み上げてきた話を。
- 感想投稿日 : 2019年5月20日
- 読了日 : 2019年5月20日
- 本棚登録日 : 2019年5月20日
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