男が痴漢になる理由

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  • イースト・プレス (2017年8月18日発売)
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日本でもっともありふれた性暴力の形態である「痴漢」。おそらくだからこそ、世の中には、その問題性を頑なに認めようとしない物言いがあふれている。痴漢よりも「痴漢冤罪」こそが大きな問題であるとか、女の側にも問題があるといった言説は典型的だ。多数の痴漢加害者と接してきた依存症クリニックの精神保健福祉士による本書は、痴漢にまとわりつく神話の雲を吹き飛ばす知見に満ちている。
痴漢に限らず、性犯罪は、「男性がもつ自然な性欲」を妻か風俗で発散できない男が抑えきれずに起こしてしまうものとされてきた。そういうジェンダー非対称的な解釈枠組みを刑法システムが創り上げ強固に維持してきているわけだが、著者によれば、痴漢はアルコールやギャンブル依存などと同じ依存症。適切な介入がなければ自力で脱出するのは困難という。なかでも衝撃的なのは、「痴漢は生きがい」という加害者たちの発言だ。会社などでのストレスと、痴漢という発散の手段がいったん結びついてしまった者たちは、「自然な、抑えきれない性欲」に衝き動かされているどころか、捕まらないよう、準備や逃走に入念に気をつけながら、徐々に加害行為をエスカレートさせていく。
ジェンダー非対称な性犯罪理解のひとつの帰結が、たとえ捕まっても悪質でなければ刑事罰よりも示談、という司法判断だが、せっかく捕まっても罰金や示談で済ませることは、「まだ大丈夫」という認識をあたえてしまうことになる。刑事罰も再犯防止にはつながりにくい。逮捕を医療介入につなぐチャンスにすることが大事だという。
基本的に医療アプローチを主張する本書だが、とはいえ、完全に個人の病理として理解するのは過ちだ。ストレス発散の手段として女性に対する性暴力を多くの男たちが選んでいるという現実は、社会における女性の人権軽視の蔓延と切り離すことができないからである。他の男性が痴漢をやっているのを見て自分もやるようになった、日本に来てから痴漢をおぼえたという加害者がいるのは、日本社会の性暴力への寛容さを反映するものといえるだろう。
痴漢がアルコールやギャンブル依存症と違うのは、そこに必ず被害者が存在し、たとえ加害者にとっては問題行動からの脱出という「解決」が訪れても、被害のトラウマはそこで終わらないということだ。性差別が蔓延するなかで育ち、女性を対等な人間と思っていないからこそ、ストレス発散の対象として性暴力を選んできた加害者は、いくら反省の言葉を述べても、その実、被害者の存在がほとんど意識にないことが多いという。この点の気づきを加害者に絶えずうながすことが治療の重要なポイントのひとつだという指摘には深くうなずける。その意味で、加害者の行為に対する妻、母親、父親それぞれの異なる反応という話も示唆に富む。
安易な治療アプローチをとることなく、社会構造としての性差別と個人の行動がどのようにリンクするのか、さらに探求が必要だろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史と社会
感想投稿日 : 2018年8月8日
読了日 : 2018年6月22日
本棚登録日 : 2018年6月22日

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