この「ゆれる」というタイトルはあらゆる意味合いが含まれているのだな、と感じた。
以前かなり評価された映画を先に観てはいたけれど、小説は小説でまた新鮮な気持ちで読んだ。
都会で自由に格好良く生きる写真家の弟の猛と、父親が営む田舎のガソリンスタンドを継いで暮らす実直ではあるがどこか冴えない兄の稔。
この時点で残酷さを感じる。容姿も生き方も弟には勝てないという稔の強大なコンプレックスが、ひとつの取り返せない事件を引き起こす。
同性の兄弟や姉妹を持つ人ならば、稔の感情が理解できる人も少なからずいるかもしれない。
近い存在に嫉妬するというのは、とても苦しいことだ。
表面上は柔和に兄らしく振る舞っていた稔だけど、智恵子という好きな女に関して猛への嫉妬を感じたとき、その感情が爆発してしまった。
不安定な吊り橋の上で起きた事件。その現場も、そのとき揺れ動いた稔の気持ちも、事件後の兄弟の関係も、そして猛がラスト前で覆したあること(これが恐らくこの物語の根幹)も、すべてが「ゆれる」という言葉に集約されている。
人のためを思って嘘をつき通すのか、それとももっと深くその人を思って真実を話すのか。どちらが正しいとは簡単には言えないけれど、結末を見るに、猛の選択はきっと正しかったし、稔もその意図は理解していたように思えた。
近い存在に嫉妬するのは苦しいけれど、反面、血というのは強い、とも感じた。
同じ血が流れているから許し難い、同じ血が流れているから許そうと思う。相反するけれど、どちらもある感情だ。
世の中多くのこじれている血縁関係を見てきたので、ある意味で救いとなるようなこの物語は、とても小説(映画)らしい役割を果たしていると思う。
- 感想投稿日 : 2020年6月26日
- 読了日 : 2020年6月26日
- 本棚登録日 : 2020年6月26日
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