緊張と恐怖に締め付けられつつも、惹きつけられて目が離せない。『私はロランス』で鮮烈な印象をあたえたグザヴィエ・ドランが監督・脚本・主演も兼ねて、恐ろしいほどの才能を見せつける。
首都モントリオールからケータイの電波も入らない田舎町の農場をトムが訪れるところから物語は始まる。事故死――恐らくは自殺――した友人ギヨーム――実は恋人――の葬儀のために彼の実家を訪れ、事実は隠しながらも母親アガッタと親密な時間をすごして、すぐに立ち去るはずだった。しかし恋人の兄フランシスが登場した瞬間から、トムは彼の暴力的支配の磁場に引き込まれ、服従していく。
最初は単純にマッチョなゲイ・ヘイターであるかに見えるフランシスが、自身の中の欲望を抑圧するがゆえの暴力的なホモフォビアを露わにしていくのと並行して、フランシスの暴力に恐怖をおぼえ、抵抗を試みつつも、抗いがたくその力に引きずられていくトムの様子こそが、なによりも恐ろしい。ついに読みあげられることのなかった弔辞をめぐる会話、ギヨームの「恋人」サラのでっちあげられた独白、母親の前であからさまに語られる性的な記憶、そして濃密な感情が交わされるフランシスとトムのタンゴと、アガッタの沈黙。ひとつひとつのシーンで交わされる視線と感情と力があまりに濃密で息が詰まりそうだ。死んだギヨームとトムがどのような関係性をつくっていたのか、フランシスや母親とギヨームの間にどんな生活があったのか、映画の中では一度も明確に語られないながら、残された人々の間で交わされるやりとりの中から、沈黙と嘘で維持されていた関係がうかびあがってくる。自分を無価値だと感じていたトムの服従への欲望を、フランシスは的確につかんでいたのだ。
ひとつひとつのシーンが考え抜かれていて、繊細な手つきで腸を引きずり出すようなドランの才能には感服せざるを得ない。これから先、どんな世界を見せてくれるのだろう。
- 感想投稿日 : 2015年6月7日
- 読了日 : 2015年5月15日
- 本棚登録日 : 2015年6月7日
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