新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2004年7月15日発売)
4.27
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本棚登録 : 1939
感想 : 149
5

もっとも恐ろしい言葉が「あとがき」にある。
「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」
「もはやそれは、死霊あるいは生霊たちの言葉というべきである」
これに引っ張られるようにして読んだ。

作者が「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である」といい、解説者渡辺京二が「聞き書きなぞではないし、ルポルタージュですらない。私小説である」という意味が、了解できた。
一読のあとに獲得したものとしては、まずはこれだけで上々だろう。
というのも、熟読前はやたらと難解でとっつきづらい印象で手を伸ばしかねていたのだ。
地の文、方言による語り言葉、報告書などの固い言葉づかい、が混在しているため。

ところで小説を読み終わった時に、美味しかったとか食べづらかったとか比喩することがある。
本書は咀嚼しても噛み切れず呑み込んだのに重くて吐き出さざるをえなかった「それ」を、食べねばといま思っている。
繰り返すようだが、初読でここまで味わえれば、上々だ。
これは「小説で」「重い美味しさがある」とわかっただけでも。
あとは多方面から読んで「小刻みに腹に納めていく」だけだ。
永遠に腹からはみ出し続けるであろう記述を、少しずつ食べていく。

私なりにまとめてみれば。
作者の巫女的な性質。(手をつなぐことで、相手のすべてが流れ込み、自分の中で生きる)
ルポではなく創造的真実が生み出す人々……患者、患者の家族、遺族……の声が、幾度も反芻される。
反芻を繰り返すことで洗練さていく言葉と、生(き)の言葉と、の混在。
各章ごとに「わたくし」が直面している現在がまず提示され、思い返される過去が各々患者の言葉として思い出され(だからルポではない)、また現在刻まれていく政治的事実や研究報告書などが差し挟まれていく、この繰り返しで本書は構成されていく。「転ー起ー承ー転ー(本来存在しない結は先送りされていく)」そのため、割と時間は前後する。
主な患者は、山中九平少年ー野球の稽古。仙助老人ー村のごついネジすなわち柱。釜鶴松ー苦痛よりも怒り、肋骨に漫画本。坂上ゆきー海が好き、流産したややが食卓の魚。杢太郎少年の爺さまー棚に乗せたものはすべて神。杉原彦次の娘ゆりーミルクのみ人形。

ちなみに石牟礼道子さんの写真や映像を見て……ややスイーツ(笑)な雰囲気も感じ。
かんっぺきに感受性ばっかりの書き手が、幸運にも時代的題材を得て生き生きと書いている、とでもいうような。
いまにひきつけてみれば、「川上未映子が本腰入れてフクシマに取り組んでみました」とか。笑
その違いは要は継続性にあるのだと思うのだけれど。
(フクシマヲズットミテイルティーヴィーの醜悪さ(たとえば熊本はすっかり忘れているじゃん!)とはまた違う、人生を賭けた継続的アプローチ)
感動一辺倒に水を差すような感想も、きちんと示しておこうと思って、この嫌な一説を書き足した。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学 日本 小説 最近 /女性
感想投稿日 : 2018年3月23日
読了日 : 2018年3月23日
本棚登録日 : 2017年5月16日

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