ヘヴン (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2012年5月15日発売)
3.62
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本棚登録 : 374
感想 : 39
3

黄色い家を読んでから、川上作品を遡っています。
この作品を好きな作品と挙げる人が多い気がしたので、読んでみた。
とあるレビューで、プチサルトルと、プチボーヴォワールである、というものがあり、主人公が斜視という点で、なるほどサルトルかと思ったが、読み進めていくうちに、主人公である「僕」はサルトルではなく、どこにでもいる私達と同じ弱い人間であり、コジマはガンディーでありシモーヌ・ヴェイユであると思った。

感じたことはいくつかある。
いじめの描写がつらい。Audibleで聞いたが、過去最速の2倍速まで早めてしまった。書籍ながら細目で読み飛ばしていただろう。人間サッカーなんかは、怒りで震えた。いじめが苦手な人は要注意である。

次に、コジマについて。彼女については、賛否両論あるだろう。
コジマが「僕」のことを理解していると思っているのが、初めから間違いのような気がする。コジマは「僕」のことを理解してなどいない。本当は、彼女の母親と同じで、「僕」のことを「かわいそう」と思っていたのではないか。
いらいらした。自分の理想を押し付けるコジマ。自らいじめを受ける要因を作り、そして抵抗しないことを正当化するコジマ。(抵抗することでいじめっ子はますます喜ぶので、ある意味正解ではあるのだけれど、逃げることは決して間違いではない)
コジマがいじめを我慢することで、誰かが救われるわけではない。
コジマの父親は、コジマが「しるし」などというものを作って皆にいじめられることよりも、コジマが幸せに暮らすことを望んでいるはずだ。
と、思って読み進めていたが、クライマックスではコジマに圧倒的な強さを見せつけられ、そのような私の思考は、吹き飛んでしまった。コジマは「ほんもの」であった。

そして、百瀬。この人に関しては、単なる思考停止であり、論理も哲学も正義もない。
「自分にはそれができる」と思っている、という点に疑念を抱かないという点で、思考停止している。
根深い差別は、差別する側が差別される相手を憎んでいるのではなく、「自分たちには当然その権利がある」と思い込んでいて、なぜそう思っているのかに疑念を抱かないものだからだ。
百瀬が「僕」になんの興味もないのも、そのような理由であると思う。まだ、二ノ宮のほうがマシなのかもしれない。相手を憎んだり、笑ったりすることは、相手を同じ人間だと認めているといえることだからだ。

クライマックスの百瀬とコジマが交互に現れるような描写は見事で、「僕」の混乱が追体験できた。何度も聴いてしまった。

伏線の回収不足、という声もあるが、川上さんは純文学志向なのではないだろうか。文章が平易なので、純文学らしくはないが。
最近のエンターテイメント性の高いミステリー小説などは見事に伏線を回収するものばかりだが、純文学であれば、書いたら書きっぱなし(言い方)なのは当然ではあるまいか。私は嫌いじゃない。むしろ好き。
ただ、色々なことを考えすぎて、総合的にこの本をどう評価すればいいのか、わからなくなってしまった。レビューを書くのにも、何日もかかってしまった。好きか嫌いかでいうと、「好き」である。
思考の深みにハマりたい人にオススメしたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年2月10日
読了日 : 2024年2月7日
本棚登録日 : 2024年2月7日

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