エルサレムの秋 (Modern&Classic)

  • 河出書房新社 (2006年11月8日発売)
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本を開き、最初の一ページ、次の二ページ、頁をめくる。
もう、イェホシュアの文章に完全に虜になっている。そんなに早く? そう。そんなに早く。

テルアビブに住む老境にさしかかった夫婦は、思いがけず子どもを授かった。
父親の私は詩集を5冊上梓した詩人だったが、その子の誕生の前に筆を折る決心をした。
その妊娠を私は恥として受け止め、やがて弱弱しい赤子が生まれると成長した娘たちは家に寄り付かなくなった。
年老いた妻は出産のあと、弱り始め、息子が6歳頃に死んでしまう。
知的遅滞があるであろう息子と老いた父親の私は、静かな長い年月を妻も娘たちも去った家で過ごす。
なんともいえない陰影のある悲嘆と絶望の日々が、卓抜した詩的文章で切々と綴られていく。
息子は成長し、17歳にしてやっと小学校を卒業する。
授業で、父親の詩が授業で使われたことで心を躍らせ、卒業後なにかと父親の身の回りの世話をはじめ、なんとか父に再び詩を書かせようとするが、過去の詩人のわたしはもう創作をしない。

『エルサレムの秋』は、「詩人の、絶え間なき沈黙」と「エルサレムの秋」の中編小説二編で構成されている。
上記に書いたのは、「詩人の、絶え間なき沈黙」についてだが、なんという心に染透る小説を書く作家なのだろうと驚愕した。
夫婦はすでに娘ふたりを育て上げていた。老境の夫婦にはその後の人生のビジョンもあったであろう。そこに、父親が恥として認識する妻の妊娠。
生まれた遅滞のある息子。出産後残骸のようになって死んでいった妻。
父のわたしは息子に愛情を抱いていないわけではない。けれど、自分の人生のなかに息子の存在を受容できないまま生きているのである。
詩人の私は息子と言葉を交わせない。交わすことは出来ても正しく会話はなりたたない。
父の詩に興味を持ってから、息子の口から自分の作った言葉の断片が発せられる。「忘却に身をゆだね」・・・
いよいよ息子を手放す決心をする。製本屋に見習いに出すことにしたのだ。別れが近づいたとき詩人の父はわが息子に何をみたのか。

とにかくすばらしい作品だった。たちこめた靄から仄かに輝く太陽を探すような小説なのに、まるで季節はずれの豪雨にびっしょりになるほど降られてしまったような気分にもなる。
この小説は、イェホシュア三十歳の時の作品というのだから驚く。本当に驚く。
人生の深淵の奥深さを知り得る年齢が低いほど心からの敬意を抱く。イェホシュアという作家はすごい。

次の「エルサレムの秋」を読み始める。

エルサレムの秋のはじめ、大学卒業をひかえ、進まない卒論が気分を重くさせていた休暇の最後の3日間、主人公はかつて愛した人の三歳の息子を預かった。

彼女を思う気持ちは双方向のものではなかったが、若い主人公にとっては本気で愛した最初の人だったのだろう。
今、相手の彼女は結婚し子どももいて、自分も結婚を考える彼女もいるというのに、彼女の夫から突然届いた手紙に胸の高まりを感じる。

夫婦はエルサレムの大学を受験するようで、そのために3日間息子を預かって欲しいという。
断るつもりでいたのにそれもできず、夏の終わり、すなわち秋のはじめ、その子は父親に連れられて彼の元にやってくる。
びっくりするほど、愛した人に似た三歳の男の子との共同生活がはじまる。
動物園に連れて行ったり、プールに行ったり・・・
母親と全く同じ瞳を持つ三歳の子とその母親が今も忘れられない若い男は、ひどく不安定な均衡を保ちながら時間を過ぎ越していくのだった。

若い男は子どもの扱いに慣れていない。慣れていないだけではない。彼にひしひしと押し寄せる孤独と敗北感。三歳の子に仕掛ける子どもじみたサディスティックともいえる小さな攻撃性と独りよがりの彼女への思慕。

3日がたち、子どもは親元に帰る。愛した彼女の胸に三歳の子は甘える。三歳の子は彼女を独占する。彼のベッドの枕からはまだ三歳の子どもの匂いが立ち込めている。

アブラハム・B・イェホシュアは、1936年エルサレム生まれ。
イスラエル文学界では不動の地位にあり、大学の文学の名誉教授だという。
ノーベル賞候補にもあげられている作家らしいが、日本での作品の翻訳出版は本書が最初で、私もはじめて彼の作品に触れた。
訳者はアブラハム・B・イェホシュアの作品を読み出して三十年という母袋夏生さんだが、母袋さんの訳にも感服した。
日本語をよく理解していて詩的表現力を十分に内包している訳者で、本書の出来の良さは訳者に負うところも大きい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2012年8月25日
読了日 : -
本棚登録日 : 2011年10月1日

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