まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫 み 36-1)

著者 :
  • 文藝春秋 (2009年1月9日発売)
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3

前に映画を見たし、今ドラマもやっているので、
当然?、瑛太と松田龍平で脳内再生される。

三浦しをんさんの作品は初めてだったけど、
文章がスーッと入ってきてとても読みやすかった。
優しく深く軽い。

以下引用。
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「黙っていれば、相手は自分にとって都合のいい理由を、勝手に想像してくれるのにさ」
「女性の心理を、よくご存じで」
(中略)
「女を知ってるわけじゃない。関係がうまくいかないときの、人間の心理をよく知ってるんだ」

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不思議だった。どうしてかつては、ためらいなくだれかと抱き合えたのか。つながり重なることで満たされ、相手を知ることができたと信じられたのか。
たしかに体得したはずの異国の言語が、長く使わないうちにいつのまにか、ついに自分のなかから失われてしまうように。己れのどこをどう探ろうとも、多田はもう、以前のような熱情と希望を見つけられなかった。

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だが、欠落を見抜けなくてもしかたがない。彼女は小学生なのだから。失望と悲しみを味わったとしても、まだむなしさを知らない年なのだから。

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「死んだら全部終わりだからな」
「生きてればやり直せるって言いたいの?」
由良は馬鹿にしたような笑みを浮かべてみせた。
「いや。やり直せることなんかほとんどない」
多田は目を伏せた。行天が後ろで冷たい部分を抱え、自分たちを眺めているのを感じた。多田はまた視線を上げ、由良をまっすぐに見据えた。
「いくら期待をしても、おまえの親が、おまえの望む形で愛してくれることはないだろう」
「そうだろうね」
由良はドアを開けて家に入ろうとした。
「聞けよ、由良」
多田はその手をつかみとめた。「だけど、まただれかを愛するチャンスはある。与えられなかったものを、今度はちゃんと望んだ形で、おまえは新しくだれかに与えることができるんだ。そのチャンスは残されている」

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「はるのおかげで、私たちははじめて知ることができました。愛情というのは与えるものではなく、愛したいと感じる気持ちを、相手からもらうことをいうのだと」
多田にはなにも言えなかった。かつてたしかに、同じ気持ちを感じたことがあるような気もしたし、それはまったくの幻だったような気もした。

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放っておいてほしい、とハイシーは思う。二十分二千円。それがハイシーの値段であるのと同じように、ハイシーにとっての男の価値だということに、なぜ気づこうとしないのか不思議だ。

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清海は笑う。「でもいいね、友だちと暮らして、一緒に仕事するなんて」
ちっともよくない。しかも行天はべつに友だちってわけじゃない。心で反論した多田は、「そうか、この子にとっての人間関係は、まだ言葉で規定できるものばかりなんだな」と気づいた。大人になると、友だちでも知りあいでもない、微妙な距離のつきあいが増える。ふつうだったら、行天は「仕事仲間」に分類されるのかもしれないが、行天はふつうじゃないので、それもピンとこなかった。

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「会った日の夜に、どうして本当のことを言う気になったのか、って聞いたでしょ?たぶん、便利屋さんたちが本気だったからだよ。本気で、私の話を聞こうとしてたから」

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いろいろ反論したいことはあったが、多田もおとなしく自分のベッドに入った。一年近くにおよぶ同居生活で、諦めと寛容こそが、行天の理不尽への対処策だと学んでいたからだ。

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「おとなしい女なんていないでしょ。俺は見たことない」

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「知ってしまったら、もうもとには戻れない」
その瞬間の行天の表情は、森に住む隠者めいて、感情からも欲望からも解き放たれているように見えた。「気がすむまで進むしかない」
「関係者全員が不幸になるかもしれなくてもか」
「不幸だけど満足ってことはあっても、後悔しながら幸福だということはないと思う。どこで踏みとどまるかは北村クンが決めることだ」

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言いながら早くも多田は後悔した。こんなことを言ってどうなる。やつあたりだ。すぐに口を閉ざさなければならないと、理性ではわかっているのに、止まらなかった。残酷に、だれでもいいから痛めつけたかった。

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こういうやつなんだよな、と多田は思った。勝手なことばかりして、他人も自分もどうでもいいようなそぶりを見せるくせに、本当はだれよりもやわらかく強い輝きを、胸の奥底に秘めている。行天と接した人間は、みんなそのことを知っているのに、本人だけが気づいていない。

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多田はもちろん、衝撃を受けたし腹を立てもした。だがその腹立ちの大半は、妻が浮気をしていたという事実からではなく、「どうして彼女は、あっさりと浮気を認めたのだろう」という疑問から生まれたものだった。
知りたくなかったと多田は何度も思った。もし本当に多田を愛しているのなら、死ぬ気で否定してほしかった。妻が否定すれば、多田はそれを信じただろう。

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やがて行天が言った。「これまで何回も、いろんなひとから言われたと思うけど、俺も言うよ。あんたはべつに悪くない」
「悪意がなかったからといって、罪がないということにはならない」
妻がなぜほかの男と寝たのか、多田は知ろうともしなかった。信じるとは口先だけで、子どもの父親がだれなのかたしかめる勇気がなかった。愛していると告げるばかりで、妻にどう思われているのか想像すらできなかった。
自分があらゆる意味で怠慢だったと気づいたときには、取り返しがつかないほど全部が壊れてしまっていた。

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失ったものが完全に戻ってくることはなく、得たと思った瞬間には記憶になってしまうのだとしても。
今度こそ多田は、はっきり言うことができる。
幸福は再生する、と。
形を変え、さまざまな姿で、それを求めるひとたちのところへ何度でも、そっと訪れてくるのだ。

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引用終わり。

ひらがなの使い方がとっても素敵だなあ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2013年2月10日
読了日 : 2013年2月10日
本棚登録日 : 2013年2月10日

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